気がつけば雪合戦に飽きたあかねが、雪だるま作りに興じていた。 手袋など、どこかに放り出し、拾ってきた木の枝の先に自分のハーフブーツを逆さにひっかけて雪だるまの腕に見立てて、ニットキャップまでその雪だるまに譲ってやり、片足がブーツで片足が靴下というアンバランスな格好をして、ひどくはしゃいでいたのだ。 「馬鹿か!!? お前は………またっ」 そう叫んだ泰明のところに、あかねが駆け寄ってきた。泰明の思いを知ってか知らずしてか、嬉しそうに瞳を輝かせて。 「ね、あの雪だるま、腕が強そうでカッコイイでしょう!?」 勢い良く飛びついてきたあかねを、慌てて抱きとめる。抱きとめて、雪の中に一緒に倒れこみながら―――やはり、気がついてしまう。彼女が、ひどく軽いことに。 コートを着込んでいても分かる線の細さ。抱き締めるその身の頼りなさ。 ―――もう何度目だろう? この娘の身を案じて、心臓が止まりかけたのは。 「自業自得と言うものだ」 「……………」 雪の翌日。ここは元宮家の二階、あかねの寝室。額に冷却シートを貼り付けてやりながら泰明はため息をつく。 「だいたいお前は無茶をする。そもそも体力がないものを」 「…ゴメンナサイ」 熱で潤んだ目を向けて、あかねが掠れた声で言う。 「雪の中で靴を脱いで走っていては、こうなって当然だ」 ピピピっと体温計が鳴る。 「37度9分。まったく、お前は昔から思慮が足りない」 病人のあかね相手に泰明の小言が続く。 「威勢と気力はあるものの、お前の体力はそれに遠く及ばない。自重することをいい加減覚えろ」 (…むかっ!) 「怒るとさらに熱が上がるぞ」 体温計をリセットしてケースに入れる。 「母御が戻られるまでここに居る。早く眠れ」 (………まったくお母さんたら) すでに交際4年目に突入なので、泰明はあかねの家族にすっかり馴染んでいる。例えば、元宮家に彼のお茶碗とお箸が用意されているくらいに。 昨日のあかねの暴れぶりから心配になった泰明が訪ねてみれば、案の定だったということらしい。先ほどからチクチクと小言をお見舞いされ、さらには、出会ったばかりの頃みたいにギロリと冷たく睨まれたりで、自分の寝床に転がっているというのにあかねは肩身が狭い。勿論自業自得なのだとよくわかっているけれど。 対して、あかねの母親などは相当暢気なもので 「あらあらぁ丁度よかったわ〜泰明さん、あの子のこと見ててちょうだいね〜」 などと言いながら、後を託してさっさとパートに出かけてしまった。娘の交際相手というよりは、彼のことはほぼ“家の子”扱い。ことによると娘よりも信用しているかもしれない。 (ああもう………まったくお母さんたら) なんとなく複雑な心境になって、あかねはごそごそと掛け布団を引き上げた。 「泰明さん?」 何だ?というように、泰明は読んでいた本から顔を上げた。相変わらずの無愛想に、あかねは苦笑する。 「あの。来てくれてありがとう………」 「随分と、殊勝な物言いだな」 「………もう、人が素直にお礼を言ったのに…」 「やはり病のせいだな。あかねが素直でしおらしいとは」 (う………。育て方を間違ったかも。こんな厭味を言う子になって!) いつもなら鉄拳を飛ばすところだが、そんな気力もなくあかねは枕の上で力なく笑う。その表情のまま、枕元にやってきた泰明を見上げていると 「あまり、心配をさせるな」 そう言って、泰明が困ったような寂しいような笑顔を見せた。それから、あかねの顔を覗き込み、その唇にゆっくりと口吻けを落とした。 (――――なっ!!??) 「う………うつっちゃいますよ」 「お前が治るなら、それでいい」 「///」 しれっとして、心臓に悪いことをやってくれるのは京に居た頃から変わらない。 「成人式とやらは、もう来週であろう」 「………うん」 「だったら、早く治せ。病は私が引き受ける」 自業自得だとか言って怒っていたくせに、こんな風に彼はいつも優しい。 「―――…っ」 熱が高いあかねは、涙もろい。頭もぼーっとして自分でも何を考えているのかよく分からなかった。ただ、ジワジワと涙が溜まっていくことだけは分かって。天井が滲んで。 (―――駄目だ。泣けてくる………) 「どうした。どこか痛いのか?」 「………ちがう…の……」 困らせてゴメンねと、心の中であかねは呟く。そうして、困ってる顔まで美人な泰明をずるい、と思ったりもする。 「………何か、泣きたいの………」 ぼんやりとした思考の中で判るのは、ただ、泣きたくなったということ。きっと、彼の変わらぬ優しさに、それからひどく体力の落ちている情けない自分に。 「あかね…」 しょうがないなといった表情でため息を吐くと、泰明はそっとあかねの手を握った。 「不安なのか? 私はここに居る。お前は早く眠れ」 「………うん」 漸くして、眠ったあかねの目元からつっと涙が一筋流れた。 「―――」 何がそんなに悲しいのか泰明には分からない。ただ、出会ったときと同じようにあかねの涙は美しいと思った。 あかねは、こうしてよく熱を出す。まるで、気を使い果たしてパッタリ、という具合に。だから、昨日のはしゃぎぶりに嫌な予感はしていたのだ。 幼い頃から、あまり体は丈夫ではなかったのだと、母親から聞いた。 何処が悪いというものでもなく体力が無いのだと。冬に風邪をもらってきて肺炎にまで悪化させ入院したことも一度や二度ではなく。中学校に上がってからはいくらか丈夫になったものの………ここ数年は、また幼い頃に逆戻りしたようだ、と。 そう言われて、泰明は居たたまれなかった。 その原因を知っている。 彼女は―――神を、龍の神を、その身に降ろしたのだから。 握っている手を見遣る。 細い腕、華奢な手首、降りしきる雪の中で抱きとめたあかねの軽さ。 (―――もう、3年は過ぎて………4年近くになるのか) あの日から―――龍の許から帰ってきた彼女を抱きとめた、あの時から。 あの頃も今もあかねの気質というものは、変わっていない。こんな時ばかりは、腹立たしい。どうして自分の身体を労わらないのだろう、この娘は。周囲の者たちへは十分過ぎるほど労わりの気持ちを持っているのに。 握った手から、あかねの体温が伝わってくる。高熱だから、きっと辛いだろう。呼吸も浅い。 こんなあかねを見るたびに、こちらの世界に戻してやれてよかったと泰明は思う。 龍神の加護など、いつまで続いたものか分からない。大概に於いて、神というのは気まぐれで信用ならないものだ。あちらの世界に留めたま、気紛れな龍の神の加護が彼女から遠のいたら。そう思うと気が遠くなる。こちらの世界のほうが、こんなときやはりあかねに十分なことをしてやれるだろう。 『龍神の神子』を守る八葉であったにもかかわらず、否、八葉であったからこそ、泰明は龍神に対して今でも怒りが込み上げてくる。 龍の加護を受けながら、その神気に憑り殺される。 元来体力のないあかねは、ともすれば、そんな運命を辿ったかもしれないのだから。 (―――よく生きていたものだ) 神泉苑で、龍の許から泰明の腕の中にあかねが戻ったときのことは、忘れようもない。あの痛々しいほどに消耗した身体。彼女の輝くような気が見えなくて、血の気が引いた。存在の危うい彼女が消えてしまうのが恐ろしくて、泰明は、ボロボロ泣きながら必死で抱き締めたのだ。 あれから3年以上。 けれど、あかねの身体は、まだ完全には回復していなかった。 気まぐれに彼女を選び、その生命を脅かした龍神が憎かった。彼女を守る者として、泰明は、歯噛みするほどに悔しい。あの日、彼女に龍を呼ばせてしまったことが。 (―――?) 涙で濡れた睫毛が僅かに震えた。 (―――夢でも見ているのか?) 眠っている彼女の瞼に、そっと唇を寄せる。 力あるものの言葉には言霊が宿り、名は最も短い呪となる。だから、彼女の真名を呼ぶ。 「………あかね」 恐ろしい夢を見ているなら、その夢から引き離す呪に。 病にとり憑かれて気を消耗しているのなら、その気を引きつける呪に。 僅かなりともその身が楽になるように、枕辺でそっと彼女の真名を呼ぶ。 たとえ神に及ばぬとしても、この身に与えられた力で、少しでも彼女を守ってやりたい。 雪の翌日は、晴天。冬の太陽は低い軌道をたどる。あかねの部屋にも陽光が差し込んでいた。その淡い日差しのもと、眠る斎姫の表情が和らいだ。 (―――呪が効いたのか?) 3日も眠れば、起きられるようになるだろう。そうしてまた、唐突な行動で泰明を振り回してくれるのだ。 病み上がりで成人式に出すのは、今から心配だった。きっと大はしゃぎをして、風邪をぶり返すに違いない。 (―――本当に、お前は目が離せない………) こうやって常に目の届くところにいて、自分はずっと彼女を守っていくのだ。これが、たとえ龍神が決めた運命でも、宿星の軌跡に定められた運命でもどうでもいいことだ。 あの日、異界の地で、自分の腕の中にあかねが戻ってきた………神を振り払って。 そのたった一つの尊い事実だけで、自分は何もかもあかねに捧げることができるのだから。 握っていた手をそっと布団の中に戻してやりながら、眠るあかねに小さく唱える。それは、泰明にとっては誓いの詞。想いを載せれば、その言霊は自分と彼女とを繋ぐ柔らかな鎖になるだろう。 「あかね………私は、未来永劫お前のものだ」 Fin. |