枯れた大樹は、まるで空に手を伸ばすように届かぬものに縋りつくように空に枝々を這わせ、その様子を神子は飽かず眺める。 「―――雨が降らないから」 罅割れた大樹の幹に手を充てて頬を寄せる。やがて深い碧色の瞳を伏せ、そっと樹の幹に両手を回して抱き締める。 「ごめんね………」 縋りつくように樹を抱き、神子は何度も何度もそう呟いた。 ―――雨が降らない。 それは、京の民の懸案事項。 神子が悲の感情を溢れさせて小雨が降ったのは一月以上も前のこと。鬼による呪詛が強められて、京を守護する要の地とされる場所に生える大木のいくつかが、枯れてしまった。 「―――神子のせいではない」 「………でも」 「なんだ」 「でも、私にはこれを止める力があったのでしょう?」 私って役立たずね、と言い、それにしても鬼って馬鹿かしらと悪態を吐く。 「京の人が嫌いならば、全員さらって説教でもすればいいのに。こんなことをしないで」 神子の言うことは時に支離滅裂で乱暴で、けれど、時に真実である。ここ二月ほど共に居て、そのことに気づいた。神子の言霊は、天啓のように鋭い。 「この樹だって、枯れた小川の魚だって………いい迷惑じゃないの」 「―――」 「―――陰険過ぎて、私、気に食わない」 その瞳に怒りの色を宿し、そうして、最後には必ずこう言うのだ。 「こんな悲しいの、本当に、嫌」 そうやって悲を抱きつつ、けれど静かに怒る神子の傍らに立ち、同じように大樹の幹に頬を寄せる。その幹をこの腕に抱いてみる―――が、水脈は見えず大樹の声も聞くことは叶わない。 大地に沁み込んだ雨は、このような大樹を伝いその枝の先端に到達し、やがて、空を目指す。その途上、まるで断末魔の叫びを上げているかのように枝を空に翳して、この大樹は死んでいた。 この大樹に宿っていた気はもう何処にも居ないのだ。 数百年の命さえ途切れるのは呆気ない。けれど、確かに其処に息づいていたものが故意に失われる苦しみと悲に、神子はいつも心を痛める。 大樹の乾き罅割れた幹に手を充てて、なおも小さく謝りつづける神子に、触れてもいいかと問いかける。 神子は何よりも悲しみに敏感であり、そして、それに同調しやすい気を持っているから。 仄かに口元を綻ばせて、どうぞ、と神子が言うので、大樹の幹に添えられた神子の手に己が手を重ねて呪を唱える。 「何のお呪い?」 「―――死の穢れからお前を守る呪だ」 やがて呪を唱え終え、手を離そうとするとそれを阻まれる。他ならぬ、この神子の手によって。 「神子?」 「温かい」 「―――」 「泰明さんの手は、温かいね…」 「………」 「ありがとう。泰明さんの手はいつも……そうやって誰かを…みんなを守ってくれるの」 少し表情を歪ませて、私も貴方みたいな手になりたい、と呟く。怒りよりも悲の色を強めながら。 「―――神子は笑えばよい」 「へ?」 「神子の笑顔には神気が宿っている。少々の気の澱みも歪みも正すには十分な神気が」 「………」 「私は―――神子の笑った顔が好きだ」 そう言ってから少々心許無くなり、“恐らくは”と一言付け足してみる。 神子は驚いたように瞳を瞬かせ、やがてそれを和ませて柔らかく微笑む。ありがとう、と、今日何度目かのその言葉を私に向けて紡ぎながら。そうして、私の手に指を絡ませて 「私は―――泰明さんのことが好きですよ」 「!」 「多分……ね」 私のほうは、最後に付け足されたその一言のために、酷く寄る辺無い心持になり、戸惑いながら天を仰ぐ。神子の細い指を握り返して、けれど、その神子の存在は遠くただ届かぬ空を渇望するこの大樹の枝々の如き思いで。 ―――神子はやがて天へ還される。 役目が終われば、何事もなかったかのように異界へ戻されて、彼の地において恙無く暮らしてゆくのだろう。それほどに遠き存在なのだ、神子は。 ―――否。 この地にあったとて、神子は、私とは隔たる存在なのだ。こうしてその細い指に触れていたとしても、天と地の狭間は遠く遥かな隔たりであり、それは即ち人と人に非ざるモノとの隔たりに似て。 だからこそ。 「神子―――」 「?」 小さく首を傾げながら、神子はこの大樹の幹から身を離し、繋がれた指の傍にその身を寄せる。 届かぬ筈のものは、こんなにも近くに居て。僅かにでも触れているはずなのに、まるでこの空のように遠くつかみ所はなく。 だからこそ。 「―――え!?」 手首を強く引き、此方に倒れこむ神子を抱きとめて閉じ込める。 たとえ、この腕で抱き締めたとしても、彼女の存在は遠く届かぬものであることに変わりはなく。そのことを、只、確認するだけに終わるというのに。 「今は唯―――」 こうして触れさせてくれ、と、その細い肩に顔を埋める。 届かぬものを確かに掴みたいと願う、空への渇望に似たこの衝動のままに。 Fin. まど・みちお『梢』が、モチーフと言えばモチーフ。 なんとなく、泰明の片想いっぽい状態が好き。それが恋かどうかも判らないまま好き、みたいな感じで。 |