斎 姫 の 告 白 (1)


 彼の願いは、とてもささやかなもの。
 ―――傍に、と。
 ただ、花梨の傍に居られればそれでよいのだと。涼やかな目元を優しく和ませてそんなふうに言い、やはり、微かに笑む。
 何かを望み願うことに不慣れなひとは、抱く願いまでもが慎ましやかであり、花梨はそれを哀しく思うことがある。人が生まれながらに希求する幸福という当然の望みに対して彼はあまりにも謙虚で、それを手にすることに対していつも惧れを抱いているから。
 長い時をかけて、彼の指先や髪の一筋にまで沁み込んだ孤独は、彼をこんなふうに縛り、その先を望むことさえ自戒させてしまうほどに、根が深い。

◇ ◇

 その日、夕方になっても雪は降り続いていた。
 雪が降っているからと、先代の神子様から招集がかかったのは朝早くのこと。
 安倍兄弟を嗾けて雪合戦(そのうち呪符合戦になった)をさせたり、神子二人で変な雪だるまを作ったり、雪を被せあったり、カマクラもどきを作ってみたり。そうやって一頻り遊んだ後は、ほぼ別宅となっている安倍兄弟の部屋に押しかけてご飯をつくり、皆で食べて。面倒なお皿洗いは当然安倍兄弟に押し付けて、床暖でごろごろしながら二人でおしゃべりをした。
 八葉には海賊がいたとか、フェロモンたっぷりな少将殿がいたとか、星の姫は可愛くて毎日頬ずりしたいくらいで、いや実際頬ずりしてきたとか、そんな他愛ない思い出話を。  何時の間にか安倍弟が黙って淹れてくれた温かいココアのカップを抱えて、さらにおしゃべりに花が咲き、構ってもらえない安倍兄がパス●ルのなめらかプリンを一人で三つも平らげていたことなど知る由もなく、笑いころげたり。
 やがてしゃべり疲れた頃に、意外にも体力のない先代の神子様がくしゃみを一つして、それを合図に雪の日の集会はお開きということになった。

 部屋を出ると、辺りはすっかり暗い。玄関前の廊下から見えるのは、降る雪に淡く霞む町の街灯。花梨は手袋を外し、少し身を乗り出して夜の空に手を伸ばす。粉雪は、花梨の掌でゆっくりと融け、消えていく。ひとひらの雪はこんなふうに淡く儚いのに、降り続くそれは町全体を白く覆い、いつもは聞こえてくる夕方の喧騒を綺麗に封じこんでいた。

 「私ね、夜の雪道大好きなんです」
 「………」
 「シーンとしてて…雪が積もる音だけがして。真っ暗だけど雪明りで―――」
 振り返ったら、泰継がやたら真剣に戸締りチェック中だった。
 花梨は、マフラーに顔を埋めながらついつい笑ってしまう。
 自分の住まう部屋に鍵をかけるという習慣に慣れない彼は、眉間に皺をつくりながら律儀に指差し確認で戸締りチェックをする。窓はよし、とか、玄関よし、とかブツブツ言っているのが聞こえる度に、花梨は噴出しそうになる。賢くて何でも器用にこなしてしまう彼は、何故か『ごく普通の生活』という項目においては極端に不器用な面を見せる。
 異界にいたころは建物どころか敷地全体に結界を張るなんていう豪快な施錠っぷりだった彼が、こうやってちまちまと戸締チェックをしている様はやっぱり変で可笑しい。
 それというのも、先代の神子様が安倍兄弟(特に兄のほう)に対して術を使うことを制限する教育的指導を発令しているからで、彼らは呪を唱えて済ませていたことも此処では地味にひとつひとつ作業させられている。

 「―――京でもそのようなことを言っていたな。お前は」
 その戸締りの最終段階。玄関扉の鍵二つをものすごく慎重に施錠して(以前、鍵を上手く回せなくて根元からバッキリ折ってしまったことがあるから)、ちゃんと花梨の話を聞いていたらしい彼が、そう言ってコートのポケットに鍵を仕舞いこんだ。
 「やだ。そんなことまで話してたんですね、私」
 ああ、と肯定の返事をしながら泰継は花梨のことを見つめる。やけに強い視線なので、どうしたのだろうと戸惑っていると、すっと伸びてきた手が花梨のマフラーの巻き具合を直し
 「―――花梨、よし」
 彼がそう呟いたところで、花梨は堪らずにぷっと吹き出した。
 「泰継さん、おっかし〜」
 「?」
 眉間に皺をつくったまま彼がちょっと首を傾げてくれて、花梨は益々笑いが止まらない。
 「―――行くぞ」

 そう言って、彼は、いつもより少し乱暴に花梨の手を取り、歩き出した。よろめきつつもどうにか後に従い、花梨は、繋がれた手に目を落とす。
 花梨の手を包む彼の手は、やはり男の手で案外大きい。長い腕、広い背中、漸く見慣れてきた短い髪、そして…
 (あ………)
 照れてしまったのだろうか、彼は。先ほど花梨に可笑しいと笑われたことで。
 見上げた彼の耳元がほんのりと朱く、手を引かれて乗り込んだエレベーターの中で花梨は気づかれないようにそっと微笑う。彼の手をきゅっと握り返して。

 大好きなひとは、こんなふうに不器用で―――堪らなく可愛い。



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 泰継は色々と不器用だと嬉しいです。泰明のほうが器用なイメージがあります。でも、何か出来ないことにぶち当たったとき、泰明は癇癪を起こし。泰継はぐっと堪えて地味に作業を続けます。
例)スーパーのレジ袋を開けられない!
泰明⇒無言でレジ袋をぐしゃぐしゃっとしてシワシワにし、あかねにぽいっと渡す(諦めた)。
泰継⇒開けられる場所を地道に探す。花梨にやってもらうのは悔しいので頑張る。でも優しい花梨は、ハイって簡単に開けてくて、泰継落ち込む。歳のせいですね。と駄目押しを言われて、泰継凹む。