夕暮れ空に聴こえてくるのは、祭囃子。
 空は柔らかい紅掛(べにが)けの花色をして、ずっと遠くには色を映した千切れ雲。木々の枝葉は、くっきりシルエットをつくり夕映えの空を引き締める。
 夏の終わりのお祭りは、営々と続けられてきた豊作祈願。
 今はもう、夜店の裸電球の明かりとお囃子の音(ね)とざわめきと―――お祭りがお祭りであることを楽しむものになっているけれど。ずっと昔、この時期このあたりはお日様の色をした稲穂の海が広がっていたことでしょう。

◇ ◇

 身に馴染むようにとほどよく糊を落とした浴衣を着付けてもらい、いつもより背筋をしゃんと伸ばして。まだ明るい道をからころからころそぞろ歩きの夕涼み。お祭りには人出の少ない早い時刻。夜店は、まだ開いていないところがあるかもしれない。
 日が沈むころの風は、凪いで弱まった海からの風。
 パタパタと団扇を扇ぎながら花梨は隣を歩く人を見上げ、ふにゃっと笑う。しっかりと手を繋いでくれている人は、花梨の我儘にも律儀に付き合ってくれていて
 「へへへ。泰継さん浴衣似合う」
 「……前を見て歩け。その履物は不慣れなのであろう」
 「………………」
 せっかく誉めたって、これだもの。こういうところが、泰継さんだ。
 相変わらずの素っ気無い口調に花梨はぶっと膨れ、団扇で背の高い彼の頭をペンっと叩いてみる。
 「……………どうした、花梨」
 夕暮れの陽の色を溶かした双色の瞳。振り返った彼の目線が、いつもより僅かに近い。そのことに戸惑いながら、この不慣れな距離は不慣れな履物のせいだと思い至る。
 「泰継さんとは…」
 彼は、こうして手を繋いでくれたまま避けられるはずの団扇をワザと避けないように、いつも花梨の我儘をワザと避けずにただ花梨のことだけを案じてくれるから。
 「……泰継さんとは、一生喧嘩にならないのかも」
 ぽすんっと彼の肩に額を預け、花梨はそっとため息を吐く。
 背伸びしたって到底敵わない。
 やはり手を繋いでくれたまま、もう一方の手で花梨の髪に柔らかく触れるひとに、敵わない、と思う。
 “求められれば、応える”―――そんなもどかしい距離に立っているくせに、こうして髪を梳く指先の優しさに、先ほどの陽の色を溶かした眼差しの暖かさに、分かりすぎるほど分かってしまうから。
 「ねぇ、泰継さん」
 「…?」
 「前に、泰継さんが言っていたのは、ほんとう? 神様は、人の思いでできているって」
 「そうだ。畏れと敬い、願いと祷り。その対象たるものに神は宿る。神が宿るは、ときに山であり、海上の標となる岬であり、大樹であり、鎮まる岩。神とは、人がつくったものに他ならない」
 「あのね。これから行くお祭りの神様は豊作の神様なの。ここにはもう稲穂の海もないし、きっとそれを願う人もいないけれど……それでもその神様は居るの?」
 人の思いでできているならば人の思いが消えたときにやはり消えてしまうものなのでしょうか―――…そのことが気がかりで。八百万の神様というものの存在になぞらえて、けれど本当に訊きたかったのは、神様のことではなく。
 「………どうだろうな。神は語らぬもの。黙したまま堕ちるものもあり、消えるものもあり…永らえるものもあろう」
 消えるものは消え、永らえるものは永らえる。そんな謎かけのような言葉で、どこか楽しそうに花梨の瞳を覗き込むこのひととて人ではなく。人の思いに似た“陰の気”と人の願いに似た“課せられた役目”とで、その存在を長く保ってきたひとだ。
 「お前の願いはすべて叶えてやりたいのだが、恐らくお前と喧嘩するのは無理だろう」
 「無理って…泰継さんは、私のことを甘やかしすぎだと思います」
 人ではない出自を持つ彼は花梨の不安を見透かしたように、肩を抱き寄せる。
 いつもいつも。
 想うばかりで追いつけないほどに。
 長い時をただ待ち続けたひとが抱く愛情は、未だ幼い、たかだか16,7の娘には、大きく優しすぎる。だから漠然とした不安を齎す…などと、それを言えばただの我儘であることも花梨はよく知っている。
 その漠然とした不安さえ、包み込むように彼は言う。
 「…役目を終えても、私は消えなかった」
 「!」
 そのことが兎角不思議であり嬉しくもあり、胸の痛む始まりなのだ、と。そう静かに紡がれる言葉と、大きな掌で、幼子をあやすように花梨の背をぽんぽんと軽く叩き。
 「だから私は…神子の…花梨の思いでこの世界に繋ぎ止められている」
 「!!」
 驚いて顔を上げた花梨に、彼は、満足そうに目を細めて笑う。そう考えるのも悪くはないだろう? なんて付け足して、花梨が知りたい真実を朧に包んではぐらかしていまいながら。また不安そうに見上げる花梨に、彼はそっと囁く。
 「花梨の、他愛ない我儘も。私に追いつこうとして、不慣れなその履物を鳴らす音も。こうして向けられる、不安に揺れた瞳さえ」



全てが、私を繋ぎとめるものだ―――…と。



 祭囃子が聴こえる。
 今はもう、居るのか居ないのか分からない神様のために奏でられるお囃子の音(ね)。
 とうに消えてしまった金色の稲穂の海を懐かしむように繰り返されるその音は、寄せてはかえす波の音に似て、手の届かない見たこともない過去を脳裏に不図蘇らせる。

 「結局、どっちなんですか……」

 彼の言霊と、暮れなずむ街を包む祭りの音。
 それらに囚われて立ち尽くしてしまった花梨は、はっと我に返り、 いつの間にか離れていった人影を探す。
 「あ、ちょっと、泰継さん待って」
 からころと音をたてて急ぎ足になる。
 探し当てたひとは、長い影の先に佇み、絵のような立ち姿でこちらを振り返ってくれた。



 きっと、追いつきたくても追いつけない。
 背伸びしたって到底敵わない。



 “求められれば、応える”―――そんなもどかしい距離に立っているくせに。
 からころと、花梨の足元から鳴る音を、耳に溜めるようにして楽しんでいる様子に、追いついてきた花梨に差し出すその手の優しさに、暮れなずむ街の色を溶かした眼差しの暖かさに、分かりすぎるほど分かってしまうから。
 ただ待ち続けたひとは、待ち続けた先に手に入れたものを、その存在全てをかけて慈しんでくれているのだと。
 だから、せめて。
 その想いの大きさに追いつけないのならば、せめて。

 「あ、あのね。泰継さん」
 「?」
 「金魚すくいしたいです」
 「花梨は、金魚が欲しいのか?」
 「はい。あの…わたし、それで」
 「?」
 「このお祭りにいる金魚の中で、一等美人の出目金が欲しいです」
 「………………」
 「一等美人かどうかは、泰継さんの美的センスに任せます」

 眉を寄せて困惑する彼に、花梨は笑む。
 その想いの大きさに追いつけないのならば、せめて、彼が切に願うもののために下手でも他愛ない我儘を。
 笑いながら、彼の長く綺麗な指に、自分のそれをからめる。他愛ない我儘と一緒に、彼を繋ぎとめるように。

 「…………………承知した」

 次第に大きくなる祭囃子に紛れるほど小さく、困惑しながらもどこか嬉しそうに彼がそう呟くのを聴いて、花梨は絡めた指にそっと力をこめる。
 人ではない出自の彼をこの世界に繋ぎとめようと、それを強く願いながら。


Fin.


 継さんを拉致ってから1,2年後の二人。
 自分がMなことを自らほのめかす継爺(笑)
 継花ラブラブとの自由度の高い素敵なリクエストを頂き、このようなブツが仕上がりました。お話の構想を練った季節が丸分かりですね。はい。本当は8月中に完成させたかったっ!! うちでのラブラブは、これで精一杯。ラブラブも地味なのが身上です(開き直り発言)

 自分は、2人のこんな距離感が好きなのね~と、再認識でした。