深く果てない夜の底で (2)




 あれから数えて、今夜は三度目。
 始まりはいつも唐突で、行為の激しさも、闇の恐ろしさも変わらない。霧散してゆく意識の中で、苦しそうな線引きの声をこれまでに二度聞いている。コトの終わりに抱き寄せる手が…怯え震えていることも朧に知ってる。

 ◇ ◇

 初めての朝も、二度目の朝も、目覚めるとひとりだった。
 朝の白光の中で目覚めたとき、躰が負った痛みより、こんなに明るい場所にたったひとりだということのほうが痛いと思った。
 知らないうちにきちんと着付けられた夜着。
 整えられた夜具。清められている身体。
 けれど、肌のあちこちに残る痕、気だるい四肢。
 起き上がるのも物憂くて、重い腕をゆっくりと上げ、自分の手を光にかざしてみた。

 「……っ…」

 不意に、涙がこぼれた。
 手首にうっすらと痣ができている。
 ここを強く掴まれて押し倒され、肌のあちこちを貪られたことをまざまざと思い出した。
 闇の中の出来事。
 けれど、そのことが恐ろしくて涙がこぼれたのではなかった。

 ―――闇の中で、彼は一度だって、この手を優しく包み指を絡めてくれただろうか。

 寒くて堪らなかった。
 好きな人に愛されたはずなのに、酷く寒くて……淋しくて、涙がこぼれた。優しく触れられた記憶を持たない手で口元を押さえ、寒さに耐えるように震え、嗚咽を押し殺した。
 清廉な白光は、冷たくて痛い。
 強すぎる。
 こんなに明るい場所に、たった一人でいることが心細くて辛かった。
 そして―――あの深い闇色が、恋しくて堪らなかった。

 「……さむ…い…よ」

 彼が躰に刻み込んでいった深い闇。
 果てない闇の底で触れたのは、ぞっとするような孤独と、決して満たされることのない、渇望。

 彼の灼けつくような体温を、確かに知っている。
 拒むこともできず、確かに躰を繋いだけれど…その先で触れたのは、決して満たされることがない渇望。
 彼は、花梨の何もかもを奪い去り、さらに、ぽっかりと空疎なものを与えた。
 火のように熱い人だと思っていたけれど、本当は、青い陽炎だった。
 その炎は静かなようで激しくて、冷たいようで熱くて、とても淋しい色。
 ともすれば闇に同化して、やがて、自分さえも失くしてしまうような―――危うくてとても脆い人なのだと身を以って知った。

 いつもいつも。
 “死に場所を見つけた”と―――神子である花梨を生きる理由ではなく死ぬ理由にして、穏やかな目をするとても淋しい人。
 そんなふうに背中の傷痕を抱えて立ち尽くし、死ぬことと生きることを履き違えたまま―――ああ、それでも彼は、生きることを渇望している。

 だからきっと、触れれば触れるほど淋しくなって満たされなくて、 朝の白光よりも、易く包み込まれて沈んでゆける闇を―――あの深い闇を恋しいと思ってしまう。

 抱かれる度に。
 彼のその渇望に浸蝕される度に。
 あの深く果てない闇を、無意識のうちに求めるようになってしまう。

 躰でも、心でも、強く。

 ◇ ◇

 もう何度目か分からない。
 痛覚はとうに拡散し、かわって押し寄せる別の感覚の波。
 意識が途切れては、掬い上げられるように別の刺激によって浮上させられる。
 今は、うつぶせにされて後ろから攻められている。

 「っ…ぁあ…んん……んぁっ」

 細い腰はがっしりと掴まれていて、激しく衝かれるたびにがくがくと膝が震え、躰を支えておくことなどできない。
 すがるものがほしくて、花梨の両手は褥を彷徨い、端布を強く握りこむ。
 すぐにでも褥にくず折れてしまう躰。
 けれど、逞しい腕が容赦なく花梨の細腰を掬い上げ、猛ったものを打ち付けてくる。
 背に覆いかぶさる彼の肌がひどく熱い。
 細腰を抑えていた腕が、今度は花梨の胸をまさぐり、首筋や耳の後ろに荒い息がかかる。
 まるで喰いつかれるように、首元に歯をたてられる。

 「ぁっいっった……んんっ」

 けれど、それはすぐに甘い痛みに変わる。
 耳にかかる熱い吐息。
 肌を貪るように、背を伝う熱い舌。

 「は…ああ…や…もう…んん」

 乱暴に胸を揉みしだかれながら、後ろからまた、ある一箇所を強く衝かれた。
 花梨の背がびくんとしなり、ひと際高い啼き声が挙がる。

 「ぁぁぁァアアアアアアっ!」

 胎内は痙攣し、意識がふっつりとはじけた。
 花梨の躰は、褥に崩れるように沈み込む。
 そこでようやく―――熱い肌が背から離れ、花梨の中から彼のものが引き抜かれた。
 が、それは一瞬こと。

 「ぁっっ」

 うつぶせに倒れこんだ躰がまた仰向けに返され、荒々しく抱き起こされる。
 その腕にくたりと身を預けたまま、花梨はまだ意識を結ぶことが出来ない。
 だらしなく開いたままの膝。
 その膝裏に腕が差し入れられ、先ほど後ろから攻め立てられていた場所が露わにされる。
 そこにまた―――いまだ昂ぶったままのものの先端が宛がわれ、花梨の躰は、彼の膝の上にすとんとおろされ

 「ゃっぅっっぁぁあああ…っ…ッ」

 再びその場所を穿たれ、中をいっぱいに犯される。
 そのまま、また激しく躰を揺さぶられ突き上げられ―――

 「はっぅ…んんぁぁぁぁぁっ」

 喘ぎ悶えながら花梨の腕は必死に広い背に縋り、開かされた脚はその逞しい躯に絡みついた。

 「ぃやっっ…も……ゆる…し…てっ」

 息も絶え絶えに訴えるけれど動きをとめてもらえることはなく、さらに、弱い場所をねらって腰を打ち付けられる。
 花梨の柔肌を貪るように、その鎖骨に、先ほど歯をたてられた首元に、彼は唇を寄せ舌を這わせた。
 耳には荒い息がかかり、その刺激に震える花梨の身が、不意に、少し抱き上げられる。

 (――?)

 そうやっていちど引き抜いたあと、今度は、一気に花梨の弱い場所が突き上げられた。

 「ぃぁッァアアアアアアアアアアッッッ!」

 逞しい腕の中で、ふるふると花梨の背は震え、ひたと彼のものに絡みついた内側の襞がその熱いものを強く締め付ける。
 足先まで痙攣し躰全体がびくんとはね、花梨の意識はまた遠くなる。
 やがて完全に力が抜けてふらりと倒れるのを彼が抱きとめたとき―――彼のものが花梨の中でびくびくと脈打つのがわかった。

 「―――…くっ」
 「っっぁんっ…」

 躰の内側から伝わるその刺激にも敏感に反応して、花梨の唇から吐息が漏れる。
 それでも必死に意識を留めおこうと震える花梨の身体は、彼の腕に抱かれたままゆっくりと褥に倒れこんだ。
 抱き合う肌は互いに吸い付くように溶け合って、褥の中にふたり沈み込む。

 繋がった場所から伝わる熱い脈動。
 肌から伝わる互いの激しい鼓動。
 その部屋を満たす濃密な空気。
 嵐のような情交の終わりに、躰の内と外から彼に与えられる生々しい余韻。

 そうして―――きっと。
 花梨に覆い被さるようにして深く息を吐いた人は―――きっと、また苦い線引きの言葉を告げる。
 初めてのときと、二度目のときと同じように。

 (―――だからその前に…)

 腕を上げようとするものの、思うように動かせない。
 酷く疲れていて意識もぼんやりとして―――けれど、花梨だけを闇から遠ざけようとするその言葉を告げられる前に、彼に伝えなければならないことが。

◇ ◇

 「より…ただ…さ…」

 か細い声。
 たよりない息。
 それでも、“今”言わなければ意味がないことだったから。

 「わたしを…ひと…り…に…し………で」
 「……神子…どの?」

 声も掠れて、はっきりと伝えられるか分からない。
 だけどもう、わたしは、この人の深い闇に触れて囚われてしまったから。

 「おねがい…もう…一人に…しないで」

 嵐のような貴方の熱情に触れた後で、身を切るような朝の白光の中にたった一人残されるのは、辛いから。
 貴方そのもののような闇が、こんなに恋しいと知ってしまったから。
 それなのに、貴方はいつも―――嵐の後ここにわたし一人を置き去りにしてゆくの―――なんて、ひどい人。
 そして、こんなふうにしか人を愛せない―――なんて淋しい人。

 「知ってるの…わたし…」

 きっとこの人は、わたしを抱くことでしか生きていることを確かめられない。
 そのときだけ―――背の傷痕がつくる常闇から逃れられるのか、それとも、その常闇に独りきりでなくなるのか―――ただ確かなことは、傷痕がつくるその闇にわたしまで染めた、ということ。
 ひどい人。
 淋しい人。
 だけど…

 「だけど…好き」
 「――――……」
 「貴方のことが好きです―――」
 「!」
 「あなたの背の傷も…あなたの言う罪も。それらを……抱えたまま、ここ…に…こうして…確かに生きている貴方が…好きです」

 深く果てない闇を覗き込んで、手を伸べ、確かに触れてしまった。
 そうして彼の枷を外したことで、彼の中にあったどうしようもない矛盾が、あふれ出てしまった。

 「知っているの―――こうしていれば、貴方は生きていることを確かめられるのでしょ……う?」
 「っ……もうしわけ…」
 「だめ……そうやってあやまらないで……」
 「みこ…どの……?」
 「あやまったりしないで……そのかわり、わたしの我儘を…きいて…くださ…い」

 そう、堕ちていくのなら、共に。
 彼の渇望を満たすことが“共に堕ちてゆくこと”なら、それでかまわない。

 「手を…握って」
 「手、を?」
 「はい…手を握っていて」
 「―――」
 「つぎに目覚めるまで……傍に居て……ここに、わたし一人を置いていかないで………おねが…い」

 堕ちた先にあるものは、ただ濃く深く果てない闇だけかもしれない。
 けれど、それでもよかった。
 この人と、一緒なら。

 「そばにいて………より…ただ…さ」
 「―――…っ」

 彼の大きな手が、そっと花梨の手に触れた。
 やはり睦言一つくれないままだったけれど。
 闇の中で、本当に初めて優しく手を包んでくれた。
 花梨の細い指を柔らかく握って、その無骨な指をそっと絡めてくれた。

 「あったか…い…」

 そう呟いて意識を手放していく花梨を彼が強く抱き締め、眦(まなじり)からつっと毀れた涙を拭うように、その唇が優しく触れた。
 彼の腕と、抱き込まれたその広い胸から伝わる鼓動は、僅かに震えていて―――もしかしたら彼のほうが泣いているのかもしれないと思った。
 けれど、それを確かめることもできないまま―――花梨は初めて幸福な闇へ堕ちていった。

 怖ろしくて、けれど、恋しい闇の底へ。

 絡めた指から伝わる彼の温もりが、ただ、愛おしくて堪らなかった。



Fin.


** ** **


 2006年12月27日~2007年1月4日付で【徒然】にUPたものを加筆修正して、2008年5月17日付で再掲。

 『堕ちてゆく恋』

 そうやって添い寝してて、朝、紫姫に見つかって大騒動になったりならなかったり。真の友(勝真)に弓で射殺されそうになったりならなかったり、陰陽師殿に呪い殺されそうになったりならなかったり、東宮様に政治的に抹殺されそうになったりならなかったり……『堕ちてゆく恋』は前途多難なのです。

 頼忠にとっては、“神子殿の仰せに忠実に従う”のが愛。
 理性がぶちきれるとかなりのご無体をはたらく頼忠殿ですが、一旦、クールダウンするともうすごい開き直りで神子殿に忠実。夜が明けても女のところにいるのが野暮だとかいう平安常識など一切眼中になく、傍に居てと言われれば、頑なに傍に居てくれます。

 それが頼忠の愛、頼忠の総て。

 しかも、問い詰められたら「神子殿の仰せに従いました」的なことを大真面目に言ってしまって、余計に誤解を受けるというか、かえって乙女心を傷つけてしまうというか…。
 あと、ご無体のあとは只管後悔。どうしようもなく陰鬱に後悔。それでいて肝心の“反省”はしていないので結局ご無体を繰り返しちゃったりします。
 そんなふうに、そうとう不器用で痛い人だと信じています。

 このように―――頼忠×花梨は『堕ちて行く恋』というのがわたしのイメージなのです。例えば、谷崎潤一郎の「春琴抄」のような、「危ない」「激しい」「殉じる」の3つのキーワードが、頼忠にとても似合うと思ってます。
 なんかいろいろと血迷っている頼忠殿の危ないところがとてもとても好きです。。。。。。。でも彼以上に血迷っている自分が痛い、、、という自覚は……一応あります(言い訳)。