ただ一切は過ぎてゆく―――それが長い孤独の果てに得た唯一の真理だと言うその人の瞳には、たくさんのものが映っているのに…。 山の端、高い樹の枝に座って、眼下に広がる京の町を見詰める。隣に同じように座し、わたしの背にそっと手を添えてくれるその人の横顔は、今此処にある空気と同じように凛として何処か張り詰めていて 「神子は高いところを好むのだな」 「馬鹿ですから」 「どういう理屈だ」 「馬鹿と偉い人は高いところが好きなんです」 「―――」 「偉い人は高い地位を。馬鹿は馬鹿だから只求めるままに高い場所を」 馬鹿というのは、蝋(ろう)の翼で本気で太陽を目指すような人のこと。飛んで火に入る夏の虫のような人のこと。全てから遠ざかって生きている人を―――そんな人を好きになる私のこと。 「神子、いったいその不機嫌の理由は何だ」 「―――」 「気が済むまで此処に居ても良いが、身体に障らぬように気をつけるべきだ」 「―――」 すぅっと、息を大きく吸って、両腕を前に伸ばす。 肺の中を身を切るような冷たい空気で満たし、いつもより早い鼓動に意識を持っていかれないようにして―――そうして大きな弧を描く。 見晴るかす京の都を、その弧の中に納めて隣に居る人の横顔を見上げ 「泰継さんは、こうやって遠くから全部を観察してきたんですね」 「………………そうだ。移ろいゆく人の世を、そこに触れず只眺めてきた」 「でも」 彼の視界全部を、再びこの弧に納める。 「この中に、泰継さんだけが入っていないんです」 「――――――?」 彼の瞳には沢山のものが映っているのに、彼は彼自身を見ようとしない。だから、隣に居る私のことが理解できない―――きっとそう。私から彼へ向かう想いは、彼の視界の中で行き場を喪って乱反射して彼の視界を曇らせてしまう。そうしてただ、理解しがたい行動をする私、だけが彼の視界の中に居て… ―――私を見て、と言う代わりに、貴方を見て、と言えばいいのでしょうか? 彼の瞳に映るものと彼自身とを同じ世界に置き、『ただ一切は過ぎてゆく』と言う彼の真理を覆したい。過ぎ去ってゆく一切のものが足を止た瞬間、私の想いは一直線に彼に届くはずだから。 両手いっぱいを広げて弧を描き、彼の視界を其処に納める。そうして、同じ弧の中に、彼自身を閉じ込めてしまおう。 神様、どうか私に勇気を下さい。 「泰継さん」 「なんだ」 彼は横顔のまま。私のことなんか見ていない。 だから。 「私は、泰継さんのことが好きです」 それが合図。 此処が高い場所だとか、そんなことは関係ない。だって、私は馬鹿だから。 少し勢いをつけて、彼の視界を納めた両腕を彼の首の後ろに回し彼を閉じ込める。逃げ道なんて、つくってあげない。 「―――!」 一瞬彼が息を呑む。 咄嗟に片手を木の幹について、もう一方の腕で私の身体を抱き止める。 「貴方を見て下さい」 それしか思いつかないの。 「―――そうして、想いを辿って―――…どうか私を見てください」 「………み…こ……?」 上ずった声。 頬に伝わる彼の鼓動。 それ以上に五月蝿いのは私の鼓動―――その鼓動に意識を持っていかれないように、唇を噛んで、精一杯の力で彼を閉じ込める。 そうして、私は祈るだけ。 貴方を通り過ぎてゆく一切のものが足を止め 貴方が貴方を見て 私から貴方へ向かう想いを辿り、私を真直ぐに見つめてくれるように。 Fin. 「ただ一切は過ぎてゆきます」は、勿論、太宰治より。そんなことを言ってくれるからには、継さんの過去も“阿鼻叫喚(あびきょうかん)”でなければなりませんな。 太宰なこと言ってるヤサグレ継さんに花梨アタック! |