その日、朝早く泰継の神子―――花梨が大きな荷物を抱えて訪ねてきた。 花梨は、あかねよりも小柄で髪も短い。泰継の後ろをついてまわる様はヒヨコのようだと常々思う。玄関先で二言三言言葉を交わしたあと、泰継が花梨の両手から大きな荷物を取り、花梨を送ってくる、とこちらへ少し大きな声で言った。 「靴を履くのを忘れるな」 「ああ。分かっている」 間もなく玄関のドアの閉まる音がした。 泰継は、私の「半身」―――長い時を生きいつのまにか年上になった「弟」。同じ声、同じ姿、同じ陰の気。そして、人外の者と怖れられるほどの陰陽の力。しかし泰継が辿った運命は、自分のものとはあまりにも隔たっていた。 ―――90年。 それは、泰継が人型と名を与えられてから「彼の時間(とき)」が動き出すまで要した年月。その長い間、姿の変わらぬままの泰継は安倍家の禁忌とされていたという。世間から隠すように北山に庵を与えられて、必要なときだけ安倍の本家に呼ばれ陰陽の力を振るう。泰継は、そうやって安倍家の道具であり続けた。きっと安倍の者たちにとって、泰継は扱い難い式神のようなものだったろう。彼に与えられた「名」と「器(容姿)」からも、それは容易に理解する事ができた。安倍家にとって、泰継は身代わり―――異界へ渡った私の身代わり。スペア。そんな扱いだったのだろう。 出会ったとき、そのことを理解して愕然とした。 泰継と自分とは、人型を得た時期が違うだけ。その90年の孤独は、そのまま自分のものであったかもしれないのだ。 そして、何よりも。 今の自分の幸福が泰継の長い孤独の上に成り立っていたのだ、という事実が酷く悲しかった。 「長い時を過ごしてきた。北山で。そして、神子に出会い先代のように…この地にたどり着いた」 淡々とそう告げた後で、泰継は傍らにいる少女に目を遣り、 「我が神子だ」 と、花梨を私たちに引き合わせた。そのくだりで、初めて泰継の表情が和らいだのだと思う。私のことを“先代”と呼ぶ泰継に、あの日、真名で呼んで構わないと告げた。気恥ずかしかったが、お前は家族だからと理由を述べると、泰継は少し驚いた表情をして、 「―――感謝する」 とだけ言った。 その一言で、あかねに対するのとは別の、何か温かい思いが湧いたのを憶えている。 それから泰継との共同生活が始まった。 同居していてもお互いに必要最低限のことしか話さない。同じような出自だからか、互いに「暗黙」のうちに解り合えることも多く、お師匠の屋敷で暮らしていたころに似て、泰継の存在は苦にならない。 だから、泰継はやはり「家族」なのだろうと思う。 たった一人―――この世界で同じ出自を持つたった一人の家族。 一時間ほどして、その「家族」が帰ってきた。 ひどく気落ちした様子だったので、訊けば、泰継の神子が本日より七日間「修学旅行」で留守をするのだという。 「それで今朝、お前の顔を見にここに寄ったのか」 「そうだ………花梨も楽しみにしていたようだから、仕方がない」 「しばらく静かだな」 「………ああ」 泰継が溜息を一つ吐く。ぼんやりと窓のほうを見遣り、それから思い出したように訊ねてきた。 「―――泰明は、今日は帰りが遅いのか?」 「いや。それほどではないが…夜7時過ぎになるかと思う」 「では、夕餉は私の担当だな……私は一日ここに居ることにする」 頼んだ、と言うと、承知、と短く返事をして、泰継は自分の部屋へ篭ってしまった。 (―――泰継は不貞寝(ふてね)か…) 同じ出自の者ながら、やはり生きてきた年季が違う。寂しさに耐えかねてあかねの修学旅行に乱入した私と違い、泰継は花梨の帰りを大人しく待つのだろう。泰継はとても物分りがよく我慢強いのだ。 京での90年について、泰継は多くを語らないし自分も敢えて尋ねたりはしない。泰継に対して興味津々のあかねには文句を言われるのだが、あまり触れてはいけないことのように感じるから。 花梨に出会うまで心を失くしたまま過ごした彼の時間が、幸福なものであったとは思えない。心を失くしたまま漂い留まり続けた時間を、一つ一つ尋ねるのはきっと酷なことだ。今、泰継がここで幸福に過ごしているなら、その事実だけで十分だと思う。 だから、余計に願うのだ―――長い孤独を過ごしてきた泰継の幸福を、この先続く彼の柔らかな時間を。 友人でもない。 恋人でもない。 お師匠のような創造主でもない。 自分と似ていて、とても違う泰継。もう一人の自分。 互いに陰の気から造りだされたモノだというのに、陰と陽ほどに、違う時間を過ごしてきた泰継。 京を去る前の晩、桔梗の花咲く庭先でお師匠の「願い」を告げられたことを思い出す。まだ「名」と「器」を与えられていなかった対の存在を、あの日、お師匠は告白したのだ。 ―――彼の存在は生涯最後の咎となろう、と。 「この子は、お前と同じように悩み苦しむかもしれない。お前のように、幸福に出会えるかどうかも分からない。しかし、私は傍に居てやることはできないのだよ。それが、私の最後の咎だ。この子が悩み傷ついても私は導いてやることも見守ることもできない」 自嘲気味に口の端で笑って、ぐいっと、杯を飲み干す。そうして、こちらの杯にも酒を注ぎながら切り出した。 「―――なあ、泰明よ。もしもだよ」 どこか、遠くを見つめている眼。自分には見えない何処かに向けられた眼差し。 「もしも、お前が、名と人型を与えられたこの子に出会うことがあったら………」 「?」 「何、戯言のようなものだが―――お前は「兄」として、この子を慈しみ、この子の幸いを願ってやってくれ」 それが、永遠の別れとなる師匠からの頼みだった。 京から離れる身に、そのような時が来るとは思わなかったが、師匠の頼みとあれば否やはない。 「………判った。約束する」 その時は、ただ、そう思って返事をした。 しかし、その後もまだ見ぬ「弟」の存在―――ある種名状しがたい繋がりのある「対」の存在は、いつも心の何処かで気にかかっていた。あかねの笑顔とともに幸福に過ぎていく穏やかな日々の中で、ふとした折に、自分の対の存在のことが頭を掠めた。 (あの者も、出会うことができただろうか? 私が神子を得たように) 時間と空間を越えた願いは、桔梗の花咲く庭先での別れから100年の後に叶えられることとなる。長い孤独の果てに、「対」の存在もまた幸福に辿り着き、この地に降り立ったのだ。 果たして、どれほどの確率の下の出来事なのだろう? 私があかねの八葉になって、あかねが私の手をとってくれて。 泰継が花梨の八葉になって、花梨を愛し花梨に愛されて、こちらに渡る決断をして。 そもそも、あかねと花梨が龍神の神子に選ばれなければ始まらない。星図にない未知の輝きを見つけるような、気の遠くなるほどの偶然。 ―――それとも必然なのだろうか? 順が違えば、自分も泰継も動く人形で終わっていただろう。自分はあかねと、泰継は花梨と出会わなければ、愛しいという感情も、淋しいという感情も、幸福も………知ることはなかったはずだ。 長い時の中で、螺旋のように絡まった運命とそこに込められた願い。 あかねや花梨を存在せしめた人の生命の環。 そして、流転する魂の環。 人ではない出自の者も、いずれその環に還ることができるだろうか―――泰継も自分も―――そう、願わずにはいられない。 「継、出かけてくる。後を頼んだ」 部屋に引きこもって不貞寝しているであろう「弟」に声をかけ、自宅を後にする。風薫る五月。新緑の間から漏れる陽光がまぶしい。もう間もなく、春が終わる。師匠には、きっと見えていたのだろう。幸福を手に入れた泰継のことも、私のことも。 遠く隔たれた世界へ届いたらいいと、そんなことを願いながら木漏れ日の向こうの空へ。 ―――泰継も私も幸せです、と。 呪を唱えるようにそっと呟いてみた。 ** ** ** 寂びしん坊の安倍兄弟にとって、神子ちゃんたちの修学旅行イベント(いえ、そんなものはないですが)は、まさに苦行。 泰明⇒天真も蘭もあかねと一緒にでかけるのに何故自分だけダメなのだ!?と修学旅行へ乱入。あかねに叱られて、最後は不貞寝。 泰継⇒ひたすら不貞寝して待つ。 今回のシリーズは「継さんを幸せにしたい!」という妄想の最たるものです。神子とラブラブなだけでなく、泰継さんには泰明と出会ってほしいと思ってしまいます。泰継さんを現代EDで幸せにするなら泰明と同居でぎこちなくも家族体験を満喫してもらいたい!(笑) |