君 を 愛 し て る




 ほんとうは、とうに気づいていた。
 きっともう、自分は神様ではいられないんだろう、と。



 幾度も繰り返す、同じであって少しずつ違う世界。
 ただ、絶対的に変わらないのはそこにはいつも千尋が居るということ。
 千尋が笑い、泣き、幸せをつかんだり、つかみ損ねてしまったりしながら、白い龍の神様の掌(たなごころ)で回りつづける世界は、まるで、きらきらした箱庭のよう。
 千尋のまわりを通り過ぎてゆく、数多の名もなき人々が抱えるものは、時に、はっと息をのむほどにうつくしく、あるいは、白龍の憂うとおりに救いようもなく醜くて、それでも総じて―――千尋が居る世界は、うつくしい、と思うのだ。
 綺麗になってゆく千尋を見守るばかりの箱庭の世界は、それこそ、息が詰まるような精緻さで、繰り返し繰り返し同じところに堕ちてゆく。

 「かざはやーーー?」

 黄金の髪。
 あおい瞳。
 まだあどけない、よくとおる声。
 ああやって、小さな姫に葦原の中からよく名を呼ばれる。
 どの世界でも同じ。
 この世界の千尋も、やっぱりそうやって―――

 「―――っ」

 不意に、周囲の喧騒が耳に入ってくる。
 車のエンジン音。
 列車の発車を告げる音。
 駅の改札機、携帯電話、無機質な音がつくる不思議な雑踏。
 そして、遠くから一心に駆けてくる姿は、王族の姫のものではなくて。

 「かざはや?」
 「―――・・・」
 「かざはや、大丈夫?」

 “すみません、大丈夫ですよ”
 そう言おうとして、声がかすれてしまった。
 ほんとうに、どうしてだろう?
 前にもこんなことはあっただろうか。

 「僕じゃないけど、お隣が心配してた。勤労学生はたいへんだろうって。これから帰って、またバイトだろ、たまには休んだら?」
 「そうだよ、かざはや。那岐と一緒にお遣いちゃんと行ってきたよ? 夜ごはんも那岐と一緒につくってあげるよ?」

 “親戚の子供2人を抱えてアルバイトに明け暮れる大学生”
 いまはそんな身分で、王族の子供2人と暮らしている風早を、その、王族の子供2人が健気にもお遣いまでこなして、駅まで迎えに来てくれたのだ。
 ここは、夕暮れ時の駅前広場。
 さきほど名を呼ばれたのは、葦原の中からではなくて雑踏の向こうから。

 「―――大丈夫ですよ、千尋。那岐も心配してくれてありがとう・・・」

 いつもの表情に戻って、2人に笑ってみせる。
 それから、目の前に立つ小さなお姫様と小さな王子様と目線を合わせるようにしゃがみこんで、その肩をふたつとも抱き寄せる。
 世界の終りと、千尋の幸せをいつも天秤にかけて、自分は、結局いつも千尋がより幸せになるほうへ誘っている。
 “千尋の願いなら叶えてあげられる”と、それを言い訳にして、でも千尋がそう願うように、自分はいつも緩やかに導いている―――やがては、世界が終わるほうへと。
 千尋を贄(にえ)に選んだのは白龍だけれど、「千尋の風早」でいたいばっかりに、こんなことを延々と繰り返しているのは自分だ。
 当の千尋はもちろんのこと、この那岐だって、そんなエゴに延々と付き合わされている、ということなのだ。

 「2人とも、ほんとうにすみません・・・」
 「だから、あつくるしいって。ほんと、やめてよ」
 「じゃ、千尋も那岐と風早をぎゅってする!」
 「意味分かんない。怒るよ、千尋っ」

 時折分からなくなる―――此処はどこなのか、自分はどこへ行きたいのか。
 繰り返すばかりのこの箱庭の世界。
 始まりも終わりもない永遠の迷路。
 その標は、たったひとつ。この―――あおい瞳。白い龍が選んだうつくしい魂。
 この千尋は、誰に恋をするんだろう?
 隣にいる、小さな王子様に、だろうか?
 それとも、他の?
 自分以外の、誰を想うことになるんだろう?
 ああ―――「千尋の風早」でいる、ということは、なんて可笑しな呪縛だろう。
 どんなに長く人の傍にいても、人とは違う、人と同じようには生きられないのに。
 これは、延々と続く「片思い」じゃないか。

 「千尋、那岐、」
 「―――なに」
 「なぁに?」
 「神様って―――いると思いますか?」
 「「???」」

 2人の子供たちは一瞬黙り込んで、答えを探しはじめる。
 なんだかんだ言って、2人とも素直で可愛いと思う。
 やがて、少し口ごもりながら、「ここでは、それらしいの見かけないね」と答えたのは、小さな王子様のほう。リアリストの彼らしい答え。
 一方のお姫様のほうは―――。

 「知ってるよ? あのね・・・かみさまって、いるよ?」
 「はぁ・・・?」
 「千尋は、会ったことあるんですか?」
 「ううん。神様に会ったことはないの。でもね、いるよ?」
 「どうして、ですか?」
 「だって、いいことをしたときに嬉しいって思うのも、悪いことをしたときにごめんなさいって思うのも、みんな、神様が見てるって知ってるからだよ、ね?」
 「「―――…」」
 「それでね、わたしはね、いいことをしたとき風早がきっと喜んでくれるって思うから嬉しいの。ほんとだよ。あとね、悪いことをしたときは風早が悲しそうにするだろうし、那岐に怒られるだろうって、、、それでごめんなさいって思うよ―――」

 ああ、初めての言葉。
 まだ一度も会ったことのなかった千尋―――。

 「だから、千尋の神様はきっと風早と那岐なの! 神様ってね好きな人のことなんだと思うよ!!」
 「!」



 幾度も繰り返す、同じであって少しずつ違う世界。
 たとえば、こんなふうに。
 今までどの千尋も口にしなかった言葉に出会うたび、神様の掌で回る世界はきらきらと輝いて。それと一緒に、「風早」を縛る呪いみたいな片思いが深くなる。

 「千尋・・・」
 「?」
 「すみません。それから、ありがとう―――」

 千尋のいる世界は―――どうしてこんなふうに、泣きたくなるほどきれいなんだろう―――。
 自分はここに囚われてゆくばかりで、出口ばかりかお役目だって見失いかけていて。
 それなのに、千尋のいる世界はいつも―――いつも優しくて美しい。
 ほんとうは、とうに気づいていた。
 きっともう、自分は神様ではいられないんだろう、と。
 いつのころからか、自分の本質は世界の行方を見守る「審眼者」から「千尋の風早」に入れ替わってしまったのだから。
 だけど、神様でなくなったらきっと「千尋の風早」でいられなくなる―――。

 ごめん。
 ごめんね。
 どうか、まだ、貴女の風早でいさせて。
 もう少し、傍にいさせて。



  Fin.

(神様なのに、もうずっと前から、君のことを愛してる)

*



 「千尋の風早」であることを諦めたら、もしかしたら世界は―――?
 っていう選択肢に、うすうす気づいていて、できない麒麟さん。  

 お題SS(2010/05/22 up)より。再掲にあたって一部加筆修正いたしました。
 お題「君を愛してる」は【お題バトン】より頂きました。