斎 姫 の 告 白 (3)


 その白い色も、ぴんと張り詰めた空気も、彼の纏う空気はどこか雪の日に似ている。

◇ ◇

 ただ傍に居られればそれで十分なのだと、そう呟いて肩に顔を埋めるように花梨を抱き込こんだ彼はそれ以上何も言わず、花梨は大人しく雪の音に耳を傾ける。守るように彼の腕が花梨を閉じ込めているから、降る雪は見えない。けれど、あのときと同じ粉雪が降っているのだと、京の街に降った雪を思い出す。あの時も、彼はこうして自分を抱き締めた。
 花梨はそっと目を伏せる。
 「―――泰継さん…」
 大好きなひとは、決して嘘を吐かないひとだ。偽る言葉も、飾る言葉も、一切持たないひとだ。
 鼻の奥がつんと痛くなり、瞼が少し熱くなるのを誤魔化すように、おずおずと声をかける。
 「だいじょうぶ…?」
 嘘を吐けないひとは、隠し事をしているのではなくて、きっと―――
 「辛いこと…が…あるんでしょう……?」
 ―――きっと、彼は何かに耐えている。
 あのときからずっと、今日みたいに粉雪が降ったあの日からずっと、彼は黙って必死に何かに耐えている。
 大好きなひとは、とても優しくて―――不器用。たとえば、他者を侵害することは選べずに、自分を押し殺すことを選んで生きてた。そのくらい、優しくて不器用なひとだから。
 嬉しいときも、控え目な笑顔しかつくれない。何かを願うことにさえ戸惑い、望むことをいつも諦めてしまう。偽る言葉も飾る言葉も持たないひとは、その優しいこころを守る術を持たなかったから、自分を押し殺して、気の遠くなるような長い孤独を耐えてきた。
 彼は、優しくて、不器用で、とても―――寂しいひとだ。
 「辛いことがあるなら…言ってくださいね?」
 「―――辛いことなどない」
 「でも…」
 「お前が傍に居る。だから……辛いことなど何も…ない」
 「もう………そんなこと言って…」
 涙が出そうになった。
 誰かに寄りかかることも、彼は知らないのだ。
 一人ぼっちではなくなった今でさえ、彼は誰にも寄りかかれない。そのぐらい、独りだったのだ、長い間。
 守り支えたいと思うひとは、花梨の願いとは裏腹に、ときどきとても遠いところに行ってしまう。深い孤独の中に沈みこむように、手の届かないところへ。
 「辛いことではないなら―――心配事ですか?」
 「―――」
 抱き締めてくれているのに、手が届かない孤独のなかにいるひとを、どうやって捕まえたらいいのだろう。幸せにしたいと思うひとを、自分は、どうやって捕まえたらいいのだろう。ただ闇雲に追いかけることしかできていない。現に、彼は今も尚深い孤独の中にいるのだから。
 ―――だから、せめて、泣いてはいけないのだ、と花梨は思う。
 自分は、決して諦めてはいけないのだ。彼が何かを諦めても、そのたびに、諦める必要などないのだと、自分だけは言いつづけなければいけないのだから。
 「泰継さんの心配事なら、私にも半分ください」
 「――――――」
 言葉にすることで、余計に傷が深くなることもある。反対に、かさぶたが取れるみたいに綺麗に無くなる傷もある。彼が抱えている傷は、その、どちらなのだろう………。
 「言葉にするのが辛いのなら、言わなくていいんです」
 「わたしは…」
 けれど、彼が、搾り出すように…本当に辛そうな声で言ったのは
 「花梨の傍に……」
 「うん」
 「こうやってお前の傍に」
 「…うん」
 「あとどれくらい居ることが出来るのだろう………どれほどの時間が、私に残されているのだろう」
 「――――」
 「それとも……私はまた、お前に―――大切なお前に―――置いていかれるのだろうか………」
 分っていたことなのだ、覚悟してきたことだと、彼は言い、けれど今になって何故こうも不安に駆られるのだ…と、もう一度花梨を抱き締めて。
 「いくら不安に駆られても。どのような結果になろうとも」
 「――――――」
 「………それでもお前の傍に居たいのだと、そう願うことを……どうか…許して欲しい」


 粉雪が降る中、彼が、口にしたのはささやかで。
 そして。
 悲しくなるほど、切ない願いだった。

◇ ◇

 「―――やだ…もう―――なんで……」
 泣かないと決めたのに、泣いてはいけないと分っているのに、考えただけで、ぼろぼろと涙がこぼれた。
 「守るって―――傍に居て泰継さんを守るって言ったのは、私なのに―――」
 彼が何ものであっても、彼を好きだという気持ちに変わりはなく、それを言葉にして告げたのも自分だというのに。
 「わたし……全然…」
 覚悟ができていない。

 いま、はっきり判った。自分は、人ではない彼の傍に居る覚悟ができていない。

 彼の過去が問題なのではなく、自分が彼の過去を知らないことも、問題ではない。
 ただ、人ではないと分っていて好きになった彼を、このひとの傍にいてこのひとを愛していくことへの覚悟を、自分は―――その覚悟を持つことができていないのだ。
 彼が口にした、ささやかで切実な願いによって、それを思い知らされる。
 「泰継さんに置いていかれるのも―――泰継さんを置いていくのも」
 それを考えただけでこんなに動揺して涙がこぼれるのは、覚悟が無いまま、ただ彼を好きだから。

 「私…本当に子供だ……」

 わかっているつもりで、きちんと判っていなかった。
 ただ無邪気に慕うだけでは、彼の傍に居て彼を支えることなどできない。
 そんなふうに半端な気持ちで一緒に居ていいひとではない。

 その白い色も、ぴんと張り詰めた空気も―――やがては消えて無くなる儚さも―――彼の纏うものは、あまりにも、雪の日に似ているのだから。


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 やっぱり、高校生には重たい人です、泰継さんは。ってか安倍兄弟は2人とも高校生には重たい! 彼氏にするなんてもんじゃなくて、彼らの人生丸ごと引き受けなきゃならないんですよ…!