(雨を見たかい?) 泰継さんは、まるで片思いをしているみたいに空を仰ぐ。 お日様。 雲。 星。 風。 そのすべてを、普通の人とは違った感覚で捉えられるように生まれついた泰継さんは、「毎日繰り返されるものだが一つとして同じ物はないのだ」と、そう言って空を仰ぐ。まるで片思いをしているみたいに。 イレギュラーな方法でこの世に生まれてきたひとは、どこか憧れの眼差しで真新しく繰り返される―――お日様を、流れる雲を、星を観て。 時に懐かしそうに、空をわたる風の唄を聴く。 暖かくなると、泰継さんは傘を差さない。 大粒の雨でも霧のような雨でも、雨に濡れるのが好きで傘を差さない。 「花梨は風邪をひくといけないから家で待っていろ」なんて神妙な顔で言いながらお年寄りの耕太郎(柴犬)には雨合羽をしっかり着せ、自分は傘を差さずに嬉々として雨の街に出て行ってしまう。 サンセイウだから禿げても知りませんよ、禿げたら振っちゃうからね、なんて 言っても意に介さず、泰継さんは黄色い雨合羽の耕太郎を従えてカラリとべんがら格子の戸を開ける。雨雲から漏れる僅かな銀色の光をちょっと眩しそうに見上げたあとチラリとこちらを振り返り、いってくる、と一言。いってらっしゃい、と返すと嬉しそうに笑って足を踏み出して行く。雨の街に。 本当は、裸足で出かけたいのかな。泰継さんはマニアなところがあるから、泥んこ道の水溜りの、あのにゅっとした感覚が好きだったりして…なんて。生垣の向こうを遠ざかっていく背を眺めながらそんなことを思い、私は、べんがら格子の戸をソロリと閉める。 泰継さんと耕太郎がどんなコースで歩いてくるのかは分からない。 近所の犬めぐりコースかもしれないし、町外れの川原まで足をのばすかもしれない。よく待ち合わせに使う公園まで行ってくるのかもしれない。 最低でも30分、下手をすると1時間ぐらい雨の中をぷらぷらしてくる。傘も差さずに。 黄色い雨合羽の柴犬と「水も滴るイイ男」の二人連れ(?)は町内でも目を惹いて、「花梨ちゃんと喧嘩して追い出されたんだねぇ…あの子も可哀相に…」なんて囁かれているのを知ってる。 「追い出されて」も何も泰継さんは此処に住んでいるわけではないし、どちらかと言うと、止めたって聞かない泰継さんのほうが酷いのに、私が酷いことをしているみたいで、いろいろと腑に落ちない。腑に落ちないながらも、泰継さんと耕太郎が戻ってきたときのために、玄関の敷台に大きいタオルと小さいタオルを用意する。ちゃんとお風呂も準備して、着替え用に昔お父さんが着ていた浴衣も出しておいてあげる。 それから、泰継さんが大好きなお茶の葉を急須にカサカサと入れて帰りを待つ。 初めてびしょ濡れで帰ってきた日、泰継さんは庭先でガバっとシャツを脱いで雑巾みたいに絞った。それを見ていた私は、どうしたらいいのか分らなくて呆然。それでまたシャツを広げてシワシワのまま袖を通し、その格好で家に帰ろうとするから、慌てて泰継さんを引き止めて。これまた慌ててお父さんの浴衣を探し出して。あれ以来お父さんの浴衣は、うちに来たときの泰継さんの部屋着っぽくなっている。 泰継さんたちが出かけて30分。 二人はまだ戻らない。 お風呂はもう少しで焚けると思う。 ポットのお湯はとっくに準備OK。 確か…虎屋の黒砂糖羊羹があったから、それを出してあげようかな。それとも豆源の花豆がいいかしら、なんてことを考える(あの塩加減は泰継さん好みだと思う)。 そわそわと落ち着かず、時計を何度も見るけれど中々針は動いてくれない。テレビもつまらないから消してしまった。 雨の音。 雨の音。 雨の音。 庭の葉っぱを濡らすのは春の雨。 一雨ごとに葉の緑が濃くなっていくこの季節。土と若葉の匂いが湿気に乗って部屋の中まで入り込んできている。耳を澄ますけれど、木の葉を打つ雨の音がするだけ。格子戸をあける音は中々聴こえてこず、ついに痺れを切らして、わたしは傘を手に雨の街に足を踏み出す。 犬めぐりコースでも川原コースでも公園コースでも、必ず通る近くの坂道。その天辺まで迎えに行ってあげよう。水溜りを避けながら、気がせいて急ぎ足になる。 雨の音。 雨の音。 雨の音。 坂の中程で、気がついた。 坂の天辺に泰継さんがいる。流れの速い雲を見上げて、雨の中突っ立っている。さらに昇ると、その足元に黄色い雨合羽の犬がちょこんと座っているのが見えた。 ぱしゃり、と雨の音に混ざったのは、わたしが水溜りの端を踏んでしまった音。再び坂の上に目を遣れば、泰継さんと耕太郎、計ったかのように同時に振り向いた。 「―――花梨」 雨音を縫って泰継さんの声が届く。 耕太郎は後ろ足で立ち上がり、リードを思い切りひっぱって首が苦しそう。 「耕太郎ったら………まっくろ!」 顔がまっくろ。 せっかく雨合羽を着せたのに、耕太郎は泥だらけ。 「泰継さん、耕太郎は穴掘りしてきたんですか?」 「ああ。土手でヒキガエルを追っていた」 「山賊みたい。鼻のまわりが土で真っ黒」 「前足もだいぶ汚れているから…」 気をつけろ。と、言う間もなく耕太郎が感激の再会とばかりに飛びついてきて。 「「…………」」 (ああ―――私もまっくろ。) 泰継さんは苦笑して、すまないな、と小さく言う。 坂の上から家までほんの3分。 急ぎ戻ろう、と私の手を引いておきながら、彼は唐突に立ち止まる。 「―――泰継さん?」 「すぐに着替えるのだろう?」 耕太郎の足跡と鼻跡が付いてしまった私の服に目をやって。 「はい…すぐお洗濯しないと」 泰継さんがふっと笑ったような気がして顔を上げれば 「――――――!?」 転がる傘。 雨の音。 泰継さんの匂い。 「や、やすつぐさん?」 家からほんの3分の坂の上。 町内でも有名な「水も滴るイイ男」は、また唐突に。 「耕太郎だけズルイではないか」 「はぁ?」 まったく、このひとは。 驚いて傘を取り落とした私は、泰継さんにぎゅっと抱き締められ、雨音と彼が纏う雨の匂いに染められる。 耕太郎を引き合いに出して私を抱き締める、素直なんだか素直じゃないんだかな泰継さんを、私もそっと抱き返して。 「―――雲、綺麗ですね」 「ああ」 「お日様の光は銀色にもなるんですね。」 さっき泰継さんが見上げていた空。 厚い雲の向こうには確かにお日様がいるから、銀色の光が幾筋も降りていた。 「あの空ならば、直にこの雨も止むだろう」 雨が降るのも、雨が止むのも、なんだか嬉しそうな泰継さん。 「お風呂焚けてますからちゃんと入ってくださいね。耕太郎のことも洗ってあげてください」 「ああ」 「それから……豆源の花豆があるんですよ」 「それはよいな」 「ふふふ。泰継さん、やっぱりあれ好きなんだ」 やがて気が済んだのか、お前に風邪をひかせるわけにはいかないから、なんて今更な言い訳をして泰継さんはゆっくりと腕を解き、落とした傘を拾ってくれてる。 綺麗な銀色の空にどうやら小一時間ほど片思いしていたらしい泰継さん。気付けば、彼のシャツにも私とおそろいの泥んこスタンプ(耕太郎の足跡&鼻跡)がくっきり写っていて、坂の上から家に戻るまでの3分間、私は可笑しくてずっと笑い転げていた。 まばらになってゆく雨の音。 黄色い雨合羽の泥んこ耕太郎。 私の手を引く泰継さんの大きな手。 銀色の空を映した銀色の水溜り。 静かな、静かな、雨の午後。 玄関のべんがら格子の戸をカラリと開けながら、私は、なんとなく振り返る。 直に止んでしまう雨の軌跡を辿り、泰継さんの片思いの相手を見上げれば、文句なく綺麗な銀色の空。 その綺麗さに、泰継さんもお目が高い、と―――なんだかとても嬉しくなった。 Fin. 泰継さんが、爽やかに痴漢(女子高生に抱きつき)! 某様に素敵なキリリクをいただけまして、レインコートな耕太郎に自分でニマニマしながら書いたもの。継花には柴犬が似合う! 、、、自分でもかなりお気に入りなシチュエーションでした。 * 尚、タイトルは大昔のロックバンドCreedence Clearwater Revivalの名曲「Have You Ever Seen The Rain?」より。 |