はるさらば




 「―――陰陽寮へ直ちに出仕せよ」

という、兄弟子が寄越した式神を、泰明は冷たく一瞥する。

 式神が伝えてきた命に従うつもりはさらさら無い。
 ここ五日もの間屋敷をあけて、上官から仰せつかった遠方の仕事に駆り出されていた。そうして、昨晩遅く―――いや、夜半過ぎにようやっと帰り着いたばかりなのだ。
 いとおしい妻の待つ、この屋敷に。

 仰せつかった仕事の最も厄介な、そして、泰明が駆り出された理由たる核心の部分は当然に片付けた。あとは誰でも出来る仕事だ。上官への報告など、検分と称して同行していた者らが行えば良いはずだ。事のあらましは帰りの道中彼らに仔細に説明した。報告の場へ、事にあたった術者たちに形ばかりの出席をせよとのことであれば、尚更無意味に思われる。人使いが荒いにも程がある。

 返答を待つ式神を前に、泰明は黙したまま、ひらりひらりと印を結ぶ。
 とたんに、ぱちん、と小さく何かが爆ぜる音がして燐(りん)の炎が立った。
 その淡く滲むような青い炎は、たちまち青年の姿をした式神を浸蝕してゆき、式神はたまらず符に還る。
 泰明は、その符を手刀でさっと両断してやった。

 苛立ちをそのままに式神をただの紙切れにしてやったのだから、それを遣わした術者へも多少なりとも術の跳ね返りがあったことだろう。
 が、それは泰明の知ったことではない。
 これが返答だ。
 日が昇っりきった今とて、出仕はせぬ。
 

 
 夜半過ぎにやっと屋敷へ戻ると、妻が心配顔で待っていてくれた。
 遅くに帰り着くこと。
 先に寝すんでいるように、ということ。
 それらを先ぶれで送った式神に託し言付けたにもかかわらず。

 旅装を解く間もなく、泰明のもとに飛び込んできた妻の身を慌てて抱きとめると、小さく「おかえりなさい」と――そう言いながら妻は、泰明の胸に頬を寄せて目を伏せた。そのまま妻の身を抱きしめると、妻もまたそっと抱き返してくれる。
 それだけで、様々なことが伝わった。
 不安だったこと。心配していたこと。会いたかったのだということ。
 今、安堵して、そして、とても嬉しいのだ、ということ。
 言わずとも、それらすべては愛おしいという思いに結実し、この身に伝わった。

 「顔を、みせてくれるか?」
 「―――・・・」
 「あかねは、眠たそうだ・・・」
 「!」

 此方を見上げた碧の瞳が、眠気にぼんやりと潤んでいて、つい微笑ってしまう。
 妻は、いじらしく待っていてくれたのだ。
 その意思に反して眠たくなってゆくのをきっと懸命に我慢して。
 そこはかとなく可笑しいのに、ただ愛おしさばかりが募り、その眦(まなじり)に口づける。

 「あかねは、先に寝んでいてくれ。わたしは旅塵を落として、すぐにお前のもとへゆこう」
 「はい―――あ、あのね。いっしょに眠って―――朝、目が覚めても傍に居てくれますか?」
 「勿論だ。わたしは、お前のものなのだから」

 ―――そうして、久しぶりにぐっすり眠ったのだ。

 柔く温かい妻の身を抱きしめて。
 妻もまた、安堵した様子で、泰明の胸に頬を寄せて。

 で、冒頭の件に戻る。
 日が昇っても出仕してこない泰明に痺れを切らして、陰陽寮より式神が寄越された、というわけである。



 遣わされた式神を符に還した泰明は、急ぎ寝所へと戻る。

 「―――あかね?」

 声をかけるが、穏やかな寝息がきこえるばかり。
 よかった。妻はまだ夢路にある。
 眠る前に約定を交わしたのだから―――妻が目覚めたときに必ず傍に居る、と。
 上掛けの衾(ふすま)をそっとあけて、褥(しとね)の妻の隣に身を滑りこませ、再び妻を抱き寄せる。
 柔い身体。
 温かく儚く愛おしい。泰明にとっては、この世界の全て。

 (―――もう、一歳(ひととせ)になるのか)

 間もなく春になる。妻に初めて出会った季節がまた巡ってくる。
 妻は、ひととせ傍にいてくれた。

 そもそもこの世界に妻の理はない―――それを思うとき、泰明はいつも胸が締め付けられるように悲しみに襲われる。
 ましてや、この身は人とは違う出自をもつうたかたのようなもの。
 妻にとっては何の益もないだろうに。それなのに、妻はただこの身の傍に在ることを愛おしんでくれる。

 その眼差しで。
 ふれる指先で。
 此方に向けてくれる、やわらかな笑みで。
 そのすべてで、ただ愛おしいのだと伝えてくれる。

 春さらば―――春が来たら、妻の碧の瞳はこの世界の花々を美しく映すのだろう。

 どの花を挿頭(かざし)に贈ろうか。
 どの花が似合うだろうか。
 妻は、どの花を好むだろうか。

 「あかね・・・早く夢路より帰ってこい」

 “目が覚めても傍にいる”という、その約定を早く果たさせてくれ。
 その碧の瞳に、早くわたしを映せ。

 目許にかかる髪をそっとはらってやり、その眦に唇を寄せる。
 妻が、穏やかに緩やかに夢から覚めるように。
 夢路で迷わぬよう、その小さな手を此方へひいてやるように。

 山眠る季節を越えて、やがて愛おしい碧の瞳に咲き映る花々よ。

 妻がくれる美しく色づく季節は、もうすぐそこに。



 Fin.
( この世界が美しく色づくことを、君が、はじめて教えてくれた )

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「 はるさらば 」 (泰明×あかね)
photo by [24/7]

 「春さらば」という古語は「春が来たら」の意味。
 万葉集に、「はるさらば」「はるされば」で始まる恋の歌がちらほらあるのですよ(*´ω`*)

 ブラック職場に出社拒否をかます泰明さん。
 あかねさんが世界の中心。世界のすべて。帝も国もべつにどうでもいい。
 それでいて、晴明さまに次ぐ力の持ち主。
 晴明さま亡き後は制御できるひとがいない、剥き出しの能力者、ということになってしまう。
 政権の中の安倍家の立ち位置もそうだし、安倍家の中での取り扱いもそうだし、京エンドは不穏だと思う。泰継は京で泰明に会えずに過ごすのが確定しているので。
 そういう立場の危うさも含めて、泰明さんの魅力に思う。

 *2022/12/05 clapお礼ssとしてUPしたもの