寝顔があんまり仕合せそうで、声をかけそびれてしまった。 日が昇るときの空を見たいのだと、随分張切って早寝をしたことを、知っていたのに。 「絶対。なにがなんでもっって言ってたのにっっっ」 「…確かにそう言った…」 日が昇り明るくなった部屋。 不機嫌な彼女…大きな枕を抱え込んで剣呑な表情をしている最愛のひと。そこまで気合入れて起こさなくても…などと笑い出したのは彼女のほうだったけれど、結局“なにがなんでも”起こしてやらなければいけなかったらしい。女というのは、言うことがころころ変わって実に難しい生き物だ。 そんなことを考えていると、ぼふんっ!とくぐもった音がして視界暗転。顔面には軽い衝撃。やがて、ぼろりと落ちる大きな枕。 「神子…いや、あかね。悪かった」 直撃したのは、柔らかい枕。それが痛かったわけではない。ただ、その勢いで後頭部を壁にガツンをぶつけたのが痛い。だが“深刻に痛い”という部類には入らない痛みだろう、、、と頭では考えるものの若干涙目になっていることに当の本人は気付かない。 涙目になり、その目をシバシバさせながらも、泰明は告げてしまう。 「さまで見たかったのであれば……………今、見せる」 あかねにはつくづく弱い。 それは、泰明本人も重々自覚している。 彼女の機嫌を損ねれば途端に譲歩する気になるし、すっかり狼狽えて避けられたはずの枕にもしっかり殴られてしまう。 「…あかね?」 だが、無言でくるりと背を向けられる。 「……………」 どうしたものか。 思案していると、あかねは背を向けたまま泰明のほうにわざとのしっと寄りかかってきた。相変わらず華奢な体を抱きとめてやると、袖の端をぎゅっと引っ張られる。 「一緒に見たかったの――…」 俯いたまま小さな声。 怒っているようでもあり、拗ねているようでもあり、投げつけた枕のことを謝り損ねているようでもあり。機嫌を直すタイミングを計りかねているらしい。 「どんな………ソラだったの? 綺麗な色だった?」 さらりと髪が揺れて、彼女の細い項が見えた。 寝癖がついて少し撥ねたその髪に口付けて、背から包むように彼女を抱き締める。 「よく…わからぬ」 彼女の問いを少し考えてみたもののよくわからない、というのが正直なところ。こうして不機嫌になる理由もよくわからない。そんなにも見たい光景だったのだろうか。 最愛のひとは、解かり難くて、素直で、手がかかって、目が離せなくて、けれど……思いもかけない優しさを思いもかけない方法で示してくる人だから。 「夜が終わり朝になる。当たり前の事象だ。それが美しいかどうかは、私には…よく…わからない」 でも、わからなくても彼女の思いに触れてみたかった。 「…―――だから、私が見たありのままをあかねに」 日が昇りきったとはいえ肌寒い朝。 彼女が風邪をひかぬよう、その身を抱き込んで右の手を翳して目隠しをする。そのまま呪を唱え、己が見た光景を彼女の許へ引き寄せると 「―――…!」 「どうだ?」 「うん、視え…る。まだ薄暗い空……藍色のソラ」 夜明け前の静寂。 夜が終わる頃の空は藍色をしていた。 闇はもう漆黒ではなく、透き通るように仄明るくて、けれどもまだ沢山の星が瞬いている。明と暗、それぞれの色の微粒子が入り混じってできた空色、奥行きのある色合い。 陽が射す直前。 明と暗の微粒子は流動し、明の粒子がみるみる大きくなる。明け方の冷気は、きっと肌に触れたこの空の粒子の温度。点描が動くようにゆっくりと空は明るみ、暗の粒子の中で瞬く星の光は滲むようにぼやけてゆき、ついには明の粒子に溶けこんでしまう。 そうして 「―――…あっ!」 目映い陽の光が、暗の粒子を薙ぎ払うのは、一瞬のこと。直進する光はずっと遠くまで届いて、静寂が破られる。 闇に帰るもの、光に目覚めるもの、其処此処で何かが蠢く気配。 ざわざわと耳に肌に届くのは、世界が動き出す音。 光量が増すと共に、その音はボリュームを上げ―――…気がついたら、夜はいなくなっている。音に囚われているうちに、夜は跡形もなく消え去って、其処にはもう揺るぎない朝だけがいる。 「音が、するね…なんだろう、本当は音じゃないのかもしれないけど」 夜が退いていく。 星が溶けていく。 そこを光が駆け抜けてゆく。 静寂の中、確かに息づくそれらの気配は肌で分かるもの。 この日朝焼けはなく、空の色は明度のグラデーションを駆け上って朝にたどり着いた。 「―――…綺麗。だけど」 「?」 そう呟いて、あかねはやっと泰明のほうを向いてくれた。 「綺麗だけど、そういうのよりも、もっと…なんだろう。ドキドキして…」 けれども言葉を捜しあぐね、きゅっと泰明に抱きついて 「少し、怖い……」 「怖い?」 「うん。絶対的な揺るぎないものを前にするのって、少し怖いよ」 神聖なもの。 ドキドキするほど綺麗なもの。 揺るぎないもの。 決して侵されないもの。 それらを真正面から見詰めることに畏れを感じるのだと、あかねは言う。 「独りで見るには、朝の光は強すぎるし、明ける空は綺麗すぎるの。朝の気配は全身につたわってくる。そこにたった一人で置いておかれるのって……」 あの、空が変わる様を見て、彼女が確かめたかったのは、 「目が覚めたときに分かったよ。泰明さん……ほっとして、、、すごく淋しかったって表情(かお)してたんだもの」 「―――…」 「この前も、今朝も」 ああ、そうだった。 腕の中で困ったように微笑うひとは 「淋しかったら淋しいって言って、起こしてくれていいんだからね」 あかねは、まっさらな優しさで出来ているから、淋しさとか哀しさとかそういう名のついた感情―――何かが少し欠けたときに抱く感情―――にとても聡く、本能的にそれに手を伸べてくる。 そして、その空疎な何かを癒し埋める方法を、彼女はいとも簡単に見つけてしまう。 「一緒に眠ったのに一人だけ目が覚めてしまったら…きっと誰だって淋しいよ。我儘、しなくていいよ…?」 傍に居るだけで嬉しくて、それは息が詰まるほど瞬きを忘れるほどの幸福。 朝の光より強く、明ける空よりも綺麗で、絶対的でゆるぎない美しいものは、他ならぬ、あかね、だから。 ―――だから、少し怖い……この幸福を少し苦しいと思うのかもしれない。 彼女が言うように、それが本当に“淋しい”という感情なのか泰明にはよくわからない。 明ける空を見て、不意に襲われる感傷を何と呼ぶのか。 強い光に薙ぎ払われてしまった闇を、懐かしく思うのは何故なのか。 傍らで眠るひとが幸せな夢路の中にあるとき、自分の許へ早く戻ってきて欲しいと願ってしまうココロの動きも。 「私は……淋しかったのだろうか…」 他人事のように呟くと、彼女は笑って 「私には、そう見えたよ? きっと淋しかったんだよ、泰明さん。今はもう大丈夫? 淋しくない?」 淋しいか淋しくないかよりも、ただ、自覚せぬまま抱くものに彼女が触れ、一つ一つに名を与えてくれることが酷く嬉しかった。 何もない真っ白だったところに綺麗な色を置いていくように、彼女だけが、心に色彩を与えてくれる。 「わたしは……今、とても嬉しい。あかねがそれに“淋しい”と名を与えてくれたことが嬉しい」 「??」 与えた色の名を、こうやって彼女が教えてくれる。知っていたはずのその色も、時と場所を違えて出会えばまた知らない色に思え、移ろいやすく掴みにくいものを掴みきれずに戸惑い、立ち竦んだとしても、彼女がこうやって手をひいて、その名を教えてくれることがとても嬉しかった。 「ココロごと全部お前のものになっていくのが…それがとても嬉しい」 「!!!」 名は呪。 名を与えられれば、即ち、それを与えた者の所有物になる。 知らなかったものに彼女が気づき、一つ一つ手にとって名を与え、そうやって少しずつ彩られるココロ。 全てが色づいたとき、真っ白で何もなかったココロは本当の意味で全部があかねのものになっているのだろう。 「泰明さん、朝からその笑顔は反則…」 「……??」 腕の中、俯いてしまったあかねの項や耳もとがみるみる朱くなるのが不可解だった。 Fin. 名前をつけて。 その名を呼んで。 そうしたら、君のものになれるから。 こんなふうに不意打ちで、ピュアで重大な告白をさらりと言ってくれる。 その可愛らしさが堪らない。 あかねと一緒に現代に来て間もないころの泰明ちゃん。。。そんなイメージです。 11111番キリリクSS 『I Was Part Of You / And You Were All Of Me』(継花&泰あ) 『And You Were All Of Me』(泰あ)のほうのお話の、続きになってます。 なんだか無性に、明け方の空を綺麗に描きたかった……実はそれが一番の目的だったりします(苦笑)。 2007年2月1日付で旧ブログにてUPしたものを、このたび加筆修正(若干…)しました。 |