ふしぎの世界の美しいみやこへ連れ去られたのは花の季節だった。 そこかしこに「人ならぬものたち」の気配がする美しいみやこ。 人々の言葉に霊(たましい)が宿り、おもう心からは呪(まじない)が生まれ、清浄な場所には神様が居憑く。 だからきっと―――この小さな小さな一片(ひとひら)にも。 ◇ 「わたしは木気は得手ではない。神子も知っているはずだ」 と、泰明さんはちょっとだけしょっぱい顔をした。 風に吹き誘われて散る花の中。泰明さんには珍しい「困った」事態らしい。 時刻は春の宵。 場所は京のやや外れ、崩れかけたお屋敷の跡地。 きっと誰からも忘れられたようなこの場所に、枝ぶりの豊かな桜の樹がある。 ここの桜がわたしにとってのある「はじまり」の桜だったりするのだけれど、泰明さんにとってはどうなのだろう―――? 「またここに泰明さんと来たかったんです・・・ごめんなさい。我儘を言って。それから、ありがとうございます。一緒に来てくれて」 そう、泰明さんのことを好きになった始まりはこの桜だった。 思いかえすと、泰明さんとわたしのあいだにはいつも桜の花があった。 この世界への入り口も。初めての出会いも。そして、好きになったあのときも。 だから、桜に訊いてみたかった。 未だにもどかしくも形にならないこの「好き」の行方を。 (この桜の花が、この恋心をまた何処かへ繋いでくれるのかしら。) (わたしの「好き」も、桜が繋ぐ何処かへ・・・進んでゆけるのかしら。) 思うばかりでそれは言葉にならず。 だけれども2人この場所に来て―――やっぱり答なんて見つからず。 ただぼんやりと宵闇に立ち、しょっぱい顔をしたままの泰明さんと一緒に花の一片一片を目で追った。 「―――やはり木気は得手ではない」 「さくら、嫌いですか?」 「嫌い・・・というのも違うように思う。が、よくわからぬ。ただ、得手ではない上・・・邪気のないものは祓えぬ・・・」 (―――祓う?) 「祓うって、いったい何を・・・?」 「気付かぬのか」 はい、と頷くと泰明さんはちょっと眉をしかめた。 それからおもむろに手をのばし (―――!?) くちびるに泰明さんの指先が触れ、わたしは動けなくなる。 薄くやわらかい一片ごしに触れる泰明さんの指先は・・・その薄紅の一片を戒めるようでいて、わたしが何か言うことを怖れるようでいて。 「神子は・・・何故にこうも愛されるのか」 「??」 「煩わしいのだ、この花弁が。神奈備た花の一片一片が慕わしくお前に触れることが、私にはなぜたか煩わしい・・・」 「!」 「神がいついた花に邪気はない。邪気はなく、ただ愛おしくお前のもとへ吹き誘われてくるだけなのだ。それゆえ、祓うこともかなわぬ」 ああ、やっぱり。 わたしと泰明さんのはじまりは、いつも桜だ。 「―――・・・やすあきさん、あのね」 「?」 小さく。 呟くように貴方の名を。 わたしのくちびるに触れる指先をそのままに。 ―――この世界では人々の言葉に霊(たましい)が宿り、おもう心からは呪(まじない)が生まれ、清浄な場所には神様が居憑く。 わたしは、大切なことを泰明さんに伝えなくちゃいけない。 言葉に思いを、桜に願いを。 それはきっと「恋」なのだと、あなたに知ってもらうお呪いを。 “貴方が好きです” “貴方が好きです” “貴方が好きです” 「あのね、泰明さん」 「―――・・・神子?」 「この花よりもっとたくさん、わたしは、泰明さんに・・・“慕わしく”触れたい・・・です・・・よ?」 Fin. ( ゆっくりゆっくり恋人になろう ) |