手 を 繋 ぐ (2)




 「あの二人は―――綺麗で、なんか切ない…ね」

 手を繋いで、舞い落ちる雪を眺める泰継と花梨を、綺麗で切ないのだと、あかねが言う。
 泰明は目を伏せて、そうかもしれない、と思う。
 『切ない』というのは、いとおしくて、哀しくて、優しくて、ほんの少し痛いのだと、以前あかねがそう教えてくれた。
 「それはきっと、泰継のせいだ」
 泰継が『切ない』からだ。
 花梨に出会う前の年月が、少なからず泰継の現在と未来に影をおとし、彼をどこか『切ない』存在にしている。
 「うん…そうね」
 あかねが、ふっと目を細めた。
 「花梨ちゃんは、すごいの」
 「………」
 「泰継さんのこと、大切に守ってるんだもの」
 長い時を過ごしてきた彼が、残された時間の長さを気にかけているらしいことは泰明にもわかっていた。その不安がさらに暗い記憶を呼び起こすのかもしれない。時折、泰継は夜中それと分かるほどに気を乱す。驚いて部屋にかけつければ、苦しそうに胸を押さえて言うのだ
 『………問題ない。気を乱して悪かった………』
肩で息をしながら、掠れた声で。
 あかねは、それを知らない。
 薄闇の中で一人、暗い記憶と戦っている泰継を知らない。
 けれど。
 神子特有の能力か、それともあかね固有の勘か―――泰継の脆く崩れそうな一面を、どこかで感じ取っているようだった。
 「私は、結構がさつだから」
 あかねがふわりと笑って、その手を伸べる。
 「そんなことはよく知っている」
 泰明はその華奢な手をそっと包み込んだ。
 「ふふふ。泰明さんが、頑丈でよかったわ」
 「―――誉めたのか?」
 「そうよ。誉めたのよ」
 よくわかったじゃない。と言って、あかねが手をすっと引いてしまう。
 泰明は自分の手を見詰めた。
 さっきまでそこに在ったあかねの温もりはなく、じわじわと、雪の冷たさがその掌に広がってゆく。

◇ ◇

 あかねの行動は唐突だ。
 手を繋いでいても、急にいなくなってしまう。丁度、こんな風に。
 「何をしている?」
 「ふふふ」
 並んで立っていたはずのあかねは、今度は、しゃがみこんで雪玉をつくっている。
 「………………」
 「冷たい」
 「当たり前だ。雪は冷たいものだ」
 「でも楽しい」
 3つ、4つ、5つ。
 あかねは、柔らかく握った雪玉を並べていく。
 「その歳で、雪合戦か?」
 「やーね、まだ十代よ。私」
 「じきに成人だろう」
 来週は、あかねと蘭の成人式だと聞いている。
 「いいの。そんなの」
 ………まったく。あかねの言うことは時々支離滅裂だ。
 黙って見ていると、あかねは雪玉を手に取り、やおら、花梨のヒヨコ頭目がけて投げつけた。
 ―――馬鹿かお前。
と言いかけて泰明は、口を噤む。花梨を庇って泰継が雪玉を粉砕し、あかねが、さっと泰明の背に隠れてきたから。
 泰継がゆっくりとこちらに体を向ける。
 そして、不敵な笑みを浮かべて
 「上等だ。受けて立つ!」
などと言い出した。
 (………誤解だ。いや、知っていてあかねの挑発に乗るのか?)
 「花梨、雪玉をつくれ。」
 「承知〜!」
 雪が舞う中、十数メートル先ですばやくヒヨコ頭がしゃがみこんだ。
 仕方がない。
 こちらも受けて立つしかないのだろう………。
 「―――あかね、お前もつくれ」
 「ちゃんと、守ってよね」
 「お前が始めたことだろう」
 「何よ。守ってくれないの?」
 「知れたこと。私しかお前を守れない。」
 振り向いてそう言うと、あかねは嬉しそうに笑った。
 「負けたら、プリン一週間禁止ね」

 (―――だから、どうしてそうなる?)

◇ ◇

 手を繋いだぐらいでは、簡単に逃げていってしまうあかね。
 しなやかで、何ものにも囚われない彼女に惹かれたのだから、それは仕方のないことかもしれない。
 こちらの世界に渡るときに、天真が自分に同情を寄せていたことが思い出された。
 『お前も、手の懸かる女に惚れたもんだな………』
まぁ頑張れ、と肩をたたかれた。
 (まったくだ、あかねは本当に手が懸かる………。)
 ただ、雪合戦を仕掛けたあかねの気持ちは朧気ながら理解できた。
 きっと『切ない』泰継の姿が、嫌だったのだろう。
 あかねは、人の哀しみに敏感だ。
 我儘で無鉄砲なくせに、他人の哀しみに触れれば、それを全力で癒そうとする。だから、何かを押し殺しているような泰継の姿を、柔らかい雪玉で壊したくなったに違いない。そこに彼女の深い意図はなく、ただ、壊したくなった―――その感情のままに、あかねは雪玉を投げつけた。泰継のほうもそれと知っていて、あかねの挑発に乗ったのかもしれない。花梨のためか、泰継自身のためか、それは分からない。
 前方の小柄な少女に目を遣ると、泰継に何か話しかけながら笑っている。
 (きっと、花梨は気づいている。)
 あかねが気づくほどならば、花梨も泰継の脆さを知っているはずだと思った。
 薄闇の中で一人記憶と戦う泰継の傷の存在を、花梨は知っているはずだ。彼女は―――泰継のただ一人の神子なのだから。
 それでも、花梨は何も言わず優しく微笑んで泰継の傍にいる―――手を繋いで。

 『綺麗で切ない』とあかねが言っていた二人の後姿。
 手を繋いで、舞い落ちる雪を見上げる二人の姿。
 不安を打ち消すためか、お互いの存在を確かめるためか、それとも、自らの存在を確かめるためか………あの二人には、あの二人なりに、『手を繋ぐ』意味があるのだろう。

◇ ◇

 (!!)
 突然視界が遮られ、顔にひどく冷たいような痛いような感触がした。
 「………」
 「泰明さん、ぼーっとしないでよ!」
 味方であるはずの、あかねに雪玉をぶつけられたのだ。
 この場で考え事などしていた自分も確かに悪いのだが、あかねはやることが乱暴だ。特に、自分に対して容赦がないと思う。
 (まったく、あかねは手が懸かる)
 彼女が唐突に始めた雪合戦に、結局、無理矢理引き込まれて、まるで条件反射のように彼女を守る約束をしている。しかも、負けた暁にはプリンを一週間も食してはならないなどと理不尽なことを言われた。あまつさえ、その守るべき姫に雪を投げつけられるとは………。
 諦めたようにその眉を寄せて、泰明はため息を吐いた。
 それでも。
 (因果なことだ………)
 ―――何にも囚われないあかねは、陽光を映す水面のように綺麗で、いとおしい。
 あかねの腕をとり、雪玉を避けながら泰明はそう思う。
 降りしきる雪の中、白い息を弾ませてあかねが笑った。
 きらきらと、あどけなく、まっすぐな笑顔は京にいたころから変わらない。いつもそうだ―――その笑顔を向けられれば、泰明は眩暈がするほどに愛しさが募るのだ。
 こうやって、一人の女に囚われて、振り回されて。それでも愛しくて、離すことができない―――そんな自らの姿など想像もしていなかった。そもそも他人に囚われること自体、ありえぬことだったから。
 異界の地より渡ってきて既に三年が過ぎ、泰明が京で過ごした時間を越えた。
 今日も、泰明はあかねの腕を取る。
 彼女を守るために手を繋いで、危ないときは手を引いてやる。
 あかねが倒れこんでくれば抱きとめ、もしも彼女が傷つけば癒えるまで抱き締める。
 『泰明さんが守ってくれるから―――私は、思ったとおりに飛び出していけるの。だから、ずっとずっと守ってね』
 あかねがそう言ったのは、こちらに来てからだったろうか。
 彼女らしい我儘な言い分に、頭が痛くなったのを覚えている。
 けれど。
 その言葉は静かに泰明の身体を侵食し、いつのまにか彼女を守る『自信』を齎した。
 それは、捕まえてはその手をすり抜けて行くあかねが、この年月の間にくれた『自負』。
 そして、人ならざるモノの虚を満たす『幸福感』。
 何度でも。
 何度、彼女の背を追うことになっても―――自分は彼女の腕を取り、手を繋ぐだろう。
 『手を繋ぐ』のは、自分とあかねの間の意思表示なのだと………近頃気づいた。あかねが、離れてよい距離と、帰ってくる場所を確かめるための。
 手を繋ぐごとに必ず戻ってくると約束しては、また、あかねはふらりと居なくなる。しかも、彼女から帰ってくるということはほとんどなく、彼女が帰りたいと思ったときに、泰明が彼女の元へ駆けつける。
 たとえ多くの手が差し伸べられても、あかねは泰明の手しか取らないということを、知っているから。
 あかねの愛情表現は、そんなふうに、我儘でストレートで………もどかしいのだ。

 雪の中、手を繋ぐあかねを振り返る。
 伝わるのは、暖かさと―――彼女の意思。
 帰ってくる唯一の場所が、この手なのだと。

 だから、自分が必ず守る。
 彼女自身に、守ることを許された唯一の者として。



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泰たちに雪合戦をしてもらいたくて…あかねさんに暴挙に出て頂きました。
当家のあかねさんは、本当に、面倒な女です。