張り詰めた静寂(しじま)の夜に、きっとこれが最後の警護になりましょう、と。 そう静かに告げて、頼忠は、主(あるじ)の柔らかな頬に手を伸べた。 遠い日、無力であったために背に傷を負い、愚かであったために命を永らえた。“もしも”を求めたとしても過去は決して変わらぬことと知りながら、それでも尚、過去に“もしも”を求めて囚われる。囚われ続ける日々の中で、頼忠はついに出会ったのだ。この人を守って死ねたらいいと、そう思えるたった一人の主に。 「明日―――ただ一人の主と決めた貴女を必ずお守りいたします。数多に現れる怨霊たちからも。貴女が呼ぶ龍の神からも。」 と、庭の灯篭に灯る淡い光のもとで、やはり静かに誓(ちかい)を告げた。“この身に代えても”という言葉だけは飲み込んで。できることならこの誓が主に優しく伝わるようにと、そう願いながら。 それなのに、頼忠の主は言うのだ。 主の柔らかな頬に触れたこの手に、その小さな手を重ねて。 上背のある頼忠の目をしっかりと見据えながら。 ―――頼忠さん。これは神子の命(めい)です。わたしは、明日貴方が死ぬことを許しません。と。 “神子の命”という、主らしからぬ言葉も。 “許しません”という、やはり主らしからぬ強い言葉も。 どれもがはたして予測通りのもので、頼忠はただ目許を和ませた。 頼忠の主は聡い。聡く優しい。 頼忠が飲み込んだ言葉も、頼忠が戦いの中で、主である神子の生存を何よりも優先するだろうことも悟っているのだろう。 頼忠はできぬ約束をしない。主もそのことをよく知っている。 主のまっすぐな視線を受け止めながら、けれども何も応えぬ頼忠の様子に、やがて聡明な碧の瞳がわずかに揺れた。灯篭の淡い光を映し濡れたようにきらめいて、黙したままに多くを語るそのひとみの色に頼忠は哀しみを募らせる。 かつて、背に負った刀傷は自らの弱さであると告白したときも主は言ってくれたのだ。頼忠ととも在り続けたその傷痕は、生きようとした証でもあるのだと。 そう言ってくれた主をただ守りたい。その尊くも優しい心ごと。 たとえ、主の命(めい)を違えることになったとしても。 「―――ご無礼をいたします、」 とだけ小さく呟いて、募る哀しみのままに主の身をその腕に抱きこんだ。こんなときに笑ってみせる器用さはなく、そのことを心苦しく思いながら。 「よりただ・・さ・・?」 「わたしは―――…貴女の傍らで生きたい、と。そう願うことを已んではいません。その一事だけでも、どうか。」 「――――」 不安に揺れたあのひとみを隠してしまうように、大切に主の体を抱き込んで。傍で生きてゆきたいと、主を悲しませずにすむ願いとその事実だけを。 そこから先のことは全て、あいしている、という一言に集約されてしまうのだろうけれど、それ以上何も言わず、言えずに、ただ主の身を抱きしめた。 主に生きていてほしい。 ただそれだけなのだ。 伝えたくないことも、すべて伝わってしまうことがもどかしい。 聡く優しいひとは、きっと知っているのだろうから。 頼忠が、主とともに生きたいと、確かに願っていることも。 それでもやはり―――主の命を違えることを、そのとき選ぶだろうことも。 そして、主のそのかなしみを知っていながら、それを選ぶと、頼忠が決めていることも。 Fin. ( そのかなしみごと、ただ、あなたを守らせて ) |