腕には温かな重み。 こうして抱いているのは自分だけれど、自分は彼女に所有されている側のもの。 いつか今が過去になり彼女の記憶の一場面になり、彼女の人生にほんの僅か係わったというだけの些細な縁となろうとも、人ではない存在は、ただ彼女の全てが愛おしく愚かなまでに囚われて―――そうやって彼女に所有され続けていたのだと。 朧気にでもいい。彼女は覚えておいてくれるのだろうか。 窓から僅かに覗く空は鈍色をして、雨の音は耳に馴染むほど密やかに。未だ夜明け前と錯覚するほどの薄暗い朝。小さな寝息と雨の音。腕を枕に眠る彼女が、寝返りを打ちこちらに摺り寄ってきた。 「…花梨」 枕にされている腕で彼女の肩を抱きこみ名を呼ぶと眠ったままへらりと笑い何か呟きながら額をさらに摺り寄せてくる。 すっかり癖がついてしまった髪。 頬にはシーツだか枕カバーだかの布目の痕がくっきりついていて。 酷くあどけない寝顔を見ていると、つくづく北山に棲む動物―――仔狸あたりが妥当か―――に懐かれているようだ。 本当は、触れることすら躊躇われる存在だった。 柔らかくて温かく、ほんの十数年しか生きていない無防備な生命は、触れれば壊れる泡沫のように―――否、時を刻む繊細さなど持ち合わせぬこの身にとって、人の世は全て泡沫。ただ、彼女はとりわけ無防備な生命に視えたのだ。 泣いたり笑ったり怒ったり落ち込んだり、そうやって生きていてはすぐに傷つき壊れるのではないかといつも案じるほどに、むき出しの生命を晒していて。 だから余計に抱き締めるのが恐かった。 どう抱き締めたらよいのか分からなかった。 触れれば壊れる泡沫の一層無垢な存在は、造られたものである自分とは決定的に違う。代わりなど何処にも居ない。正真正銘の、この世で唯一の存在だったのだから。 「花梨、朝だ。そろそろ起きたほうがよいのではないのか」 起こしてやらないと後々機嫌を損ねることになりかねない。以前も、ただ寝顔を見詰て彼女が目覚めるのを待っていたら、目を覚ました彼女の不興をかった。同じ轍は二度と踏むまい。 あどけない寝顔を見ていたいとか、このまま彼女をずっと抱いていたいとか。それはこちらの一方的な我侭でしかない。 「花梨、今日はどこかへ出かけると言っていなかったか?」 兎も角も、今は彼女を起こしてやることが大事だ。声をかけても一向に目を覚まさぬ仔狸、いや、花梨の頬をつついてみる。 「花梨?」 ぼんやりと瞼が開いて 「…やす…ぐ…さ…」 「目覚めたか」 「……らい…す…き」 「??」 「もっ…くっつ……い…の」 「???」 焦点も口調も定まらぬまま仔狸、いや、花梨が腕を挙げてなにやら身を起こし 「花梨どうした」 細い両腕がまわされてきて 「寝ぼけて―――っふがっ…!!」 覚えのある心地よい感触とともに視界が暗転した。 「…………………………………」 前言撤回だ。 仔狸などと、欠片でもそう思った私が悪かった。 息苦しいこの状況は嫌な訳ではない。むしろ喜ばしい。遮られた視界も遮るもののせいでむしろ良好である。 前が見えないが、ある意味視界良好。 が、手放しで喜ぶと大いに差し支えある上、そうすることが酷く情けないものであると我ながら理解している。 ……ならば、やはり苦しい状況であると判じるべきか。 「か、かりん、どかないか」 頭を抱え込むように抱きつかれて前が見えない。だけでなく、息の根を止められそうなのだ。押し付けられたその胸に!! 昨晩、コトに及んだ後に服を羽織らせて着せたから直にその肌に触れているわけではない…ないのだが…。 「…………………………………」 きちんと着せてやったのに、お前はどうしてボタンを三つも外しているんだ!? おかげで、その“谷間”が眼前に迫っているではないか。 その上、服の布ごし花梨の豊かな胸に窒息させられようという非常事態。 花梨一人をどかすぐらい雑作もないことだが、腕が思うように動かない。いや、動きたくないのか、私は。 「どいてくれ、かりん」 正確に言うと、どかなくてもいいが、どいてくれたほうがありがたい。自らの手で花梨をどかすことがどうやら出来そうもないので、自主的に身を引いてくれるとありがたい。それどころか、このままでいると間違いなく自主的に身を引こうととするお前の行動すら私は阻むだろう。 「どかぬと、一日の予定が狂うことになるぞ…かりん……んがっ!」 柔らかくも張りのある、弾力感に富んだ花梨の胸にさらに押さえ込まれ、眩暈を起こす。抗いようのない事態………これは不可抗力だ。 「…………………………………」 私は努力した。 為すべきことも、出来うる限りの範囲で為した(花梨を起こそうという努力は十分にした)。 そもそもこの状況は彼女が作り出したものである。 無意識下の、それも彼女にとってはごく小さな愛情表現なのやもしれないが、傍に居るだけで触れるだけで、こんなにも愛おしさをかきたてる―――私にとって、彼女は全てなのだから。 胸に押さえ込まれていた状態から抜け出して、未だにボンヤリした瞳の彼女に深く口吻ける。次第に覚醒し抵抗を見せる彼女の身体を逆に押さえ込みながら。 「ん………ちょっ…。泰継さん、なんで…?」 「―――(話すと)長くなる故省く。それに私は忠告した。お前が悪い」 「え? まって。わかんな…………あっ」 既に前は肌蹴ている。 「ひゃっ…や…まっ…………ぁ…んっ」 組み敷いたまま、首筋に唇を寄せてきつく吸う。 手を入れて太腿の内側を撫で上げると、また彼女は声を漏らし、こちらを潤んだ瞳で見上げてくる。 その表情には兎角弱いのだが 「許せ…」 卑怯だと知りながら彼女の耳元に囁く。欲を押さえ切れぬ声で。囁く声も好きなのだと、いつだったか恥じらいながらそう言っていた彼女につけ入るために。 「許せ…お前が愛しい故、止める手立てが見つからぬ」 そのまま耳朶を食むと、細い肩が震えて呼吸が荒くなった。 首筋から鎖骨、柔らかな乳房。 触れる度に小さく声を挙げて未だ快楽から逃れようと身体を捩る彼女を、可哀相だと思いつつも床(とこ)に押さえて再び深く口吻ける。 伝えようにも伝えきれぬこの愚かしさを、矢張り愚かしくも伝えたいがために。 抱き締めれば壊れるかと思われたその身体はしなやかに乱れ、一度快楽に溺れているから昨晩よりも従順に解かされる。 頼りなく縋りついてくるその細い腕も。 切なげに零れる小さな声も、熱を帯びた吐息も。 与える快楽に震える柔らかな肢体も。 次第に色づいて、抱き合えば吸い付くようによく馴染む細やかな肌も。 ―――その全てが愛おしく、愚かな私を捉えて離さないのだと。 そうやってずっと、私は彼女に囚われて所有され続けて―――そのことを、身体の奥底で、熱を生ずる身体のどこかで、朧気にでもいい―――覚えていて欲しいのだと。 そんな愚かしい思いを、愚かしくもただ伝えたいがために。 Fin. 巨乳花梨に嬉しい襲われ方をした泰継さん。 不可抗力だとか何だとか言い訳がましくも、ぶちっと朝から理性が吹っ飛びました。 ご要望の『寝込みを襲う泰継さん』です。如何でしょうか。 寝込みを襲うなら継さんはきっと言い訳がましいだろうな。でも手際はいいだろうな。と、楽しく妄想いたしました。 |