天 体 観 測 (3)




 翌日、朝の喧騒は唐突に訪れた。
 背中というか腰のあたりに衝撃を感じ、泰継は、寝床でしばし呻く。何事が起きたのかとうつ伏せのまま瞬きをしていると、頭上からやけに明るい声が降ってきた。

 「ちょっと! 継さん、いつまで寝てるの?」
 「………」
 「時代劇の再放送始まっちゃう時間ですよ!」
 「……あかね、か」

 無遠慮にカーテンが開けられて部屋に日差しが入り、その眩しさに目を細める。
 うわー苔盆栽増えたねーとか、継さんも緑色だから苔親分だねーとか、起き抜けの耳と脳に様々な意味で響く言霊を先代の神子は不用意に投げかけてくる。彼女の言霊は意味不明瞭なことが多く、けれどその意思はやけに鮮明であり、兎角早く起きろと、その言霊一つ一つに載せられた意思が泰継の頭の中で鳴り響く。

 「あと六日も不貞寝しているつもりですか? 苔だらけのお部屋がカビますよ?」

 まったく継さんは根暗ですよねー、泰明さんみたいに後先考えずに行動力だけはあるのも考え物ですけど、ほんと継さんて内に籠もるタイプですよねー…などと、次々と繰り出される先代の神子の言霊を拾いながら、どうやら失礼な言い草をされているということだけは理解する。だからと言って腹を立てる、というほどの稚気はなく、泰継は無言のままゴソゴソと掛け布団を引っ張って頭から被りなおす。
 できれば、花梨が戻る日まで眠りにつきたいと、都合よくもつい半年ほど前までの体質を懐かしみながら。

 「ああ、もう! お天気だから、お布団干してくださーい! 早く起きないと、もう一発踵落しお見舞いしますよ」
 ―――かか と おとし?
 その不穏な言葉を耳に留めて反芻する。が、
 「えい!」
 「〜〜〜〜〜っ。」
 思考が纏まらずにいる泰継の腰に、あかねの踵落とし二発目が鮮やかに決まり、泰継は再び寝床で呻いた。

 「―――あかね、年寄りはもっと大事に扱え」
 「やだ。女子高生を彼女にしておいて、今更何言ってるんですか?」
 「………」
 近頃あかねは泰明にだけでなく、どうやら自分にも容赦がなくなってきた・・・と、眉を顰めつつ、それでも、どうにか起き上がる。明るく丸みのある笑い声を立てて、部屋を出て行くあかねの後姿を見送りながら。
 (―――まったく)
 大層不本意なことではあるが―――結局、龍神の神子であったものの言霊には、逆らう術がないことを、泰継は知っている。そもそも陰の気から作られたモノであるから殊更に、陽の気を司る彼女らの神気とその言霊には、抗うことなどできないのだ、ということも。
 恋情や愛情とは別の次元で、白龍の加護を受けた娘は特別な存在なのだ。

◇ ◇

 布団干しは式神に任せて泰継が居間へ向かうと、あかねが冷蔵庫に何やら張り紙をしていた。
 「…あかね?」
 「あ。継さん起きました〜?」
 無理矢理起こしに来たのはお前だろう!と、怒鳴る稚気も泰継にはない。ただなんとなく恨みがましい目であかねの背を見遣る。が、当然、そんな視線などあかねは気にもせず、というか気づくこともせず
 「泰明さんが居ない間にね、これ作っちゃおうと思って」
濃く鮮やかな緑色の物体を手に振り返り、にこやかに言った。
 「泰明さんに泣きつかれても、継さん手伝ったりしないでくださいね」
 「………私に、どうしろと?」
 「だから。泰明さんのこと、暖かく見守ってあげてください」
 冷蔵庫の張り紙を指さして、彼女は再び微笑う。
 『ピーマン強化週間』と、やたら派手で丸っこい手書きと思しきその文字を目で拾い、泰継は大きな溜息を吐いた。
 「今週ね、私も忙しくて此処にあんまり顔出せないんです。だから」
 「………」
 「ピーマンのお料理作っておきますから、泰明さんがお残ししないように!しっかり見守って上げてください」
 見守るだけ、を要求されているのではないのだろう。あかねの笑顔に、圧迫感がある…脅迫、めいたものを泰継は感じ取り、後ずさる。
 「とりあえず。ピーマンの肉詰めを作っておきますね。今晩のご飯は、これでお願いします」
 「………」
 あとは、と言いながらあかねが紙切れを差し出した。
 「なんだ?」
 「レ・シ・ピ♪」
 「!!」

   ピーマン入りドライカレー (ハートマーク)
   ピーマンと厚揚げの煮物 (ハートマーク×2)
   ピーマンのじゃこ炒め (ハートマーク×3)
   ピーマンの掻揚げ (ハートマーク×4)

 いちいちハートマークが凶悪だと思う。
 おそらくピーマンの難易度(料理の難易度ではなく)が順に上がっているのだろう。
 このようなとき、どんな表情をするのがよいのか、泰継には判らない。ただ、ものすごく危険な任務を先代の神子から仰せつかっている、ということは判る。
 「わたしが、これを?」
 「勿論です。継さんにしか頼めません! 泰明さんのこと甘やかさないでくださいね!」
 見守るどころか、毎晩ピーマン料理を一品つくれ、と言われているのだと、泰継は暗澹たる思いで理解する。すなわち、ピーマン強化週間の「とりあえず」の部分はあかねが作るものの、あとは、全て泰継に実行犯になれと。
 「式神さんには頼んじゃだめですよ」
 そうだろう。式になぞ作らせたら泰明の返り討ちに遭うだけなのだから。
 「私が食べろって言うと反抗するけど、継さんの言うことなら聞くような気がします。必要な材料は、買っておきましたから。ヨロシクお願いします。」
 (〜ような気がする、だけで、そんな危険なことを私に?)
 泰継が返り討ちに遭うことなどまったく考慮外にしている楽天的過ぎるあかねの言葉に、知らず溜息が出た。
 「因みに」
 「?」
 「継さんも泰明さんも、嘘吐くのすっごく下手だから―――ズルしたら、私、すぐに見抜きますよ♪」
 「!!」
 「だいたい花梨ちゃんが来られないのに、私が毎日ここに顔出したら継さんだって迷惑でしょ?」
 「??」
 「普通は、そういうものなの! 寂しいときに余計寂しくなっちゃうんです!」
 「????」
 「だから―――泰明さんをよろしくお願いします」
 あかねの言霊は、暖かな気を帯びているものの、その意味はいよいよ理解できず、泰継は、眉を顰めつつ首を傾げる。そんな泰継に、それ以上の言葉を尽くす気もなくあかねは、泰明さんを一つ指導してやってくださいなと、やはり圧迫感を伴う笑顔で言い、まぁこれで寂しいのも紛れるかもしれませんよ、と、ぽんと泰継の肩を叩いた。

◇ ◇

 その日の午後。
 泰継は、花梨の飼い犬(耕太郎)を散歩に連れ出して、一緒に夕日を眺めた。川沿いの土手に腰を下ろし、耕太郎と並んで川の流れを見遣る。
 (―――水は高きより低きに…)
 それと同じで、長いものに巻かれるのも、強いものの言に逆らえぬのも、また、理のうちのこと。泰明とあかねの力関係からいって、自分があかねに逆らえないのも致し方なく、ここは泰明に泣いてもらうしかないのだろうと、夕日を眺める。
 「―――」
 そういえば、朝はひどい起こされ方をしたために腰が痛い。昨晩は扱いに困るプリンをつい受け取ってしまった。どうしてよいのかわからず、とりあえず、日のあたらない場所苔玉の横に置いている。当然、その扱いも決めていない。
 「――――――っ」
 夕日の紅が、やけに目に沁みてきた。
 横にちょこんと座った耕太郎を思わず抱き締める。
 (―――花梨が傍に居ないと、世界はこんなにも過酷だ…!)

 泰継の力加減がよくなかったのか、耕太郎が、うげっと小さく呻いた。



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 うちの継は、本当に情けないですね。あかねさん、お転婆ですね。愛情表現が荒っぽい。。。継、頑張れよ!
 次回は阿鼻叫喚のピーマンバトル・・・か!?