(  And You Were All Of Me )




 朝が来て―――カーテンから、真っ白な光があふれ出る。
 視界いっぱいに広がった真新しい光。眩しさに目を細めて寝返りを打ち、彼女の体温に埋もれ安堵する。
 朝が来て―――腕の中に彼女が居る。
 たったそれだけの柔らかな現実は、とても幸福で少し苦しい。
 抱き締めても抱き締めても、抱えきれないと思えるほどのこの幸福は、窒息しそうな苦しさと悲しみに似た痛みを齎すものなのだと知った。抱いている彼女の温かさも柔らかさも優しい重みも、身体全部が覚えているのに、触れていなければ不安になる。
 自分は“人”ではない存在だからいくら抱き締めても幸福はこの身に馴染まない―――時折、そんなふうに思うことがある。 彼女を抱き締める確かな現実に、そんな不安が幾重にも幾重にも織り込まれて、触れる温もりから現実感が奪われてしまうのだろう。

 「……………あかね?」
 口をついて毀れたのは彼女の真名。
 我侭だと分かっているけれど、早く夢路から戻ってきてほしくて、彼女の真名を呼ぶ。
 駄々をこねる幼子のようだと思う。
 どうしようもない自分を、少し笑いたくなる。
 我侭だと分かっているけれど、声をきかせてほしい。
 その瞳にこの身を映してほしい。
 大きすぎるこの幸福の中に、一人置いておかれると酷く不安になるから。

◇ ◇

 伏せられた睫毛の下、頬に唇を寄せると腕の中の彼女は身じろぎをして朝の白光に眩しそうに瞬きをする。やがてぼんやりと視線を合わせ、彼女がふわりと笑った。
 「やすあき…さん……?」
 そのたどたどしい口調に、きっと夢路から帰り着く少し手前で見つけ出してくれたのだと、嬉しくなる。嬉しくて少し苦くて、安堵して、矢張りまた彼女の身を抱き締める。
 「…やすあきさん…ずっとおきてたの?」
 「―――ああ」
 「もう…いつから? いつ目が覚めたの?」
 「多分日の出の頃だ。日が昇る少し前」
 「それから、ずっとこうして?」
 頷いて、あかねが目覚めるのを待っていた、と付け足すと、抱き締めるこの腕を彼女はゆっくりと指でなぞり、莫迦ね、と小さく呟く。少し呆れて。けれど酷く愛おしそうに。
 「起こしてくれてよかったのよ?」
 「…私はあかねのものだが、あかねは私のものではない。私があかねの眠りを妨げるは道理に合わない」
 今も我侭で彼女を起こしてしまったのだから。ただ、不安になったというだけで。
 「…………またそんなこと言って」
 困ったようにも少し悲しそうにも見える表情をして彼女は笑い、再び、莫迦ね、と小さく呟く。
 「きっと、お日様が昇るのを一緒に見るのも素敵だわ」
 「………」
 「だから、今度は絶対起こしてね?」
 「わかった。お前の望むとおりに………何が何でも起こす」
 「………泰明さん、そこまで気合入れなくても…」
 腕の中の彼女は、今度は酷く可笑しそうに笑い、何故か戯れに頬をぴしゃぴしゃと叩かれる。
 「おなか減ったでしょ? 朝ごはん、何がいい?」
 「―――ぷ」
 「プリンはご飯に入りません。プリンは却下」
 「だ、だめなのか…!?」
 落胆しながら訊ねると、彼女は声をたてて笑う。彼女もまた幸福の中にいるのだと、そう思える笑顔で。そうして、彼女は笑いながらこの腕からもベッドからも抜け出ていこうとして、はたと振り返り
 「?」
 「そういえば、まだ言ってなかったね」
 細い腕をのばし、頬にそっとその手を添える。小さく、泰明さんおはようと、そう言いながら。
 深い色をした彼女の瞳はとても優しい。
 近づいてきた彼女の瞳に囚われていたら、不意に

 「―――!」

 柔らかな感触。
 さらりと触れた彼女の髪は自分の髪と同じ匂い。彼女と自分のおそろいの匂いで胸がいっぱいになる。そして、柔らかく重ねられた唇は、本当に一瞬のうちに離れてゆき
 「プリンは朝ごはんにならないけど、パンケーキなら許す。焼いてあげるね」
 「……………」
 「大好きよ、泰明さん」
 「!!」
 こちらを振り返りもせず、訊ねたわりに朝ごはんも勝手に決めて、彼女は、小さなつむじ風のように部屋を出て行った。たったこれだけで、愚かしくも全てを攫われる“人”ではないモノに、この上も無い幸福な時を齎して。彼女にはごく小さな愛情表現だとしても、自分にとって彼女は全てだから。

◇ ◇

 抱き締めても抱き締めても、抱えきれないと思えるほどのこの幸福は、窒息しそうな苦しさと悲しみに似た痛みを齎すものなのだと知った。
 朝日が昇り、彼女が目覚め、そうして初めて自分の幸福な時が動き出す。
 人に似て非なる自分が彼女のものであることの幸福と、その彼女を思うことで生ずる痛み。人ではないものが抱く恋情に似たこの渇望は、おかしなことに、彼女に所有されることでしか満たされない。彼女を抱いて抱き締めて、自分は彼女のものなのだと、そう思えて初めて満たされる。
 そして、そんな愚かしさをも…彼女が愛してくれるのだと知っているから、嬉しくてとても幸福で、少し苦しい。


Fin.



 神子にチューされて素直に無表情に嬉しい泰明ちゃん。
 甘え方が分かりづらいものになってスミマセン。あかねちゃんを起こそうとして名前を呼んだりそっと目元にチューしたりするあたりの控えめな甘え方で、どうぞ許してやってください。