稚 い 恋 人 (2)





 「み、神子殿、今朝からなぜそれをお尋ねに…?」

 うっかり呼び方が神子殿になっている。

 「だって…」
 「だって?」
 「お友達になれるかなって…」

 頼忠、再び、柱の角にガツン!と頭をぶつけそうになった。

◇ ◇

 今朝から妻の言い出すことは、いちいち理解の範疇を超えていると思う。
 気のせいではないはずだ。

 「好きな人が一緒なら、好きなものとかいろいろ一緒かもしれないでしょ?」
 「!」

 そうか、自分は妻にとって“好きな人”なのか―――と、その当り前のはずなのにとても幸せな言葉に、一瞬ニヤついてしまうのだが、すぐに我に返る。
 そんなニヤついている場合ではない。
 妻は、次にいったい何を言い出すのか。

 「そうしたら、そのひとたちと気が合うのかな…お友達になれたりするのかなって…思って。そう思ったら、どんなひとたちだったんだろうって、すごくすごく気になってきて……」

 まってくれ。
 だいたい、昔の女と今の女が和気藹々としている図など、男にとっては、阿鼻叫喚図でしかないのだが。

 「まだ頼忠さんのことが好きだったりしたら困るけど。でも、頼忠さんオトナだからちゃんとお別れしたんでしょ? 頼忠さん優しいから、気を持たせるようなこと言って待たせてるとか、そんな酷いことしてないでしょ? すごく恨まれたりとかそういうのないでしょ? 」

 自分が優しいのかオトナなのかはこの際置いておいて、妻が心配しているようなことは、ほぼ、いや、まったくない。
 まぁ、それ以前の問題なのだ。
 なにしろどれも自然消滅だったから。

 「それにね、そのひとたち、頼忠さんのどういうところが好きだったのかなって、、、すごく訊いてみたくなったりして…」

 いや、それも正直勘弁してもらいたい。
 そもそも省みれば、ニ三度会って終ったのが多いのだ。
 それも向こうから誘ってきたのばかり。
 据え膳は頂くのが常識なので、やることはやったが。
 口下手だからたいてい話題が続かないし、仕事も不規則だから次の約束もままならない(そこまで会いたい女ではなかったのだろう、いま思うと)。
 女とつきあうとなると、文を貰ったり書いたりが必要なのだが、それがすぐに面倒になって、いつしか足が遠のいてゆき―――結果、自然消滅。
 相手の女のほうも頼忠のことを覚えてなどいないかもしれない。
 現に頼忠のほうとて顔も思い出せないのが……まぁ、いないわけではないわけではないわけではない。
 つまり、“どういうところが好き”以前の関係で終わったのばかりなのだ。

 ―――と。
 目まぐるしく頼忠の頭はフル回転するけれど、顔には出さないし、それを言葉にはできない。言葉にすることが苦手だから。
 ただし、若干情けない表情にはなっている。

 「ね、どんなひとだったんですか?」

 くるくると瞳を輝かせて、純粋に興味津々な様子で尋ねられ、頼忠はますます頭が痛くなる。
 まったく妬いてもらえていないというのも、また、少なからず―――妻がよく遣うことばで言えば―――“しょっく”である。
 悋気を起こされるほうが随分マシだと思うし、理解できるのだ。
 このひとは、まだ稚い。
 こういうとき、歳の差をひしひしと感じてしまう。

 「―――何故そのようなことをお思いに? ご友人ならば、千歳殿や紫姫、四条にお仕えの駒野殿や淡路殿が……」
 「―――っ」

 あれだけ一気にしゃべっていた妻が、急に押し黙ってしまった。

 「花梨殿?」
 「だって……千歳は白河の奥にいるから、時々しか会えないんだもん」
 「―――…」
 「……駒野さんも淡路さんも、お仕事してるひとだから忙しいだろうし……でも、わたし他にお友達いないし…」

 (―――ああ……そういうことか)

 ここにきて、なんとなく合点がいった。
 有態に言えば、拗ねているのだ。
 小さな手が、頼忠の衣の端をいじいじといじくっている。
 ここからみると、唇も尖がっている―――可笑しいし、可愛い。

 気付かぬうちに、この最愛のひとに、なにやら寂しい思いをさせてしまったらしい。

◇ ◇

 世界を違えてひとり此処に残ったひとの心情を、すべて知ることはできない。
 そのことは、とても歯痒い。

 ここにこうして暮らすことを望んでくれたのは妻のほうだったし、頼忠にとって、その想いは何よりも嬉しかった。
 もともと我儘をいうひとではない。
 素直で前向きな性分だから、すぐに楽しみをみつけてくる。
 夕餉の折や共寝の折、その日あったことをいつも楽しそうに話してくれる。

 それでも、埋められないものはあるのだろう。

 共に暮らすようになって気がついた。
 このひとは、時折こうして頼りなく揺れて―――幼いのか突飛なのか、こちらが驚くことを思いついて口にしてくる。
 もしかしたら、当人とて抱えるものを自覚せず、持て余しているのかもしれない。
 寂しさに襲われてもそれがよくわからず、こんなふうに甘えてくるのかもしれない。

 「花梨殿…」
 「?」
 「―――…いえ」

 頼忠は目を伏せて、幼妻の身を抱き締める。
 ただただ、いとおしかったから。

 ―――心細いですか?
 ―――帰りたいですか?
 ―――此処は、貴女にとって寧らかな場所ですか?

 問いたかった言葉をどれも飲み込んで、けれど、頼忠は別の言葉を投げかけた。

 「貴女は……あちらでは、たくさんのご友人とともに学問をされていたのですね?」

 たしか―――“コウコウセイ”という身分で“ジョシコウ”というところで毎日過ごしていたと。
 あちらの世界では、同じ年頃の少女ばかりと過ごしていたのだと、いつだったか話してくれた。
 思い返せば初めの頃など、男ばかりの八葉らと共にいるときよりも四条に仕える女房たちといるほうがずっと楽しそうにしていたのだ。
 少し距離を置いて仕えながら、このひとが花が咲くように笑うのを初めて見たのも同じ年頃の女達の輪にいるときだった。あの頃はまだ、八葉らの前で心からの笑顔を見せていなかったと思う。気を遣って、あるいは、どうしてよいのか解からずに曖昧な笑顔をみせるばかりだった。

 「―――明日は、四条のお屋敷へお運びなされませ」

 里心がついたのだろうか。
 異界の里と、ここでの里と。
 それなのに、忙しい四条の女房殿や白河の千歳殿を気遣うあまり、会いたくても会いに行きづらくなってしまった―――おおかた、そんなところなのだろう。このひとは優しいから。
 ならば、その背をそっと押してやればいい。

 「頂いた菖蒲がよく咲いたことを―――尼君や紫姫に。駒野殿や淡路殿にも」
 「………」
 「姿の良いものを切花にしてお持ちすれば、皆様、喜ばれましょう……わたくしもお手伝いいたします」
 「う……ん」
 「四条のお屋敷は、貴女のご実家のようなもの。急な訪いとて誰に咎められるものでもありますまい。かえって皆様お喜びになられます。白河の奥にいらっしゃる千歳殿の許には、また日を改めてお運びなされませ。わたくしからも勝真に文を出しましょう」
 「うん…」

 腕の中でもじもじと頷く妻の背をそっと撫で、柔らかい髪に口吻ける。
 出会った頃から数えて3月目にあの決戦の日、今は、それからさらに半年近く。
 随分長くなったと思う。

 「―――御髪(おぐし)は、このまま…伸ばされるのですか?」
 「伸ばすの初めてだから、似合うかどうか解からないけど…」
 「駒野殿や淡路殿は驚かれるやもしれませんね。お二方とは、こちらにいらしてからお会いになっていないのですから」
 「へ、へんじゃない?」
 「いいえ。わたくしは、今の御髪もとてもお似合いだと存じますよ…」

 ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせたあとで、妻が、花が咲くように笑った。
 はにかんで、ありがとう、と言いながら、頼忠が今日帰宅してからはじめて抱きついてきてくれた。

 「明日は無理だけど、今度千歳とお泊りしたいんです。四条のお屋敷でお泊りすれば、みんなと一晩中お話できるもの。明日みんなにきいてみてもいいですか?」
 「四条にお泊りに、ですか?」
 「うん。勝真さんには内緒ですよ、あのね…」
 「はい…」
 「あのね…千歳、なんだか最近好きなひとがいるみたいなの。駒野さんはずっとおつきあいしている恋人いるし」

 2人しかいない場所だというのに、妻は内緒話を楽しむように声を顰めて囁く。

 ―――好きなひとのこととか、みんなで一晩中おしゃべりしたい、と。

 その、あどけない仕種に微笑いながら、頼忠は頷いてみせる。
 本音を言えば、少し嫌なのだ。
 一晩といえどもこのひとを腕に抱かずにいるのは辛い。
 けれどこの場合、それを言い出すのはあまりに大人気ないだろう。
 いまだ油断ならない元八葉の誰かと出かけたいなどと言われればそう簡単に是とはできないが、あの姫たちや女房殿たちと過ごしたいとおっしゃるのなら、話は別だ。

 このひとが笑ってくれるならなんでもしよう。
 もう手放すことなど出来ない代わりに。

 「その晩の貴女方の警護をわたくしにお任せくださるのなら―――かまいません」
 「もう神子じゃないのに?」
 「神子でなくとも、です」

 ―――貴女は、わたくしのただ一人の主ですから。

 それが“愛している”という言葉と同じ意味なのだと、この稚くも聡いひとは、知っている。
 抱き締めて囁くと、細い腕に抱き返され、

 「―――だいすき…」
 「!」

 夕暮れ時の空と同じように耳元を染めながら、妻は、頼忠の頬にそっと唇を寄せてくれた。


Fin.

 神子様は、女の子どうしで一晩中おしゃべりしたいお年頃なんだってば!

 頼忠さんって、女心は今一わかってないのに、「主」のことはかなり細やかなところにも気が付きそう。
 ノベルとか読んでると特にそんな感じなんですよ、「よ、頼忠のクセになんて細やかな…!」という場面がチラホラ(笑)。
 主従関係を巧い具合に残したままの恋愛関係っていうくらいが、ちょうどいいのかなぁって思います。従者然としていたいというなら好きなようにさせておけば、きっと巧くいくのよ。
 首輪をつけられたがりの旦那様は、神子様に振り回されるの大好きですから…!

*

 尚、黒龍の神子の千歳ちゃんも、四条の女房殿たちも、紫姫も、ものすごく花梨嬢のことが好き。だから、可愛い神子様をかっさらって独り占めしている頼忠殿は、ちょっぴり恨まれていたりするといい。
 みんな実は、小姑(笑)。

 そういうことを薄々感じ取りつつも、後日、一晩中女の子会議の外で、ひっそり警護につく頼忠さん。
 お忍びとはいえ龍神の神子がWで揃えば、確かに要警護な事態なのです。公私混同のようですが、とにかくこのお役目をもぎ取った頼忠殿。
 大事な妻の警護であります!