ペ ル セ ウ ス 流 星 群 (5)




 小雨が降る日の彼を思い出した。
 雨の中、あかねの手に自分の手を重ねて優しい目をして言ってくれた。必ず元の世界に還すからもう泣くなと。椰子の実だとかふるさとだとか、なぜだかそんな唱歌を口ずさんでいたのは泣く代わりにしていたことだと、当然彼にはばれていて、悲を滲ませて歌う歌を指してそんな呪いは禁止だと強く言われた。
 あれから、たくさんこのひとを傷つけたと思う。
 それなのに、彼は相変わらず優しくてそれを惜しみなくあかねに向けてくれるのだ。
 人ではない出自を持つ彼は、いつもいつも―――自覚せぬままに優しくて、どこまでもまっすぐなひとだ。
 「あかね。忘れずにいることと囚われてしまうことは似ているようでとても違う」
 「私―――」
 ―――この4年の間。
 龍を喚んだことに囚われていたのはあかねのほうであって、龍を喚ばせたことに彼は囚われていたのではないのだ、きっと。あのときのことを思い出しては腹立たしそうにする彼は、けれど、囚われていたのではなくてもう二度と同じ轍を踏まぬようにたくさんのことを考えてくれていた。
 「私のほうが―――ずっと」
囚われていた。そして、優しいこの人から、その傷を見るのが辛くなって逃げようとした。それに引き換え、彼は知らないうちに大人になってしまって。傷つくことを厭わずに様々な想いの色をちゃんと受け止めて尚守ると言ってくれたりする。そんな気持ちを一生懸命に言葉を尽くして伝えようとするくらい………大人になった。
 「手の懸かるお前と手の懸かる時間を過ごす覚悟は出来ている。だから―――お前も、観念しろ。手の懸かる私と、多くの時を過ごすことを」
 「………………」
 彼は相変わらず肝心なところで台詞が間違っている。
 「―――もぅ。自分のことを貧乏くじみたいな言い方して―――」
 観念しろだなんて、まるで脅迫めいた言葉で傍にいろとこの人は言う。本当に肝心なときにトンチンカンな言葉遣いで、まっすぐに好きだと言ってくれる。ピーマンもセロリも春菊も茗荷もピクルスも、どれも未だに食べられないくせに。ピーマンの肉詰めのピーマンだけ引き剥がしてそ知らぬ顔で泰継さんのお皿にのっけたりするくせに。
 「あかね?」
 「肝心なところで着地失敗する泰明さんが、可笑しいのに―――私、なんだか泣けてくる」
 「――――」
 「私、馬鹿だからきっと―――これから何度も泰明さんを傷つけてしまうと思うわ」
 「かまわない」
 「手加減も………できないし」
 「―――承知の上だ」
 「それでも、尚、貴方が好きだと言い続けると思うの」
 「願ってもないことだ」
 「泰明さん、女の趣味最悪」
 「………なんとでも言え」
 「――――っ」
 「人に喧嘩を売っておいて、お前が泣くな」
 「だって―――」
 ボロボロと大粒の涙が落ちた。
 自分でもどうしていいのか分からず、あかねは零れる涙をそのままにただ泣いた。泰明は、泣いているあかねを抱き締めてその髪を指で梳くように撫でる。
 「もう独りで泣いてくれるな。悲しいならばそれを私にも負わせろ。そんなふうに―――お前の傍にいさせてくれ」
 「ご……めん………ね」
 彼は、思っているよりも大人で強いひとなのだ。出会ったころよりも、沢山傷ついて沢山背伸びをして、きっと沢山悩んで。
 「ずっと泰明さんと一緒に居たい―――ずっと、ずっと傍に居てください」
 「ああ。あかねのためだけにずっと傍に居る」
 髪に口付けてから、泰明は耳元にそっと伝える―――今星が流れた、と。

◇ ◇

 はっと振り返ったあかねと一緒に、泰明も空を見上げる。
 中天から北の空に向けていくつも星が流れた。一瞬強く光って短い軌跡を残し、すっと夜の空に吸い込まれるように消える。大小の星が次々と生まれて、真っ暗な空に溶けていった。
 「―――あかね」
 「ん?」
 「神などに願うと碌なことがない」
 神とて等価交換の原則に縛られて生きるもの。云わば、理の内にありながらその理を見張り、時に調整を施す存在にしか過ぎない。従って原則を破れば、神も神に愛される斎姫もその咎を受けることになる。神であろうとその咎を消すことは叶わず、あかねは命を削った。
 けれど。
 「星は………代償を求めぬ」
 「そう…だね………何かお願いしようかな……」
 流れては消えてゆく星ならば、あかねを連れ去ることはないのだろう。それでも―――星に向かって何事かを願うあかねを、その背から抱き込むようにして腕に閉じ込める。何者にも彼女を攫われぬように、と。
 「私は、お前の隣でこうしてずっと時を過ごしていきたい」
 「泰明さん……」
 「この願いはお前の存在なくしては成り立たぬもの。身体が思うように回復せず、お前は苛立つのやもしれぬが―――」
 腕に閉じ込めているあかねの額に、掌を添える。少し熱が上がってしまったようだ。そろそろ、また床に戻してやらねばならないだろう。
 「―――私はお前を看病するのも心配させられるのも………嫌いではない。この位置を他の誰にも譲ってはやらぬ」
 自分はあかねのものだけれど、あかねは自分のものではない。そのことは重々承知しているけれど、ただ、共に生きていくというそんな約束が欲しかった。
 「――――」
 「願い事は、済んだか?」
 「あ……うん。大丈夫」
 ならば戻るぞ―――そう声をかけて再びあかねを抱き上げる。華奢な身体なのに、無鉄砲で我侭で次に何をするか分からなくて。優しくて時々弱くて、とても綺麗なあかね。月の無い空の下で、そのたった一人の大切な彼女を、しっかりと抱きしめた。

◇ ◇

 部屋に戻り、ベッドにあかねを降ろしてやりながら改めて問いかける。
 「あかね…やはり、まだ早いのか?」
 「え?」
 「共住みするのは、まだ早いのか?」
 「えーと…」
 あかねは泰明の首の後ろに両腕を回し、耳元に小さな声で言った。
 「―――ねぇ…もう少し…おままごとをしていたい。って言ったら、怒る?」
 「―――」
 話の筋というか流れから言って、彼女の答えは明らかに模範解答ではない。これまでの必死の告白はなんだったのだろうかと、泰明はしばし呆然とし、思考が止まる。
 「泰明さん、あのね…」
 腕の中でいたずらっぽく彼女が笑ったので、はっと我に返り泰明は眉を顰める。こういうときのあかねは碌なことを言い出さないから。
 「泰明さんと私と、泰継さんと花梨ちゃんと…皆で居るのが、おままごとみたいで好きなの」
 「――――――わたしと居るよりも…か?」
 あかねと問答していると、時折泣きたくなることがある。どうにも掴まえられない…というか理解しがたい思考が、彼女にはある。
 「そんなことないけど。楽しいから―――今すぐお嫁さんにはなれないけど…毎日貴方のためにご飯を作るわ。それじゃぁダメ?」
 「毎日?」
 そうして、そんなことはどうでもよくなってしまうくらい、あかねのことを自分は盲目的に愛しているのだ。忌々しくも、あかねがあかねらしく在ることが最も好きで、そんな彼女に毎日会えるとなれば、それでもいいかと思ってしまうくらい自分は愚かだ。
 「そうよ。泰明さんが好きなものも嫌いなものも、ちゃんと美味しいご飯にしてあげるの」
 「嫌いなものは…いやだ」
 「だめ。泰明さんのこと好きだから手加減なんてしてあげない」
 「…………」
 よく考えれば、結局―――現状と何ら変らないではないか。今だって三日とあけず、あかねは此処に来て楽しそうに食事の用意をしていくのだから。ピーマン強化週間だの勝手に決めて冷蔵庫の中をピーマンでいっぱいにしたり、急に創作意欲が湧いたなどと言いだしてトマトの味噌汁(あかね曰く新しい味に挑戦)を飲まされたこともある。あのときは、泰継と目配せしあって息をせずに飲み下したのだ、その新しい味とやらを。
 そもそもあかねは、家に連絡さえ入れればここに泊まることだって自由なのだし。共に暮らすことに今更、何の不満があるというのだろうか。
 「お前は、勝手だ」
 「なにそれ、泰明さん生意気」
 本当に、自分はこの最愛のひとを娶ることが出来るのだろうか。急に心配になってくる。女心は難しいとよくお師匠も仰っていたが、その中でもあかねは相当難しいほうなのではなかろうか。何しろ必死の告白でさえ、こうやって無に帰そうとしているのだから。
 「もう、溜息なんて吐いて」
 「溜息を吐く以外、することが思いつかん」
 「だって、もったいないと思うわ」
 「何が」
 「―――あと少しよ、きっと」
 「だから、何が」
 「泰明さんが泰継さんと一緒に暮らせるのが!」
 「!?」
 「きっと直に高倉さんちの子になっちゃうもの。折角会えたのだから、もう少し家族で暮らさなきゃ」
 「――――」

 ああ、そうだ。いつだってあかねは―――思いも寄らぬ方向から優しさを投げ込んでくるのだ。

 「ほら、泰明さんたら。あんなに泰継さんのこと大好きなのに肝心なところが抜けてる」
 さっきまで泣いていたくせに「100年越しの家族愛なんでしょう?」と悪戯っぽく笑いながら―――そうやって、あかねは…自分の何もかもを愛してくれるのだ。
 「わたしはもう少し元気になってから貴方のお嫁さんになりたいし、泰継さんがここを出る時がくるまで、おままごとみたいに家族ゴッコをしていたいの」
 少し照れた表情をして、あかねは随分と可愛いことを言ってくれる。彼女の纏う気を見ながら彼女の表情を見ながら、どれもこれも、あかねの本心なのだと分かる。
 そう―――あかねは色んなものを、愛しているのだ。我儘で、ストレートで、もどかしい愛情表現をしながら。例えば、兄のような親のような弟である泰継のことも、その最愛のひとのことも、また、彼らと過ごす限りある時間も、こうして、二人きりで過ごす時間も、嘗て、戦いの中で負った傷も、過去も、現在も、未来も。
 それら全てを―――自分の何もかもを、あかねは愛してくれるのだ。

 「―――ならば」
 「?」
 「―――継のほうで決着がついたら、すぐにでも、お前を貰い受ける」
それでいいな、と念を押すと
 「うん! 貰われてあげる」
などと。
 随分と癪に障る言い草で、難攻不落の彼女が、ついに約束をくれた。

◇ ◇

 いつだって思いつきと勘で動くあかねは、言うことが時々乱暴で支離滅裂で難解で、けれど、彼女の言霊は天啓のように鋭く愛に溢れていることを知っている。
 流星群にあかねが何を願ったのかは知らない。彼女のことだから自身のことではなくて、周囲の者たちの安寧や幸福を願ったのだろう。
 きっとあかねは気づいていない。彼女だって、相当抜けているのだ。自身の幸福を願うことは忘れているくせに、その幸福を疑ってもいないのだから。そんなあかねだからいつも気がかりで、絶対に幸せにしたいと心から思うのだ。
 神の意に背いて命を削ってまで、この手に帰ってきたあかねを、自分は、神にも星にも頼らずにきっと幸せにしてみせる。
 手探りで、彼女の歩調に合わせて、ゆっくりと確実に。

 互いに振り回して振り回される―――そんな幸福の形があってもいいだろう。


Fin.



 『夕間暮れ』の泰継×花梨と同じ日の泰明×あかね。
 花梨の哀しみに直接触れずに、流星群に願い事をしてみろ、と言った泰継。
 あかねの悲しみに直球勝負をして、流星群に願い事をしてみろ、と言った泰明。
 アプローチは違うのに、同じことをしているらしい泰兄弟。泰明さんは、ものすごく態度がでかいのにあかねに従順で、あかねに振り回されても幸せを感じてしまうMなひとだといいなと思います。やたら態度のでかい下僕でしかもM。その上、楽天的でほんのり馬鹿だといいなぁ。
 安倍兄弟は、優しくってほんのりおばかさんなところがいいと思う〜。頭いいのにトンチンカンでおばかさんですよねぇ、この子達(愛)!