「あれが、シリウス。あっちにポチポチ固まって見えるのはきっとプレアデス星団」 二月の半ば。 春先というには、まだ冬の気配が色濃い。 19時を過ぎた今はもうすっかり暗く、乾いて一層冷え込んだ夜の気配に包まれる。 手を繋いで傍らを歩くあかねは、この住宅街の静かな道に入ったあたりから急に夜空を仰ぎ見て星を追い始めた。 「―――それでね、、、あれはオリオン座。真中に星が三つ並んでるし、絶対オリオン座!」 泰明はただ黙ってそのはしゃいだ声を聴いている。 足元を見ずに空ばかり見上げているあかねが転ばないように気を配ってやりながら。 「冬は、星が冴えて見えるよね―――だから寒いのも好き!」 街灯の下、息が白い。 笑っているあかねの頬や鼻の頭も寒さで少し赤くなっている。 繋いでいた手をはずして、あかねの頬にかかった髪をそっと耳にかけてやれば、小さなその耳に指先が触れた。 冷たい。 「あかね―――…寒いだろう。そろそろ真直ぐ歩け」 「うん」 別段気を悪くした風もなく、あかねは素直に頷いた。 ―――明日、お買い物につきあってほしいの。 昨晩遅く、携帯電話での小さな声。 泰明の予定が空いていることが判ると、あかねは少し気恥ずかしそうに言った。 あかねからの願い事なら一も二もなく従う泰明である。予定が立て込んでいようがなんだろうが、あかねが最優先。ただ、ここのところ泰明が忙しくしていたのを気遣って、中々言い出せないでいたようだった。 いつものように、「問題ない」という台詞で承諾すると、電話口の向こうでほっと息を吐くのが聴こえた。 (買い物というと、何か大きなものや重いものを買うつもりだろうか) 「お買い物につきあってほしいの」という言葉を、単に「荷物持ちが欲しいの」くらいしにしか理解していない泰明である。ただ、久しぶりにあかねと共に過ごす時間ができて嬉しかった。あかねに早く会いたいから、あかねが通う高校の校門まで迎えに行くことを半ば強引に決めて通話を切った。 明日になるのがとても待ち遠しかった。 そして今日―――その約束の2月14日。 校門前で腕組みして佇む泰明の前に、あかねがやってきた。 小さく手を振って微笑い、小走りに寄って来る。 「泰明さん、またガン飛ばしてる!」 「?」 あかねが、肩をすぼめて可笑しそうに笑う。「わたしの彼氏はほんとに目つきわるーい」などと言いながら、酷く嬉しそうに、楽しそうに。 「―――それで、何処へ何を買いに行くんだ」 「雑貨屋さんを何軒かまわりたいです。あとは、、、まぁそのときに」 「承知した」 すっと手を差し出すと、あかねはまた嬉しそうに笑ってその小さな手を重ねてくれる。 異界の地にいたころは、手を繋いでやるどころか、彼女の歩調に合わせてやるようなことも思いつきもせず、随分と遠くまで連れまわしてしまった。ついてくるあかねのほうも大変なことだったろう。 今は―――もうよく知っている。 彼女の歩調も、一緒にゆっくりと歩くことも、こうして手を繋いで他愛のない話を聞きながら歩くことも。 あかねの行動の多くが、泰明にはよくわからないことばかり。 これはどうも異界にいた頃から変わらぬことで、ただ一つの進歩といえば、そこには彼女なりの思い入れがあったりするのだ、ということを、今は理解していること。 先ほどから―――あかねが手にとって見繕っている品々に、まったく一貫性はみられず、相変わらず泰明の頭の中では疑問符だらけだった。 “いい匂いのする石鹸”だったり、“可愛い柄のマグカップ”だったり、“ラッピング用のリボン”だったり、“小さなサボテンの鉢”だったり、“ハート型をした角砂糖”だったり、コンビニなどでみかけるのとは違って随分分厚い“板チョコ”だったり、“まるい形をした白くて軽い菓子の詰まった袋”だったり、、。 それらを、買ったり買わなかったりしながら、現在に至る。 「………………」 「? どうしたの、泰明さん?」 「あかねは、大きなものを買おうとしているのかと思っていた」 「??」 「今日は………荷物持ちのために、わたしが必要なのかと…」 「!?」 「違うのか?」 しばらくぽかんと口を開けていたあかねは、やがて、ぶっと噴出した。 「やだ、違いますよ。ただ、泰明さんとお買い物デートをしたかっただけです。それに今日は……」 と、そこまで言いかけてから 「あ、でも、そんなに荷物もちをしたいのなら…」 悪戯っぽく笑ったかと思うと、通学カバンや、先ほど買ったマグカップの入った包みやその他こまごまとした包みがまとまって入っている紙袋を、泰明にどかっと手渡した。 「つきあわせちゃってゴメンナサイ。随分時間も経っちゃったし……あとは、泰明さんちでお茶飲んで帰ります」 「疲れたのか? 茶が飲みたいのなら、そこにも手ごろな店があるが―――」 「………それなら、泰明さんちでお茶飲んでってもいいでしょ?」 「?」 「あとね、泰明さんに渡したいものもあるから、泰明さんちにちょっとだけ寄らせてください」 「―――…問題ない」 “問題ない”どころか、それはとても嬉しい。 嬉しいので、思わずあかねを抱き締めようとして、ハタと気付く。 「!」 先ほど両手に持たされた荷物が実に邪魔であることに…! “タイミング”というものを完全に逸してしまい、数歩先を軽やかに歩くあかねの背を、少し恨めし気に見遣る。 どうしようもなくて―――泰明の眉が不機嫌印に片方だけ上がった。 「あれが、シリウス。あっちにポチポチ固まって見えるのはきっとプレアデス星団―――それでね、、、あれはオリオン座。真中に星が三つ並んでるし、絶対オリオン座!」 邪魔な荷物は片手にまとめて持ち、もう一方はあかねとしっかり手を繋いで。 夜の住宅街で星を追うあかねと共に歩く。 思い返せば、今日はまだ、あかねを抱き締めていないし、口付けてもいない。こうして手を繋いで歩くことばかり。人前で“そういうこと”をされるのをあかねが厭うので、とりあえず今は、“我慢”している。 「冬は、星が冴えて見えるよね―――だから寒いのも好き!」 そうは言うけれど、立ち止まった街灯の下、あかねの吐く息はすっかり白い。繋いでいた手をはずし、指先でそっと触れたあかねの頬や耳はとても冷たい。 「あかね―――…寒いだろう。そろそろ真直ぐ歩け」 「うん」 素直に頷いたあかねは、泰明の腕にぎゅっとしがみついてきた。 「泰明さん、今日は何の日か知ってます?」 「如月の十日余四日」 「何日じゃなくて、何の日って聞いたんです」 「……立春は過ぎている。雨水まではまだ間がある。あとは六曜でいえば―――友引(ともびき)だ。それがどうかしたのか?」 真顔で尋ねたところで、何故かあかねはころころと笑い出し 「あぁもう泰明さん、大好き」 「お前の言うことは訳がわからん」 「いいんです、大好きったら大好きです」 「―――…」 部屋に戻って早々にあかねを抱き締めようとしたものの、今日に限ってするりとかわされてしまい、気を取り直してあかねのために温かい飲み物をと思えば、今日は絶対わたしがやるから泰明さんは座って待ってて!と強引にキッチンを追い出されてリビングへ退避させられる。 とりあえず大人しくソファに座ってみるものの、手持ち無沙汰で。 背中いっぱいで聞き耳をたててあかねの気配を探れば、鼻歌まじりに今日買った品々の包みを解いている。 キッチンの戸棚をバタバタと開け閉めしていたり、何かを刻む音がしたり。 明らかに茶を淹れている気配ではない。 疑問に思っていると、やがて―――部屋を満たしたのは、甘い匂い。 「はい」 すっかり目を通し終えた新聞を惰性で広げていると、目の前に大き目のマグカップが差し出される。 持ち手のところには、何故だか小さなリボンが喋喋結びでついていて。 「あかね、これは?」 「―――」 無言のまま、さらにマグカップをぐっと差し出される。 がさがさと新聞を折り畳んで、おずおずとそれを受け取る。 中には甘い匂いのする温かい飲み物。 「………ココア…か?」 「ハズレ。ホットチョコレートです」 「?」 リボンをつけたマグカップ。 中にはホットチョコレート。 少し焼き目をつけたマシュマロも載っていて。 「バレンタインだから」 「?」 「今日は、女の子が好きな人に好きって言って、チョコレートをあげて、それからオプションで何かプレゼントもつける日なんです」 だから、とあかねは少し笑って言葉を継ぐ。 「大好きな泰明さんに、ホットチョコレートと、プレゼントのマグカップを―――どうぞ受け取ってください」 「!」 「プレゼントどうしようかって思って―――この前電話で訊いたけど“欲しいものは特にない”ってその一点張りだし。だけど、いつも泰明さんの近くに置いてもらえるものがいいなぁとか、いろいろ考えて。それで今日は雑貨屋さんを一緒に回ってもらいました」 へへへっと照れて笑いながら、あかねがもう一つのマグカップを差し出す。 「こっちは、わたしの分。色違いでオソロイのも買っちゃいました。このお部屋に置かせてくださいね」 「―――…」 さて、女の子からの愛の告白も終わったことだし―――と。 あかねがそそくさと立ち上がる。 「泰明さん……今日は一日お買い物につきあってくれてありがとう。もう遅いから、わたし帰りますね」 「!」 「近所だからわたし一人で帰れます。いつもみたいに家まで送ってくれなくて大丈夫。よかったら、そのチョコレート大事に飲んでくださいね、、、レシピは簡単だけど、けっこう練習したんだから」 そのまま、あかねは、コートに袖を通して。 マフラーをして。 カバンを手に持って。 玄関のところまで移動して。 学校指定のローファーに足を入れて。 それから――― 「―――!」 玄関のドアノブにかけた手を、一回り大きい手がぎゅっと押さえる。 「泰明さん、、、手」 「いやだ」 「!?」 「―――……あるんだ」 「え?」 「他にも…欲しいものがあるんだ―――」 一回り大きな手がゆっくりと離れて、あかねの小さな手をそっと取る。 その細い指に――― 「!」 その、細い指にするりと巻かれ、結ばれたのは、リボンの小さな蝶々結び。 「これ―――さっきの」 泰明のほうに振り返って「マグカップに…」と言いかけたところで、あかねの言葉は途切れる。 あかねの背は、開かない玄関ドアに押し付けられて。 手に持っていたカバンはトサリと足元に落ちて。 重ねられた唇は、性急に深く貪るものに変わって。 それに応えるために、ときおり毀れる吐息も、全部絡め取られて。 やがて、指にリボンをされたままの小さな手は、覆いかぶさるようにあかねを玄関ドアに追い詰めたひとの背にまわって。 「っ……も…ぅ」 「あんなことを告げられたら、お前を手放せるわけないだろう」 名残惜しそうに唇を離し、耳元で低く囁く。 欲しいのは、あかね。 あかねを抱き締めて、だれの目にも触れさせずに独り占めする―――そんな時間。 「こんな日なら、お前をねだってもいいのだろう?」 「こんな日だから、余計に言い訳ができないんじゃない」 そう言いながらも、胸に身を預けてきたあかねに、泰明は再び囁く。 ―――このまま独りにするな、と。 やがて―――「泰明さん、ずるい。一緒に言い訳考えて。それから、一緒に怒られてよね」と腕の中で小さく抗議するあかねをもう一度強く抱き締めて 「―――問題ない」 と。口の周りにできたホットチョコレートのヒゲをほころばせて、泰明は、嬉しそうに笑った。 Fin. あかねさん、陥落。 高校生の身で彼のうちにお泊りは、なかなか大変なことでしょう……(うふふ)。 安倍神子VD&WD企画さんに提出しようと思っていたものです。間に合いませんでした(爽やかに笑顔)! |