風花だより



 
 都を抱(いだ)くとおい山の稜線は白い色に縁どられ、冬空を風が音を立てて吹き過ぎてゆく。秋がとどまるばかりであったこの都は、急激に且つ濃密に冬の気配に覆われた。
 その劇的な変化を齎した者は―――というと、近頃ふらふらと独り歩きで姿を消して、周囲の者達を慌てさせている。
 今もそうだ。
 星の姫からの泣きごとめいた報せが入るより先にそれを察知して、泰継は、都大路を急いでいた。

 ひと際清浄に輝く気をたどれば、だいたいの“あたり”をつけるのは容易い。が、そこからが一筋縄ではゆかないのを、幾度か経験して心得ている。人がふつうに入り込むことがなさそうな場所こそ、見落としてはいけなかった。

 一番はじめは、とある大社の隅、古びて朽ちかけた末社の階に座り込んでいるのを見つけた。
 その次は、とある杜(もり)の奥深く。大樹の根元の洞(うろ)にたまった落ち葉の上で、小さな獣たちと一緒に眠りこんでいた。
 3度目は、枯れススキの野。
 そこで、幾重にも重なった枯れ草に守られるように寝そべって高い空を眺めていた。
 一見なんの共通点もない場所だったが、3度目の捜索でついに泰継は気が付いた。
 夏とは違って、低い軌跡をたどる冬の太陽だからこそ齎される恵み。そこだけ時がとまったように、黄金(こがね)の光が冷たい外気を和らげる場所。

 神子がいるのは、いつも、そんな極上の陽だまりだった。



 (こういうところは、人というより獣に近い)

 よい“陽だまり”を見つける嗅覚(?)が。
 果たして予測通りの場所でひざを抱えて眠りこんでいた神子を見つけて、泰継は、そんなことを真顔で思った。先代の書付にもあったように、龍神の神子とは実に奇抜な娘なのである。

 「――・・・神子、」

 静かに声をかけ、その華奢な肩にそっと手をのばしたときだった。暖かな陽光色につつまれて眠る龍の斎姫の頬が、すっと暗く翳った。冬空をごうっと音を立てて風が駆け抜け、その風に流されてきた雲が日を遮ったのだ。
 それとともに、泰継の視界にはいくつもの雪の欠片。

 (風花、か・・・)

 山の稜線から舞いあげられた粉雪が、ここに風花となって降りてきた。

 もう一度「神子」と声をかけようとして、泰継は躊躇う。なぜだか、神子はこの世界の陽だまりをこの上もなく愛しているのだ。龍の神に拐され連れてこられた見知らぬ世界の他愛ない陽だまりなぞを。
 空を飛ばされてゆく雲は切れ切れで流れが早い。翳ってしまった極上の陽だまりは、またすぐに、神子のもとに戻ってくるのだろう。

 時を取り戻すように、この都の冬は駆け足で深まってゆく。時とは、否応なく進んでゆくもの。あるべき姿に向かって。
 舞い降りた風花はその報せ。
 この世界が遠からず、あるべき姿を取り戻す、と。
 終わりは、もうすぐそこまで来ているのだ、と。

 風が吹き降りてきた方向を確かめるように、泰継は天を仰ぐ。
 屋敷に連れ帰るよりも今は、神子と、神子が愛する陽だまりを。
 まどろむ神子を起こしてしまわぬよう、泰継はそこに静かに腰を下ろした。


 ◇

 人が知る「あたたかさ」というものを、泰継は、人が知るようには知らない。
 この陽だまりが、人にとってどれほどあたたかいのか。
 ここでまどろむことが、人にとってどれほど心地よいものなのか。
 その核心を、泰継はどれ一つとして知らない。
 ただ、たゆとう光の穏やかさ、この世界の「気」が淡く神子を包んでいること、神子自身の気が寧らかであること―――それらの状況証拠を積み重ねてゆくことしか泰継にはできない。

 「神に課せられた役目はお前の本意ではないはずだ。それでも―――・・・この場所を、」

 やわらかな頬にそっと触れ、だが、その先の言葉は泰継の胸の中でうまく結像しなかった。
 泰継の知る限り、「人」とは、あまり優しい生き物ではない。龍の神に拐されるように連れてこられた見知らぬ世界の、その他愛ない陽だまりを愛する―――「人」とはそんなふうに優しい生き物ではないのが“普通”だ。

 神子の優しさは神に見染められるほど。
 それなのに、この世界は、神子の優しさに縋るばかり。
 なんと浅ましいことか。
 それでも、神子はこの世界の陽だまりを愛するのか。

 「!」
 「ぁ・・・れ・・・?」
 「目覚めたか?」

 瞳を覗き込むようにそう問うと神子は瞬きをし、やがて、頬に触れた泰継の手に自分のそれを重ねて、はにかむように笑った。

 「―――わたしを見つけてくれるの、いつも泰継さん、ですね・・・」

 八葉として当然のこと、と応えるより先に、胸の奥に何かが灯る。泰継自身にも正体のわからない感情。見つけるたび神子が口にしてきた「ごめんなさい」よりも、今神子がくれた言葉は泰継を強く惹きつけ揺さぶるものだった。

 「神子、わたしは―――」

 その先はまだ言葉にならない。
 言葉にならぬまま目を伏せて、泰継は小さな体を抱き寄せた。
 ことわりもなく。そも、人外の者の分際で。八葉の役目というものを大きく逸脱しているようにも思ったが、目の前のひとをこの腕に閉じ込めたかった。

 神子を、その優しさごと守りたい。
 身勝手な神からも、人からも。
 その先に、世界を隔てる別れが待っているのだとしても。
 そこでまた、自分だけが「時」に取り残されるのだとしても。



 冬の陽だまり、やわらかな頬。
 次の年の風花の頃、神子はここにはいないだろう。
 ただ、抱きしめるこの刹那、この腕が、神子にとってあたたかいものであったらいい。
 そうして、神子のいない風花の頃、腕にあるこの“あたたかさ”を思うとき、それが遠く隔たれた世界でも神子の護りとなれればいい。

 「やすつぐさん・・・?」
 「神子、わたしはきっと―――このために生まれてきたのだろう。この刹那が永劫お前の護りとなるように」

 囁いた言葉はどこか祈りに似て。
 “終わり”が遠くないことを告げる風花とともに、その言葉は陽だまりの中で静かにとけていった。  



 Fin.

( なにもいらない。ただ君を守るために、僕はうまれてきたのだから )

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「風花だより」(泰継×花梨)



(photo by [0501] )