まっ白い雪原をとおく見はるかす場所で、眉間の縦皺はいよいよ深く。 そうやって不機嫌そのもので立つひとの隣で、望美はこらえきれずに小さく笑ってしまった。 不機嫌なひとのその足元で、雪だまりに飛び込んではひょこりと顔を出して遊ぶ犬とのコントラストが可笑しくて。そして、このアンバランスな二人(正確には一人と一匹)がいとおしくて。 神子殿は暢気であらせられる。と、すかさず見咎められて嫌味を言われる。 このひとはまったく。 不機嫌という姿勢においては、一分の隙もない。 それを口にはせず、けれども、表情には出てしまうのが望美の悪い癖だ。隠しごとなど、いまだかつてできたためしがない。 そうして一呼吸置いてから、花の話題を口に上らせた。 一呼吸置かねばならぬほど、そぐわない話題なのだ。このひととの間で。 「泰衡さん。ここは、雪がおわると蓮華のお花畑になるって―――」 けれども全部言い終わらぬうちに、「銀が貴女に?」と、呟くように問い返された。 察しのよいひとなのだ。 賢くてさまざまな可能性に思いを巡らせるひと。だからこそ、このひとは、物事の見方が悲観的なのだと思う。 望美は、通る声で「はい―――」と応え、隣に立つひととと同じように前を見据え、どこまでも続く白い雪原を見渡した。 ◇ いまは白いばかりの其処に、やがて春色の花が咲く。 それは、銀が教えてくれたこと。 いま望美が並んで立つひととは違って、ものすごく、花の話題の似合う青年だ。都人のにおいのする、やわらかなひと。だから余計に、望美の想像の中の花畑は、きらきらとあたたかいものとして瞼に現れた。 まだ知らないのに、このくにの遅い春のうららかな陽光に触れたような気持ちにさえなったのは、銀が語るきらきらした言葉のせいだろう。 その思い描いた光景を実際に見られるかどうか、は、望美にはわからない。この場所を春に見る運命を、まだ望美は知らないのだから。 ただ、雪解けをまたずにこのくにが戦に巻き込まれることだけは知っている。 戦によってこの場所も荒らされてしまうかもしれない。 そうでなくとも、ここに花を植えるひとが命を落としてしまうのかもしれない。 あるいは―――自分が。 そういう運命だって、きっとある。 「―――わたしは、蓮華の花畑も、そのあとの緑の絨毯も、見たいとおもうんです」 「平泉にとっての貴女方がなんであるかご承知の上で、か?」 「・・・ただの厄介者なのに、すみません」 「いよいよもって厚顔なことですな」 「きっとそれだけが取り柄ですから」 「―――」 ◇ ほんとうに大切なものを1つきり。 身を切るような思いをして選ぼうとするひとと、欲張りなことに全部を捨てられずに運命を繰り返す自分と、この掌に残るのはどれほど違いがあるだろうか。 このひとを、好き、なのとは少し違う。 いつも大真面目で、いつも不機嫌。全然素直じゃない。 だけど、悪人になりきれないのは、育ちの良さからうまれる「無私」のせいなのだとおぼろげにわかっていた。 そういう、どうしようもなく無邪気で透明なところがこのひとにはあって―――おそらく、その共通項で、このひとと、今は鎌倉に追われる身となった望美の大切な大切なひととは強く繋がっているのだろう。 だから、このひとを、好き、なのとは少し違う。 それをもう一度自分に問いながら、望美は隣に立つ人をまじまじと見つめた。 ただ、望美は立ち会ってしまったのだ。 ここではない別の時と空の下で、このひとが抱え込んだ、選び取ると同時に切り捨てることの深い痛みに。 “身捨つるほどの祖国はありや”―――そう問われれば、きっと“あり”と即答するであろうひとの、不器用でまっすぐな愛情と痛み、というものに。 「―――神子殿はご存じか。蓮華の花畑は、愉しむためのものではないことを」 「・・・はい」 ここではない時と空の下で、やっぱり貴方が教えてくれました―――とは言えるはずもないのだけれど。望美は、かつて聞いた、同じであって違うひとの言葉をゆっくりと反芻し、口にした。 「ここは、けして豊かな土地ではないから。それでも稲がよく育つように。一年稲を育てた土をいたわるために。次の年の実りのために。蓮華の花はそのためのもの、、、なんですよ、ね?」 「―――ご存知なら話ははやい。この国の民は、みな苦労して土地に手を入れ慈しんできた。冬深い雪に閉ざされても。夏冷たいヤマセにさらされても。都人からみれば辺境の地も、この国の民にとって此処は――・・・」 「“きたのまほろば”」 「!」 ここではない場所で、このひとが口にした言葉を先回りすれば、ほんの少しだけでも運命は逸れてゆくだろうか。 このひとのたどり着く場所は、少しだけかわるだろうか。 「―――・・・貴女は、何を知っている・・・?」 「何も。ただ―――っ」 強く吹き抜けてゆく冷たい風に息を止める。 そのせいにして、ふいに胸に満ちた哀しみをどうにかやり過ごそうと、望美は、両手で口元をおおった。 “貴方が、いつものとおり不機嫌な顔をしながら、北のまほろばの春を愛せたらいい” どうしてだか、放っておけなくて。 どうしてだか、おこがましくも、なんとかできるような気がして。 どうしてだか―――爛漫の春に、貴方の不機嫌な顔を見たい、のだと。 その、どれも言えずに望美は、 「―――ただ・・・九郎さんと一緒で、わたしも、泰衡さんのことをカッコいいなぁって・・・思ってて・・・」 「・・・・・・・・・は・・・?」 いろいろと巡ってひどく可笑しなことを言い出した望美に対し、隣に立っているひとは、すっかり困惑して苦虫を噛潰したような表情になり。あとはもう、ただただ無言を貫いて―――けれども、立ち去らなかったのだ。 相変わらず、不機嫌な顔で望美の隣に立ちつくしながら。 見はるかす白い雪原の中、馬鹿みたいなことだったけれど。そうやってふたりの間に出来たこの奇妙な「間」が、望美には、この上もなく愛おしく思えた。 ◇ ここに花が咲いたら、蓮華の花冠を編んであげよう。 貴方が愛する、この北のまほろばの爛漫の春を、冠にして。 迷惑そうな表情をありありと浮かべながらも、貴方は、この土地の花を決して無碍にはしないだろう。 そういうひとだ。 貴方は、きっと、そういうひとだ。 Fin. ( 北のまほろばの、不機嫌でとても優しい王様のはなし ) * 泰衡さんと望美さんのことを思うとき、どうしても、九郎×望美を前提にいろいろ想像してしまう。 泰衡×望美には決してならない、この、よくわからない望美→泰衡(すっごい迷惑!)な構図が自分はとても好きなのです。それでいて、泰衡様は望美さんのことが気になってしょうがないのね。望美さんに九郎さんと重なる部分がたくさんあるものだから。そこに気づいてるのだけど認めたくなくて、むしゃくしゃしつつ眉間のしわが深くなる感じ。。。(笑) お題バトンのお題「花が咲いた」(2010/2/25up)より。 こちらに掲載するにあたって、加筆修正しました。タイトルも変更しております。 |