龍 の 眼 の 泪




神さまが、あんなふうに泣くなんて知らなかった。
おおきなしろい龍が、金色の瞳から、おおきなおおきなしずくを落とす。

◇ ◇

  しろい龍の娘である、わたしは
  ひとりでこの神さまを喚んだ。
  くろい龍の娘の手も、私が愛しているひとの手も借りず
  ただ、神さまの手を借りることを決めた。

  神さまが選んだのではなく、鬼であるひとが選び
  神さまは、ただ追認しただけの神子であるわたしは
  神子として、少し足りないところがあったのかもしれない。
  あるいは、神子として、どこかバランスが悪かったのかもしれない。

  神子の責務を果たすのに十分な気力と、けれど、それを御するには不十分な体力と。
  この三月の間、風邪一つひくことなくこの地で過ごせてこれたのは、今思えば
  ひとえに―――この目の前で大粒の涙を零している、神さま、のお陰だったのだろう。

  しろい龍の神さまは、強く優しい。
  けれど、その神さまにだって不可能はあるのだ。

  元来体の弱いわたしが、神さまをこの身に降ろしたことで、わたしの生命は、まさに風前の灯火。
  今いるこの天界から地上へ戻れば、わたし、という存在は消えてしまうのだろうと。
  そう言って、しろいおおきな龍は、しきりに涙を零す。

  嗚呼。
  わたしが思うよりもずっと、わたしは、この神さまに愛されていたんだと。
  それを深く深く理解しながら、
  同時に。
  わたしは、神さまに酷いことを言った。
  「帰ります」
  「―――我が神子よ。それはならぬ」
  「こんなに私を愛してくれている貴方の傍に居れば、生きながらえることはできるのでしょう。だけど」

  ―――だけど、此処には愛しているひとが居ないのです。

  「それは、生きながらえていたとて、生きているとは言えないのです」
  「帰れば、そなたの生命が終わってしまう」
  「帰ることで生命が終わったとしても。帰ることで、私は生きることができる」
  「―――」
  「貴方のような優しい神さまの手を借りておきながら、わたしは、その代償を払う気なんてこれっぽっちもないの。貴方が流す涙を見ても、それでも私は、無傷でピンピンしてあのひとの許に帰ることを、諦めません」

  ―――諦めるなんてできるわけない。あんな愛しいひとを。

  「わたしを、あのひとのところへ帰してください」
  せめて、最期に―――あのひとの顔を見たい。
  もしも、最期になるのなら、わたしは一生でいちばん綺麗に微笑って、それをあのひとの網膜に焼き付けてしまいたい。それがたとえ、あのひとの未来を縛ることになっても。
  そして、もしも生きていけるのなら、あのひとの傍でなければ意味が無い。やはり、あのひとの未来を縛ることになろうとも。
  わたしは、こんなふうに、ずっとずっと我儘に欲張りに生きてきた。
  最期にそれを已める(やめる)なんて、神さまにお願いされたって今更そんなことできるわけない。

  龍の金色の瞳から溢れる涙を、一生懸命受け止めてあげながら
  ただ、消えるかもしれない自分への惜別の涙なのか
  それとも神さまを裏切った贖罪の涙なのか
  はたまた、愛しているひとへの思慕の涙なのか
  ポロポロとわたしの瞳からも涙が零れ落ちて、いつしか、しろい龍の鬣(たてがみ)にすがり付いて声を挙げて泣いていた。
   「ごめんなさい。貴方の意に背いて、わたしは、あのひとのところに帰ります」
  神さまの意に背くわたしは
  陰陽の理に背いて存在しているという、愛しているひとと
  きっと、よく似た罪を背負うことができるのかもしれない。
  同じところに堕ちて
  同じところで、わたしは、あのひとを愛することができる。

  だから。
  永遠の生命など、いらない。
  ただ一瞬あのひとに会えるかもしれないという、その、私が生きている全てが詰まった一瞬のために、わたしは神さまの手を振り払い、その意に背いてみせる。軽いとは言えない罪を背負って。
  だた、愛しいあのひとの許へ―――あのひとの温かく優しい手に。

◇ ◇

それは、わたしが決めたたった一つの帰る場所。
狂おしいほどに、愛おしい―――人ではない、あのひとの許へ。

Fin.


龍神を召喚したあかねの帰還話。