もう長いこと口にしていなかった名が、この月夜にどうしてだか零れ落ちた。 凪いだ風がそうさせたのか、煌々と照る月がそうさせたのか、夜の常闇が心に入り込んできたのか。ただ、意識せずに零れたからこそ、その名には言霊が宿り、千尋を酷く狼狽させた。 永遠の別れなのだと察していながら、きちんとさよならも言えなかった。“千尋”として何も言葉を伝えられなかった。“女王”としてただ型どおりの言葉を伝えることしかできなかった。 思い返すのは、黄金の葦原をわたる夕凪のような優しい笑顔と声。 空の名前、雲の名前、風の名前、花の名前―――教えてくれたものは今すべてこの世界にあるというのに、彼だけがいない。 「風早?」 風早、風早、風早、風早―――・・・ 呼べば必ず駆けつけますよ、という約定は、もう二度と果たされることはないと知っていたけれど、言えなかったさよならの代わりに、何度も何度も名前を呼んだ。 会いたいも、ごめんなさいも、大好き、愛しているも、全部が「風早」という音になってしまうから。 「―――風早?」 今、貴方はどうしていますか? どこかで、同じ月を見ていますか? ほんとうは、世界が果てる場所にまでだってあなたを探しにいきたい。 幼いころ手を繋いでくれたこと。 葦原で抱き上げてくれたこと。 この髪を、綺麗と言ってくれたこと。 泣きやむまでいつも抱きしめてくれたこと。 貴方の大きな手もやさしい声も、わたしには必要でした。 幼いころからずっと。 貴方への恋心を自覚してからも。 そして今も。 それなのに、此処には貴方だけが居ない。 微かな風に乗せて、届くでしょうか。 この月の光に乗せて、届くでしょうか。 「かざ、は、や・・・」 ねぇ、風早―――貴方が居ないこの世界を、愛する術を教えてよ。 Fin. ( 月の綺麗な夜はどうして悲しみばかり浮き立つの? ) * 風千のションボリエンドのせつなさったらない。 お題SS(2009/08/07 up)より。再掲にあたって一部加筆修正いたしました。 お題「ふたつの身体とひとつの夢」は、お題サイト【恋花】さん(http://www.ccn.aitai.ne.jp/~w-seven/lf.index.html)の【夜に溶けゆく10の言葉たち】より。 |