ド ー ベ ル マ ン の 夜




 ビロードみたいに光沢のある短い毛並み、すらりと無駄がなく俊敏そうで筋肉質な身体。いつも耳をすませて遠くの音を集め、目は決してキョトキョトしているわけではないのに確実にその広い視野を支配していて―――大きくて強くてとてもお利口なドーベルマン。
 初めは怖くて近寄れなかったのだけど、ある日勇気を出して手を伸ばした。鼻筋をすっとなでてやると、嬉しそうに耳をくしゃっとして…あれは多分、笑ってくれたの。
 あったかくて可愛いと思った、犬が笑ったのをはじめて見た、目がとても優しいってことに気がついた―――…嬉しくてドキドキした。

 ご近所にいたドーベルマン。小さいわたしは、あの子のことが大好きだった。

◇ ◇

 「―――よりたださん」
 妻戸を開け廂から小声で呼びかけると、耳元の宝玉が光って見えた。
 背を向けていた彼がこちらを向き、その動きで蛍火のように淡く青い軌跡が生まれる。
 神子であるわたしが視える宝玉。
 そして“護衛”として彼がこんな時間にも近くに居てくれるから目にすることができる光。
 「……寝付けませぬか、神子殿」

 低く落ち着いた声。夜と月と宝玉とがくれる、わたしにだけ視えた青い軌跡。わたしは今、彼を独り占めしているんだ、と胸の鼓動が一つはねる。
 「今宵は一際月が冴えます。光が煩いのではございませんか」
 月が冴えていたとて夜にかわりはなく、夜目が利かないわたしには簀子縁まで出てきても、この距離では彼の表情までは見えない。ただ、ほんの少し…ほんの少し彼の声が丸みを帯びていることに安堵して、嬉しくなって、だけどそれを悟られないように小さい声で切り出してみる。
 「ごめんなさい。ちょっとだけお話につきあってくれますか?」
 「神子殿のお望とあらば」
 いつものようにいつもの台詞で、彼は、この我儘をきいてくれる。
 さらり、と。
 従者である彼に、それを断るという選択肢がないことを苦く思ったりもするのに、
 「―――ありがとうございます」
 「いえ…」
こういうとき彼はふっと口の端で微笑ってくれるから。見えないけれど、それは気配でわかるから。
 従者である彼に、それを断るという選択肢がないことを苦く思ったりもするのに、この我儘が決して我儘ではないように、ついそう思ってしまう。

◇ ◇

 張り詰めた冷たい空気が動いて、彼が近づいてくる。
 本当だったら、コーヒーとかココアを淹れて、どこかあったかい場所でおつきあいして頂きたい―――そんな他愛ない時間なのだけれど、ここは平安調の異世界の京。そして、どうやらわたしは龍神の神子で、 彼はわたしの八葉で。
 こうして月の冴える寒空の下夜毎わたしの警護の任に就く彼に 我儘を言って縁の欄近くまで来てもらい、それでも、こちらに背を向けたまま警戒を怠らない律儀な人とほんのひと時おしゃべりをする。
 見上げるのは、いつも背中だけ。
 煌々と照る月光の下彼の背は色濃い影をつくり、頷いたり考え込んだり、そのたびに耳元の宝玉がキラリと光る。
 言葉少なに、彼は必ずこの我儘につきあってくれて、滅多に笑わない人なのにこんなときは柔らかく笑ってくれたりするものだから、他愛ない時間は、この上もない宝物のような時間になってしまう。

 「小さい頃、近くのお家に“ドーベルマン”っていう種類の犬がいて……」
 今日は大好きだったドーベルマンの話。
 いつの頃からか、気付いてしまった。
 「………頼忠さんに、とっても似てるんです…」
 見た目はちょっと怖いけどすごく優しいとか。
 強いとか。
 賢いとか。
 笑うと可愛いく思えてしまうとか……いろいろ。
 そんな偶然の一致を、わたしひとりがかみ締めてそっと笑い、犬に似ているなんて言われて、ただただ当惑するひとの背を見上げる。
 「み、神子殿のお目にとまるとは…さぞ、賢い犬だったの…でしょ…う」
 当惑しながらも律儀に、何か言わなければとひねり出された言葉は 矢張りとても不器用なもので、私如きに似ているなどと勿体無い…なんて、もごもごと付け足しながらますます困った様子の背中に、

 「わたし……その子が大好きでした」
 ―――…と、小さな爆弾を投下。

 こちらを振り向こうにも振り向けず、ますます困った様子の彼の背は、手を伸ばして腕を広げてもとても納まりきらない広さ。それでも、簀子縁の端、欄からめいっぱい身を乗り出して
 「―――!」
 彼の広い背中を捉まえて、抱きついて、そこに頬寄せて
 「今も―――…好きです」
と、小さく呟く。
 「……神子…殿…?」
 きっと、これはとんでもない我儘で、彼を困らせるだけなのだと知っているけれど
 「ずっと前から、好きでした」
 「!」
 寒空の下にずっと居たひとの背はこの寒気のせいでとても冷たくて 、こうして我儘を言いたくなったわたしの頭を冷やすには丁度良い冷たさだから。
 「我儘だけど、もう少しだけ…頼忠さんにこうしてくっついていたいです。穢れているとか、触れてはダメだとか………今だけはどうか言わないでください…」
 彼の広い背中は無言のまま。
 けれど、抱きついている私の腕に彼の大きな手がぎこちなく触れてくれた。それがきっと返事の代わり。その手が伝える彼の体温が思いの外熱いことに、ほんの少し―――自惚れてしまいたくなる。

 背中ごしにそっと見上げると、目に映る青い光。
 わたしにだけ視える、彼の耳元の宝玉。
 静かな夜と、冴えた月と、淡い宝玉の光。
 ―――…彼を独り占めできる、僅かな時間。

 我儘な片恋から生まれる独占欲を、どうか、今だけは。


Fin.


 図体でかいのが、可愛くてちっちゃい子を守っているシルエットはいいですよね…!! おとぎ話のようで、これもまた武士の萌ポイントかと思います。というわけで、純情ドーベルマン………に挑戦。
 でも、どうしてだろう……頼忠が純情だとこっちがとても恥ずかしい……(慄)。
 同じ犬なら、頼久はシェパード、頼忠はドーベルマン。どちらも強そうな軍用犬。頼忠はオオカミっていうのが一番似合っておりますけれど…ね!!
 そのうちちゃんとエロ凛々しい頼忠にも挑戦したいものです。