「泰継さん………シリトリしよう?」 「………」 私は、しばし見上げられた瞳を覗き込む。 「花梨、何か不安なことでもあるのか?」 童のする遊びを強請るのは、甘えたいと思うほどに何か不安に感じているということか。覗き込んだ深碧色の瞳が、くるくると動いた。 「そんなんじゃありません」 「では、どうしたのだ」 「うーん。なんとなく」 なんとなく。 未だに、私には理解しがたい言葉だ。 ………なんとなく。 なんとなくとは、『何とは無く』ということであろう。理由も無いのに、何がしかの欲求があるというのが私には理解できない。 「花梨、その『なんとなく』というのが判らない」 「え………。それは困りました」 私も困っているから、訊いている。 きょときょと、辺りを見て花梨が目を泳がせる。明らかに不審………なのだが、愛らしい。 やがて、手に握ったエノコログサに目を留め 「これのせいかも………」 「?」 エノコログサ、か? ますます理解できない。 「エノコログサと、『なんとなくシリトリ』の因果関係が、私には全く判らない」 「えぇっと。エノコログサは、こうして揺れて」 ふむ。 花梨が、エノコログサを揺らす。正確には、花梨が手に持っているのはアキノエノコログサというものだ。 「………こう揺れると、じゃれ付きたくなるっていうか」 「………エノコログサにじゃれ付きたくなるのか?」 「そうなんですけど」 「けど?」 「えっと。エノコログサを観ていたらじゃれ付きたくなって、でも、エノコログサにじゃれ付きたいのではなくて………泰継さんにじゃれ付きたくなりました」 「………判るような………いや、判らない」 「困ったな」 「エノコログサが揺れる様を見て、お前は、何かにじゃれつきたいと思い、どういうわけか、私にじゃれ付きたく思い、じゃれつく手段として、シリトリ、なのか?」 「そうみたい……です」 私は嘆息するしかない。じゃれつく対象が、エノコログサから私に変わった理由が、また判然としない。 「なぜ、エノコログサではなく―――」 そこで、どっと音を立てて風が吹いた。私の声は、途中でかき消されてしまう。 けれど。 「うーん。どうせじゃれ付くなら―――」 髪を乱しながら、花梨が、少し大きな声で言った。 「好きな人がいいからです!」 「―――!!」 『なんとなく』というのは、たいそう、複雑なものを孕んでいるようだ。エノコログサからシリトリへと至る『なんとなく』の中に、私を慕う花梨の想いが介在している。 彼女の背丈ほどもあるススキとエノコログサの野原で、私は、そのことを知りやや呆然とする。 夕日を受ける野原の上を風が渡り、其処は、まるで金色(こんじき)の海のようだ。その海に立ち尽くし、波間にいる小さな身体を捜す。北西から、また風が吹いた。音をたてて風が渡る。空は澄み、遠い―――もう冬が近い。 「花梨、こう風が強くてはシリトリは無理であろう」 声が、この風に浚われてしまう。 風渡る野、その先を走っていた彼女にやっと追いつく。 冬を載せた風に背を向けて、小さな身体を抱き込んで庇う。 「―――そうですね。ごめんなさい。我ながら変なこと言いました。もう帰りましょう…風も冷たいです」 風が冷たい―――花梨は髪が短いので、首元が寒いのではなかろうか。 「耕太郎、帰ろっか」 私の腕の中、花梨が足元にいる飼い犬に声をかける。 年老いてやや白くなった瞳と赤茶けた鼻を花梨に向け、耕太郎は尾を振った。飼い主の言葉を了解した様子である。 「わ、ほんとに風強いですね」 また風が吹いて髪を揺らし、彼女の首筋から耳後ろの白い肌が見え隠れした。それを彼女の手が髪を押えながら隠してしまい、小さく落胆する。 「………」 次に、風が吹いたら………。 「―――っひぁ」 首筋に唇を寄せると、驚いて、身を竦ませた。 「な。泰継さん、急に変なことしないで」 「変なこと?」 「首に………」 こうすることか? 「……ひぁっ」 頬を膨らませて、こちらに振り返った。 「なんで?」 「………なんとなく、だ」 「その、なんとなく、が判りません!」 「お前にも判らないのか!?」 「あ、当たり前です。そのなんとなくは、泰継さんの『なんとなく』でしょう?」 ―――確かに。 風が吹いて、花梨の首筋が見えて、それが愛しい花梨のものなので、 私はつい、唇を寄せた。 ―――なるほど。 此処にも、花梨を慕う私の想いが介在しているではないか。 「この『なんとなく』も、同じだ」 お前が愛しいからだ。 「???」 少し眉を寄せて困惑した様子の花梨が酷く愛らしく、 やはり『なんとなく』―――わたしはその唇に深く口吻けた。 Fin. 帰り道、泰継殿のほっぺには、赤い手形がくっきりついていたことでしょう。。。(ありがち) |