いとしい死神


 この都の絶望と穢れとが祓われた、あの風花の日。
 龍に囚われてしまったかに見えた神子は、晴れ渡った空からゆっくりと泰継のもとに舞い降りてきた。
 そして泰継の腕の中で、神子はまっすぐに伝えてくれたのだ。
 ―――泰継さんの傍に居たいし、傍に居てほしいから、と。

 こうして、龍の神に見初められてこの地にやって来た娘は、何故だか人ならぬ泰継のことを見初めてこの地に残ってくれた。
 この身は理の外にあるというのに、それを意に介する様子もなく。
 それは面映ゆい、そして、どこか後ろめたくもある幸福な日々のはじまりで、泰継がそれまで無縁と思ってきた感情―――愛おしさと哀しみを、その胸にもたらした。



 「わたしの旦那さまは、ほんと、くっつくのが好きなんだから」
 「お前が、朝から寒がっていたからだ」
 「えー、私のせいですか? いいですけど。私も泰継さんとくっつくの好きですから」
 「―――・・・」

 火桶を傍に置いて暖をとる妻をその背から包むように抱き込んで。
 華奢な身体を緩く抱いたまま、もう四半刻近くも離さずにいる泰継のことを、妻はおかしそうに愛おしそうにいなして―――けれど、大人しく泰継に抱き込まれたままでいてくれる。

 「寒さが堪えるのであれば、洛中に屋敷を求めるか?」
 「どうしよう。でも好きなんですよね。ここは確かに少し寒いけど。この庵の広さが丁度良くって。泰継さんが此処でお仕事しているときは少し離れていられて、でも、広すぎずお掃除もしやすいし。それに―――」
 「それに?」
 「―――それに、泰継さんにすぐ手が届くから」
 「!」
 「泰継さんの顔を見て、すぐにぎゅってできる距離が、今は、いいかな。お仕事一段落したなぁって頃合いに、泰継さん、こんなふうに甘えてくれるでしょ?」
 「―――・・・」

 泰継は瞬きをする。
 どうも、妻には敵わない。
 まぁ、確かに。妻に触れていると離れ難く。甘えている自覚も、それを許容してもらっているという自覚もあるにはあったのだが。

 「そのうち、ふうふのけんたいき、とかになったら広いお屋敷に移りましょう、ね?」
 「ね?ではない。斯様な家移りなぞあってたまるか」
 「えー、そういうのも、ちょっとやってみたいです。泰継さんと喧嘩。想像できないだけに。」
 「―――無理、だ。お前と諍(いさか)うなど。」
 「ほら、わたしの旦那さまは、そうやって、わたしを甘やかしすぎるから」

 そんなことを言って、妻は柔らかく笑う。
 可笑しそうに、やはり、愛おしそうに。
 泰継の、結わず無造作に流したままの髪に遊ぶように触れながら。

 (―――愛おしい。)

 今、この腕の中にある妻も、妻と共に過ごすこの時間も。
 それとともに、胸におこる哀しみを認め、泰継はそっと息をつく。
 この、愛おしさに満ちたあたたかな時間が、やがて訪れる別れを育ててゆくのだと、そのことをいつからか知っていた。

 これまでの長い時の中で、人との永遠の別れを幾度も繰り返してきたから。



 僅かでも永らえて、妻を守るのだと。泰継はそう決めている。
 自分とは違う、儚い人の時を生きる愛おしい妻を、必ず守るのだと。

 妻は龍に拐かされてこの世界にやってきた。
 故にこの世界に妻の理はなく、龍の加護とていつまで続くものかわからない。
 妻のふるさとは遠く、神でなければ最早届かぬ場所だ。
 意に添わぬ場所に連れてこられて、その上、人ではない出自を持つ泰継の傍になど、妻にとっては何の益もないことだろうに。
 それなのに、この身の傍に在ることを妻はただただ愛おしんでくれるのだ。

 やがて時がきて妻を見送ったのならば―――自分はきっと壊れることができる。
 泰継はそう信じている。
 希望的観測、であるかもしれなかったが、どこか確信めいて泰継はそれを疑わない。
 日々降り積もるあたたかな幸せが大きければ大きいほど、妻を愛おしく思えば思うほど、それがその時、確実にこの息の根を止めてくれるのだ、と。

 この、愛おしい時を慈しんでゆけばいい。妻を守りながら。
 もう、ただひとり置いて行かれることのないように。
 妻の居なくなった世界に、取り残されることのないように。

 この、あふれる愛おしさに―――確実に殺されるために。

 「・・・泰継さん?」
 「花梨。お前は、きっとわたしの―――」
 「?」

 “いとしい死神”

 (―――埒もない。)
 胸に起こったその言葉を自嘲気味にひとり笑い、胸に留めおく。
 そうして、ただ、愛おしい妻を抱きしめる。

 妻は、長い時の回廊に佇んでいた自分を見つけてくれた。
 泰継自身が顧みることのなかった、この心に手を伸べてくれた。
 名を、呼んでくれた。
 そうやって惰性に繰り返されてきた諦観の日々を破り、やがては、この仮初の命そのものを断ち切ってくれる―――たった一人の、“いとしい、死神”。

 「泰継さん、どうしたの?」
 「いや―――ただお前が愛おしいのだ。」
 「―――・・・」
 「お前も、お前と共に在るこの時間も、柔く捉えどころなく、淡く消えてしまいそうであるのに確かに温かく。わたしには、ただただ愛おしい。他に何と云えばよいのか。お前という存在すべてが、わたしを人たらしめ、この世界に繋ぎとめるものなのだ。わたしだけが、このように戸惑っているのだろうが―――けれど、きっと今、わたしは幸福なのだ。」

 妻の身を緩く抱きしめたまま、その華奢な肩に顔を埋めて、ため息とともに呟く。

 「花梨、お前が傍に居てくれる。こうやって触れることのできる近さで―――・・・この身に過ぎた幸福だ。」



 「・・・・・・・」
 「・・・・・・・」
 「や・・す・・・・・・・い・・・そ・く」
 「ん?」

 気づけば腕の中で妻が何やら口籠って固まっている。

 「―――花梨、どうした?」
 「やすつぐさ・・、きゅうに・・そんなこと・いう・の・・・はんそく」
 「???」

 しばらく固まっていた妻が身動(みじろ)ぎしたので腕を緩めてやると、妻はぎこちなくこちらに向き直る。
 淡く目許を染めながら少し潤んだ瞳でじっと泰継を見つめてくる。
 それから不意に、――――ぎゅっと抱きついてきた。

 「!」

 今度は泰継のほうが妻に抱き締められ、そうして、恥じらうような小さな声で耳元に囁かれる。

 ―――わたしだって、泰継さんのこと大好きで大好きで・・・どうしていいかわかんないです。

 と。
 妻に抱き締められたまま、泰継は瞬きをする。
 それから、そっと息をついて妻を抱き返す。

 (―――だめだ、愛おしい。)

 ほかに言葉がみつからない。
 愛おしさがあふれる。
 言葉が足りない。

 今はまだ、壊れるわけにはゆかないのに。

 愛おしさがあふれて、哀しみがおしよせる。
 困ったことに。
 いまにも、この息の根を止められてしまいそうなほどに。



Fin.
( 君は、僕だけの愛しい死神 ) 

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「 いとしい死神 」 (泰継×花梨)
photo by [MIZUTAKA]

 泰継さんにくっつかれるのには慣れっ子なのに、突然はじまる天然ド直球な告白には弱いといいね、花梨ちゃん。
 だいたい、ゲーム中から泰継さんは花梨ちゃんのこと触りすぎだと思うよ!

 泰明さんも泰継さんも陰陽師として、「名前を呼ぶ」、「名前を呼んでくれた」が、ものすごく重大なトリガーになってるんですよね。泰継さんのエンディング、しきりに名前のこと言うものね。
 ♪奇跡であふれて足りないや♪のあのお歌を聴いていると、どうにも泰継ソングに思えてしまってカッとなって書きました。

*2022/12/05 clapお礼ssとしてUPしたもの