神さまが、あんなふうに泣くなんて知らなかった。 おおきなしろい龍が、金色の瞳から、おおきなおおきなしずくを落とす。 しろい龍の娘である、わたしは ひとりでこの神さまを喚んだ。 くろい龍の娘の手も、私が愛しているひとの手も借りず ただ、神さまの手を借りることを決めた。 神さまが選んだのではなく、鬼であるひとが選び 神さまは、ただ追認しただけの神子であるわたしは 神子として、少し足りないところがあったのかもしれない。 あるいは、神子として、どこかバランスが悪かったのかもしれない。 神子の責務を果たすのに十分な気力と、けれど、それを御するには不十分な体力と。 この三月の間、風邪一つひくことなくこの地で過ごせてこれたのは、今思えば ひとえに―――この目の前で大粒の涙を零している、神さま、のお陰だったのだろう。 しろい龍の神さまは、強く優しい。 けれど、その神さまにだって不可能はあるのだ。 元来体の弱いわたしが、神さまをこの身に降ろしたことで、わたしの生命は、まさに風前の灯火。 今いるこの天界から地上へ戻れば、わたし、という存在は消えてしまうのだろうと。 そう言って、しろいおおきな龍は、しきりに涙を零す。 嗚呼。 わたしが思うよりもずっと、わたしは、この神さまに愛されていたんだと。 それを深く深く理解しながら、 同時に。 わたしは、神さまに酷いことを言った。 「帰ります」 「―――我が神子よ。それはならぬ」 「こんなに私を愛してくれている貴方の傍に居れば、生きながらえることはできるのでしょう。だけど」 ―――だけど、此処には愛しているひとが居ないのです。 「それは、生きながらえていたとて、生きているとは言えないのです」 「帰れば、そなたの生命が終わってしまう」 「帰ることで生命が終わったとしても。帰ることで、私は生きることができる」 「―――」 「貴方のような優しい神さまの手を借りておきながら、わたしは、その代償を払う気なんてこれっぽっちもないの。貴方が流す涙を見ても、それでも私は、無傷でピンピンしてあのひとの許に帰ることを、諦めません」 ―――諦めるなんてできるわけない。あんな愛しいひとを。 「わたしを、あのひとのところへ帰してください」 せめて、最期に―――あのひとの顔を見たい。 もしも、最期になるのなら、わたしは一生でいちばん綺麗に微笑って、それをあのひとの網膜に焼き付けてしまいたい。それがたとえ、あのひとの未来を縛ることになっても。 そして、もしも生きていけるのなら、あのひとの傍でなければ意味が無い。やはり、あのひとの未来を縛ることになろうとも。 わたしは、こんなふうに、ずっとずっと我儘に欲張りに生きてきた。 最期にそれを已める(やめる)なんて、神さまにお願いされたって今更そんなことできるわけない。 龍の金色の瞳から溢れる涙を、一生懸命受け止めてあげながら ただ、消えるかもしれない自分への惜別の涙なのか それとも神さまを裏切った贖罪の涙なのか はたまた、愛しているひとへの思慕の涙なのか ポロポロとわたしの瞳からも涙が零れ落ちて、いつしか、しろい龍の鬣(たてがみ)にすがり付いて声を挙げて泣いていた。 「ごめんなさい。貴方の意に背いて、わたしは、あのひとのところに帰ります」 神さまの意に背くわたしは 陰陽の理に背いて存在しているという、愛しているひとと きっと、よく似た罪を背負うことができるのかもしれない。 同じところに堕ちて 同じところで、わたしは、あのひとを愛することができる。 だから。 永遠の生命など、いらない。 ただ一瞬あのひとに会えるかもしれないという、その、私が生きている全てが詰まった一瞬のために、わたしは神さまの手を振り払い、その意に背いてみせる。軽いとは言えない罪を背負って。 だた、愛しいあのひとの許へ―――あのひとの温かく優しい手に。 それは、わたしが決めたたった一つの帰る場所。 狂おしいほどに、愛おしい―――人ではない、あのひとの許へ。 Fin. 龍神を召喚したあかねの帰還話。 |