大 好 き




 好ましいという言葉に、その“程度”を表す言葉を付加した上で神子は私の目を覗き込む。
 ―――大好き、と。そう言いながら。


 その『大好き』の対象の内訳を問うと、
 「何がどうと言うのではなくて、でも、細かくこんなところがと言うのも確かにあるにはあるんですけど…結局よくわからなくて。多分…全部?なんです…」
 キョトキョトと瞳を泳がせてから俯き、さらに頬を染めてそんなことを言う。
 私もやはり結局はよく判然らずに、俯いてしまった神子の頬に手を伸べる。

◇ ◇

 そもそも人外の者である私は、長いこと謂わば安倍家の道具として生かされてきたし、それ以外の在り方を知らない。その私が、真逆、人の恋情の対象になるとは思いもよらず、さらに、それが龍神の神子であるこの少女が抱く恋情であることに些か驚き、また、戸惑う。
 我が事でありながら他人事のようであり、この神子の幸先を考えれば当然の結論として、
 「莫迦なことを言うものではない」
と諌めることとなる。神子は、私が人ではないと知っていよう、と。
 それなのに、瞳を伏せて神子は呟く。
 頬に触れている私の手に、自らの小さな手を重ねて
 「知っているけど、大好きなんです」
などと。戯言めいたことを酷く思いつめたように真剣に言い、手に負えない。さらには、その深い碧色の瞳を此方に向けて
 「泰継さんは、どんなふうに思っているんですか?」
と、逆に問い返される。
 「偽者の身のうちのことなど聞いて、どうするつもりだ」
 「は?」
 「存在自体が偽である故、その身の内にあるものも、また偽であると採るが真であろう」
 「――――――」
 「神子?」
 「あの…それって、気持ちが偽物ってことですか?」
 まあそういうことだ、と、応えると、いきなり泣かれた。
 「…………………み…こ?」
 困った―――と、途方に暮れる。
 怨霊を前にしても、敵対する勢力のものになじられようと、涙を見せなかった神子が、たかだか、人外の者の身の内のことで涙を流すとは。怒りとも悲しみとも悔しさともつかぬ感情の渦を作りながら、神子はボロボロと涙を零す。
 「や…すつ…ぐさんの…嘘吐きっ!」
 「嘘は、言っていない」
 「ちがい…ます……嘘つきです。わ、わたし…知っています」
 しゃくりあげながら酷く興奮した様子の神子に、何故か胸元を殴られる。
 「神子、癇癪を起こすものではない」
 「だって…!」
 尚も、此方に力なく殴りかかりながら、神子は続ける。
 「だって。気持ちに偽物なんてないもの! 偽物なのは…気持ちを偽ろうとする言葉や行動でっ…気持ちそのものは、全部……全部、本物なんです!」
 そこまで一息に言い、再び、わっと泣き出した。
 益々途方に暮れ、神子の細い両手首を掴んでどうにか落ち着かせようと試みる。
 ここまで狼狽える自らにも違和感を覚えつつ、また、神子の流す涙を見るにつけ、胸がキリキリと痛んだ。この場で訴えても致し方のないことながら、只の動く人型であるはずの私に師は何故痛覚を与えたのだろうか、と恨み言さえ頭を過ぎる。
 「神子―――聞いてくれ」
 手を掴まれながらも逃れようと暴れる神子を抱きこんで、頼む、とその耳元で小さく懇願する。胸に押さえつけるように抱いて、その背をそっと撫でて落ち着いてくれるようにと、口には出さずにそう願う。
 「神子がそのように望むのならば、言葉を尽くそう。尤も、お前が望むことを言えるのかどうかは判然らぬが―――しかし、私の―――この人外の者が身の内に抱くもの、お前たちでいう感情と思しきものについて言葉を尽くすならば………」
 漸く大人しくなった腕の中の小さな身体の重みを確かめつつ、ゆっくりと、言葉を選ぶ。
 「私は、お前が神子でよかったと思っている。お前だから、全力で守りたいと、そう思ったのだろう」
 「………」
 「それに。こうしてお前が泣けば笑顔になってもらいたいとも思い、その笑顔は一点の曇りもなくお前の心底のものであればよいと願う。そして―――その笑顔が此方に向けられれば、私は安堵もする」
 それが人の抱く情とどれ程の違いがあり、また、何が同じなのかも判らないまま、ただ、偽りの生命を与えられた者が抱く、何か、であることだけは確かなのだけれど。
 「兎に角、人ではない私は、そういう…願い、のようなものを抱いている」
 我ながら、慣れぬ作業はするものではないと思う。こうして言葉にして口に出すことは、どこか、痛みを伴う作業だったのだから。自分は人ではないのだ、と何度もそう言い聞かせながら、その都度身の内の何かが崩れそうにもなる。
 そっと息を吐き、これで勘弁してもらえまいかと、神子に問うと、ぐずぐずと涙を滲ませながらも勘弁してあげます、と小さく返答があった。僅かに安堵して、漸く腕の力を緩めてやる。
 そうして、涙をいっぱいに溜めた瞳に見上げられて、思わずたじろいだところ
 「嬉しいです」
と、実に清々しいほどに弾んだ声で言われて、さらに、たじろぐと
 「私、やっぱり泰継さんのことが大好きです」
などと宣言されてしまい、そこでハタと、気づかされる。神子のこの莫迦な考えを改めさせることが本来の目的ではなかったのか、と。
 「……み…こ…?」
 いったいこの娘に何度途方に暮れさせられるのかと、こめかみを押えつつ、先ほどまで泣いていたくせに、その細い指を私の手に絡めてあどけなく笑うさまを見、今日のところはこれで引き下がるしかなかろうと諦める。

 そうやって、何度も
 ―――大好きという言葉と
 ―――神子の泣き顔と
 ―――笑顔とが繰り返される中で
 いつしか、神子の瞳の中に映る自らの表情が―――人が恋情を抱いたときのそれに似ているということに気づいて、私は、そのあまりに有得ない事態に実に情けないほど狼狽えることとなる。

◇ ◇

 いったい何時になったら、この、云わば拷問のような事態から抜け出せるのかと溜息を吐きながら、半ば諦め、半ば認めたくないながらも嬉々として。人外の者である私が、年端もゆかぬ小娘の戯言にすっかり踊らされている浅ましさと滑稽さと諧謔とを 噛みしめながら、淡く雪化粧した京洛の街をその小娘の供として小さな手を引いて歩く。
 そうして、今も―――そっと袖を引かれたので、身をかがめてやれば、やはり耳元で囁かれるのだ。何かが動き始めた切欠であり、この収拾のつかない混乱の始まりであるその言葉を。

 ―――大好きです、と。



Fin.




継爺のオイラクノ恋。