野辺のあおに埋もれるように佇む薄紫の花は、今はもう触れることの出来ない美しいひとの面影。 秋めいた風が野を渡り、小さな薄紫が草の間から覗くようになった。 ほんの一瞬目に留まったそれは息を呑むほど鮮やかで、“懐かしい”という感覚よりも、もっと鮮烈な既視感に襲われる。瞼の裏に棲むかの人との幸福な時間の輪郭が、不意に蘇り、淡い幻であると知っていながら、泰明はつと手を伸べてしまう。 近く遠く、あの煌めくような一瞬一瞬を思いながら。 けれど視線の先で、やがて結像するのは風にゆれる小さな花ばかり。 去年もこうして、同じであって別の薄紫の花に手を伸べたことを思い出し泰明はそっと目を伏せた。 彼女がいなくなったまま季節は幾度もめぐり、人に非ざるものは今もこうして―――…彼女が愛した世界の片隅に留まっている。 彼女は旅する者で、自分は留まるモノだった。 彼女は、巡る季節とともに時を旅をする「人」。ほんの一瞬、互いの時間が寄り添っただけ。だから、互いの温もりを分かち合えた時間は恐らく短いものであったろう。 温かくて幸せな時間は瞬きのうちに過ぎ、やはり別れの時はやってきた。彼女の身に降り積もる「時」と人に非ざる身に降り積もる「時」は、当り前のことだが決して同じではなく、泰明は、彼女の旅についに追いつくことはできなかった。 心を手に入れたものの、奇跡はそこまでだったのだ。 風がわたる野。 秋の気配。 澄んだ空は、遠く、遠く。 広い野に佇み、泰明は風にゆれる花を見詰める。 薄紫の小さな花は「守るもの」と「勇気」とを司る花なのだとういう。ささやかな美しさには、“強さ”が宿っているということなのだろう。 だから、この花をみるたび彼女との記憶がさざ波のようにまぶたにおしよせた。 光り溢るる草原で此方を振り返って笑う様子であるとか。 水面に映る月を一心に眺めるその横顔であるとか。 或いは、愉快なことを思い輝いたその瞳の色であるとか。 ひとつひとつ、懐かしくていとおしい記憶の断片。 今はもう、それが淡い幻であると知っていながら、泰明は妻であった美しいひとの名を呟いた。 「―――…あかね…」 看取るとき、彼女は「大丈夫よ」と言って微笑んだ。 やがて終わる自らの生命のことではなく傍らで不安と悲しみに打ちひしがれる泰明に向けての言葉―――ただ、そのことを泰明が理解したのは、ずいぶんと時が経ってからのこと。この野辺の薄紫の花の美しさが彼女に似ているのだと、不図気づいたときのことだった。 あれから、一人遺された泰明の頭上を、沢山の季節が通り過ぎていった。 そして、幾度も出会う違う薄紫の花。 ある年、ふと、知らず伸ばした手の先で薄紫の花が揺れている―――そんな秋を繰り返し過ごしてやっと泰明は思い至った。 ―――ああ、この花はあかねに似ているのだ、と。 それと同時に、洪水に襲われるように解った。 「人」と同じではないこの身をずっと恨んできたけれど、違ったのだ。 真に不変なるものは、自分ではなくて、こうやって野辺の風に揺れる薄紫の花の慎ましく、けれど、鮮烈な美しさのことなのだ。 目の前で揺れる小さな花は、胸に棲まう在りし日の妻の美しさにあまりにもよく似ていて。 泰明は、その場に崩れるように膝をつき、心底から理解した。 ―――ああ、この世の「不変なるもの」とは、この花のことなのだろう、と。 花が花であること。 たえまなくつづいてゆくいのち。 かのひとの思いは、確かにここに生きている。 そう気づいたとき、はからずも涙が零れた。 彼女は、ここに居る。ずっとここに居た。そっと待っていてくれた。 どこへもゆかず、守り愛し慈しんだこの世界の一部になって。 笑いかけてくれることも、名を呼んでくれることも、だきしめてくれることも、そのいずれももう叶わぬことだけれど、彼女は還ったのだ、この世界に。 よく似た可憐な花になって 花を誘うあたたかな風になって 草木を潤す柔らかい水になって 名を変え、姿を変え、けれど確かに彼女は、ここに―――…この世界に居るのだ、と。 それから季節は幾度も巡り、泰明は、いつしか愛せるようになっていた。彼女が愛したこの世界とともに、長く厭わしく思い続けた自分自身のことも。 「今年も…共に、きてくれるか…?」 泰明はもう一度手を伸ばし、その小さな花を手折り懐に忍ばせる。美しいひとの面影を、大切に。 懐に忍ばせれば、思いをその花に伝えられるような気がするから。 例えば―――独り残された淋しさは時がゆっくりと癒してゆき、毎年必ず出会える薄紫の花が、彼女が標であったように、自分に還ってゆく場所を教えてくれたこと。 それから―――人ではないこの身は決して不変なものではなく、この世の一部に過ぎないのだと気付いたこと。そして、やがて時が来たときに彼女と同じ場所へ還ることができるはずだと判ったから、我が身を呪うことはもうやめたのだということ。 ―――だから、いまはのきわに言われたように、自分は大丈夫だ、ということ。 本当は、彼女の手に触れてその目を見ながら伝えたかったけれど、それはもう叶わぬことだから。 彼女に代えて。そのよく似た美しい花へ泰明はそっと呟く。 全ての想いが集約されるたった一言を。 ―――…愛している、と。 Fin. 私の中で、これも一つのハッピー・エンド、なのです。心を手に入れて、それだけでハッピーか、っていうとそうとは言い切れない。なんだか片手落ちな感じがして。 幸せに時を送った先で、あかねさんとお別れすることになったら、人とは違う生まれを彼は再び忌み嫌うだろう。だけど、それで終わってしまう子じゃなくて、ちゃんと大事なものを見つけられる。そこで初めて、きっと彼は自分自身の存在に折り合いがついて、救われるんじゃないかなぁ…なんてことを言いたかった話です。 全然巧く表現できずに撃沈ですが… 「野菊の如き君なりき」という言葉は、映画タイトルより。原作は、伊藤左千夫『野菊の墓』。映画でも原作のほうでも、野菊の如きひとは悲しい最期を遂げるのですが、 ここでは、ちゃんと添い遂げて幸せに人生を終えたひととして。 野紺菊の花言葉が、いいな、と思ったのであかねさんの面影の花として使いました。 尚、同作品における野菊とは「カントウヨメナ」という薄紫の野菊のことなのだそうですが、その花言葉を見つけられず、ここでは野紺菊として登場願いました。 野菊はカントウヨメナや野紺菊の総称だそうです。なので、ま、OK??かな。。。と。 2005年11月22日付でUPしていたものを加筆修正して2012年10月8日付で再掲。 |