冬 の 月




 晴れた日―――寒い夜空に浮かぶ冬の月は、いつも一人ぼっち。

 冬の空気は冷たく研ぎ澄まされているものだから、霞や朧みたいに淡く月を守るものなんて何処にも無くて。
 守るものを持たない一人ぼっちの月は、無機質で、透明で、まるで刃物みたいな光を放ち、地上のものを淡く照らしながら鋭く全てを暴こうとする。
 異界で見た冬の月も。
 生まれ育ったこの地で見上げる冬の月も。

 やっぱり、冬の月は一人ぼっちで、その月光は刃物みたい。

◇ ◇

 目を覚ましたのは、どうやら夜半過ぎ。
 カーテンの隙間から月光が射していた。
 私を抱き込むようにして眠る恋人の心音を背に聴きながら、青白い光を目で追い、ぼんやりした頭で、彼の部屋に泊まったことを思い出す。
 それから、ゆるく抱き締められたまま身体の向きを変えて彼の胸元に鼻をくっつけて、なんとなく安心する。
 見上げると、月光の下で彼の長い睫毛が目元に影をつくって―――ああ、眠っていても私の彼氏は美人だな―――と、またどうでもいいことが頭に浮かんで、一人ひそひそと忍び笑いする。  こっそり笑いながら、ふっと視界を過ぎるその沈む蒼い光を辿り、再び外の月影を見れば、好きになったこのひとのことを自分は本当に何も知らないのだと、何処か痛いような心細いようなそんな心持になって眉を顰める。
 冬の月光は、刃物のよう。
 そんなことを言えば、きっと彼は笑うのかもしれないけれど、この無機質で透明な光を、痛いのだと、後ろ暗いところがある私はそう思ってしまうのです。
 彼の長い長い孤独は、そう簡単には埋められるものではないと理解しているけれど、この青白い月光に照らされた闇は、一つの事実を突きつけてくるのです。
 ―――私は、このひとの詳しい過去を何一つ知らないのだと。
 そして。
 満たされたあとも、私をこうやって腕に閉じ込めて眠るひとを、このひとの心を、私は、ちゃんと守り支えてあげられているのかと、そんな不安もまたこの月光に暴かれてしまうのです。
 たった三月の間一緒にいただけで好きになったひとは、その長い過去について多くを語りたがらないし、私も、それ以上訊くことは出来ずにいます。
 どうして、そんなふうに柔らかく優しいキスの仕方を知っているのかとか。
 孤独に過ごしてきたはずなのに、肌を合わせ身体を繋ぐことの愛おしさを知っているのかとか。
 今、私に真っ直ぐに愛情を向けてくれるこの人が、果してどんな時を過ごしてきたのかを、知りたいと思いつつ知ることを怖れています。
 このひとの過去について知っているのは、呪術が介入した出生のことと。
 安倍家の禁忌とされて、隠すように庵を与えられて其処に永く暮らしていたこと。
 そして、その並外れた陰陽の力を―――力だけを、安倍家に頼られてきたこと。
 それから、誰も―――彼自身さえも―――彼の抱く心に目を向けてこなかったのだということ。

 好きになったひとについて、私が知っているのは、たったそれだけ。

◇ ◇

 やがて、伏せられた睫毛がわずかに揺れて、ぎゅっと抱き締められた。
 「………花梨?」
 耳元で名を呼ばれ、そのくすぐったさに肩を竦ませる。
 「ごめんなさい。起こしちゃった?」
 「お前の気が…揺れたようだったので」
 開かれた瞳は―――綺麗な琥珀と翡翠の色。
 「どうした花梨」
 「どうもしません。泰継さんは美人だなぁって、ちょっと見蕩れていただけです」
 「………相変わらず、お前は面妖しなことを言う」
 そう言いながら、明らかに信用していない表情をして、人の頭をぐしゃぐしゃ掻き回す。すっかりボサボサになった私の髪を見て小さく笑い、何やら北山にいた動物のようだな、なんて、恋人である私に向かって失礼なことを言うものだから
 「泰継さん」
 「………なんだ?」
 「なんでもないです」
 「………」
 用もないのに名を呼ばれることを到底理解できない彼は、思ったとおり困ってくれて、眉を寄せたその彼の表情に意地悪にも私は満足する。
 可笑しいやら愛しいやらで、仄かに口の端が緩んでしまい、それを誤魔化すために、掠めるように彼の唇にキスをする。
 少し面食らって、パチパチと瞬きをしてから、その愛しいひとは私をぎゅっと抱きなおし
 「まったく、お前は…」
と、頭上で何やら口篭もったりする。

 ―――そんな些細な反応一つで、愛おしさが募るのだと、貴方は知っていますか?

 「泰継さん」
 「………?」
 「―――大好きです」
 「―――」
 多分、彼が語らない彼が過ごしてきた長く過酷な時間ごと。
 彼が背負っているであろう、何か、重い十字架ごと。
 それを知ったとしても、また、何にも知らないままだとしても、貴方のことを心から愛せるのだと、そう伝えたいのだけれど。その過去に直接触れる勇気が足りない中途半端な私は、今は只

―――大好きです、と。

その言葉しか贈ることができずにいます。
 「…花梨?」
 想いを伝える術を知らないことをもどかしく思いながら、まるで刃物のような冬の月光の下、きっとたくさん傷ついてきたであろう彼の心ごと精一杯の力で、私はこの愛しいひとを抱き締めるのです。
 冬の月が、いかに真実を晒そうとしたとしても。
 その光が、いかに鋭く、この人の過去に突き刺さろうとしても。
 こうやって抱き締めて、優しい言葉でくるんであげれば彼を守れるような―――そんな根拠の無い自信にすがって。
 今はもう、一人ぼっちではないこの人を、冬の月に攫われてしまわないようにと、そう願いながら。

 抱き締めて。
 大好きですと。
 其処に、愛していますの想いを載せて。
 少しでも、彼の孤独を埋められるように。


Fin.


本当は、もっと大人な話にしたかった・・・。