「あ、泰継さん?」 「花梨」 「はい、明日帰りますね。今、札幌というところに居ます」 後ろで、花梨の同級生の声がする。 ―――誰にかけてるの? ―――なになに、彼氏? ―――かっこいいよね。いいなー。 ―――わー、皆、ちょっと黙っててよー などと、花梨を含めてあの年頃の少女たちは、実にかしましい。 花梨が通っているのは女子校というのだそうだ。同じ年頃の少女ばかりを集めて学問をさせる場所だと聞いている。たった数人でこれだから、女子校とやらの騒々しさも相当なものだろう。本当に学問をさせる場所なのだろうか。 「ええと。泰継さんごめんなさい。皆に、ちょっと見つかりまして」 「よい。お前も楽しいのだろう?」 「はい。すっっっごく楽しいです!」 そうか―――よほど楽しいらしい。握りこぶしでもつくって大きく頷く様が見えるようだ。 「戻るのは何時になる? 荷物が重いだろうから迎えに行く」 「ええ!? そんな悪いですよ。行きも荷物持ちさせちゃったから」 「気にするな。私が早く花梨に会いたいだけだ」 「///」 「迷惑か?」 「いいいいいえ。とんでもない。私も早く泰継さんに会いたいです!」 と、そんな大声で言うものだから。 ―――きゃーっ!! と、一斉に外野が沸き立っている。相変わらず花梨は思慮が足りない。 その騒々しさに、泰継は、思わず携帯電話を耳から遠ざけた。 修学旅行の初日は、花梨の同級生たちにとって衝撃だった。可愛いのだけれど、どこか抜けていて恋愛には疎そうな花梨が、集合場所近くまで物凄く整った顔立ちの青年に大荷物を持たせて現われたのだ。 好奇心いっぱいの視線を浴びているというのに、双色の瞳をした青年はしれっとしたまま表情を変えなかった。 「花梨、気をつけてくるのだぞ」 そう言って荷物を降ろすと彼はポケットから何やら取り出し、花梨の手をとる。続けて、その手首に紐を巻きつけて器用に喋喋結びをつくった。 「あ。これ。泰継さんの髪を結ってた………」 「そうだ。呪符が編みこんであるから護符の代わりになる。これを持っていけ」 「ありがとう。大切にしますね」 などと若干、否、相当不気味な会話をしつつ、すっかり二人の世界を作っているではないか。そのあと、にっこり笑った花梨を、突然その青年が抱きしめたものだから、女子高生の群れから「きゃーっ」とか「ぎゃーっ」とかいう色気の無い声が挙がった。 すると、初めて周囲の者たちに気づいた様子の青年が眉を顰める。それから、ゆっくりと腕を解くと耳まで真っ赤になった花梨が涙目で固まっていた。 「―――花梨?」 「あああああの」 「どうした? 花梨?」 「ああありがとうございました!! 行ってきます!」 どこにそんな力があるのかと、誰もが思うほどに、その重い荷物をがしっと片手で掴んで、花梨がものすごいスピードでバスに乗り込んでしまった。 (え?)という表情をして、今度は青年のほうが固まった。 やがて女子高生の群れも次々とバスに乗り込んでゆく。それを、例の青年は固まったまま見ているのかいないのか、ぼんやり見送って。 そのあとのことだ。 バスが空港へ向けて走り出したとき誰もが息を飲んだ。 あの青年が、バスの中の花梨に向かって少し手を上げて目を合わせると、本当に鮮やかに微笑ったから。 すっと細められた双色の瞳も、綻んだ口元も、風にさらさらと靡いた少し長い前髪も、まるでスローモーションで映し出されたシーンのように、目に焼きついた。 しかし、青年の笑顔は瞬きをするうちに元の怜悧な表情に戻ってしまう。それと同時に、呪縛からとかれたように誰もが「はっ」と我にかえり、一瞬の後、バスは女子高生たちのやはり色気のない歓声に包まれたのである。 「―――わかった。明日は空港で解散なのだな」 「はい。だから迎えに来てくれるなら近くの駅とかで―――」 十分ですと花梨が言いかけると、えー!?と、級友たちから非難の声が挙がる。みんな、あの“綺麗なお兄さん”の顔を拝みたいのである。 「空港まで行こう。問題ない。さほど遠くない距離だ」 「………はい。それじゃぁ、お願いします」 ぼそぼそと言う花梨の背後では、またもや級友たちの歓声。それに苦笑しながら、飛行機の便名と到着予定時刻を告げ、電話を切ろうとすると 「花梨」 「はい」 「………」 「泰継さん?」 「………」 「どうしたんですか? 泰継さん?」 「……………… 早く戻ってこい。」 「!!」 (へへへ………なんだか逃げた奥さんに縋るような台詞ですよ………?) いつもの声とは少し違う、携帯電話の声。言い難いことだったのか、だいぶ小声で、しかも、ものすごく格好悪い台詞。 けれど。 寂しいという気持ちも。 愛しているという気持ちも。 会いたいという気持ちも。 短い命令形の言葉に全部詰まっていたから、花梨は胸がいっぱいになる。 (ほっぺが熱いです………) 寡黙な彼は、本当に必要な言葉だけを口にする。想いが溢れてしまったときだけ、それを短い言葉にして伝えてくれる。だからこそ、たくさんの想いが載せられた一言はちゃんと花梨に届き―――いつだって泰継の言葉に花梨は一発でKOされるのだ。 (明日は泰継さんに会える………) ゆるみっぱなしの頬を親友につねられても花梨は携帯電話を握ったまま。同級生たちの冷やかしの文句も虚しく花梨の耳を素通りして行き、修学旅行最後の夜は更けていった。 よく晴れた休日の空港、国内線の到着ロビー。 泰継は腕を組んで壁に寄りかかり、ただ待っていた。行き交う人々の中で、静かで凛とした空気を纏っている彼は、そこだけ時が止まったように人の流れも喧騒も寄せ付けない。 見遣るゲートから同じような服装の女子学生が出てきた。 (―――花梨の高校の制服だ) 泰継は、おもむろに足を組みなおす。 姿はまだ見えないけれど、暖かな陽の光のような「気」が近づいてくるのが分かる。やがて、同級生たちの姿に埋もれてヒヨコのような頭だけが見えた。よたよたと、危なっかしい足取りでこちらに近づいてくる。 (―――長旅で疲れているのだろうか) 花梨はまだ泰継には気づかない。キョトキョトと辺りを見回しながら、あの大きな瞳がくるくると動いている。そして―――雑踏の中で人の流れを寄せ付けない「空気」に気づき、瞳をいっそう大きく見開いて立ち止まる。泰継の姿を認めると体全体で嬉しそうにして、花梨がこぼれるような笑顔を見せた。先ほどの危なっかしい足取りが嘘のように、重たい荷物を背負ったまま泰継に向かって駆けてくる。 「泰継さん!」 勢いよく振る手には、出発の日に渡したあの髪結いの紐が結ばれていた。花梨らしい不恰好な喋喋結び。その様子に、泰継も眼を細めた。 駆け寄ってきた花梨の肩から荷物を降ろさせて、泰継が軽々と片手で持ち上げる。もう片方の手で華奢な花梨の肩をそっと抱き寄せた。 「お帰り、花梨」 そう言って、泰継は腕の中に大切な花梨を閉じ込める。そして、気づいてしまう。久しぶりに見た花梨の笑顔に安堵すると同時に、情けないほど、彼女の存在に頼りきりになっている自分に。泰明のことを子供みたいだ、などと笑えない。いつだって、彼女をこうして腕の中に閉じ込めておかなければ、どこか不安で落ち着かないのだ。 「………く、くるしいです………泰継さん」 知らず、花梨を抱きしめる腕に力が入ってしまったようだ。はっとして腕を緩めると、花梨が上気した頬で背の高い泰継を見上げている。 「どうしたの? 泰継さん。」 深い色の瞳に真直ぐ見つめられて、泰継はたじろいだ。 「………否、すまない」 慌てて瞳を逸らしぎこちなく身体を離すと、ふいに花梨の細い両腕が泰継の首に回された。 (―――!!) 一瞬にして泰継は、思考を奪われる。 ふわりと、舞うように抱きついてきた花梨。 小柄な花梨に、今度は泰継が抱き締められていた。 花梨の髪が泰継の頬に耳に触れて、泰継の胸には花梨の鼓動が伝わる。空いている片方の手を、そっと彼女の背に回すと、耳元で花梨が囁いた。 「あのね、すっごく会いたかったです………ただいま、泰継さん!」 与えられることに慣れていない泰継は、いつもこうやって花梨に驚かされる。 ―――愛情も。 ―――優しさも。 ―――幸福も。 彼女に与えられる純粋で真っ直ぐな想いに触れるたびに、泰継は戸惑い、自らの感情を上手く把握できなくなる。そうやって、彼女に教えられたのだ―――言葉では言い尽くせない想いがあることを。そして、想いに届く言葉は少なくてもどかしく、だから、人は愛しい人に触れるのだということも。 瞳を閉じて、花梨の暖かさを確かめる。 「………花梨」 「はい、泰継さん?」 名を呼ぶと、耳元に届く柔らかな声。自分を落ち着かせるために、泰継は大きく息を吐く。しばらく会えなかった唯一の愛しい者に抱きつかれれば、自分の理性などすぐに崩れてしまうというのに、まったく花梨はいつも思慮が足りない。 「あまり軽はずみな行動はするな。このまま攫うぞ」 「へ!?」 素っ頓狂な声を挙げ、次の瞬間、花梨が顔を真っ赤にして俯いた。丁度、泰継の肩に顔を埋めた格好で、花梨が固まってしまう。 「で、でも、あの…」 急に早くなる花梨の鼓動。 恐る恐る体を離し、泰継の顔を見上げる花梨。 泰継はいつもの無表情で、じっと花梨を見下ろす。 「このまま私が連れ帰っても差し支えはないのだろう?」 「あああああの、荷物とかあるし、お家に帰らなきゃ………」 どぎまぎしながら泰継を見上げる花梨の瞳は潤んでいて、ますます泰継の理性を崩してくれる。 「…………………………嫌だ」 「泰継さん!?」 「(お前の姿をうつした式を帰らせるから)問題ない」 「はい??? だめですよ、ズルしちゃ!」 「もう決めた」 荷物も花梨も抱えたまま、泰継がスタスタと歩き始めた。 日ごろ我儘を言わないだけに、こうなったらもう止められない。双色の綺麗な瞳を少し潤ませてじっと見つめられたら花梨には抗う術などなく、その上、耳元で「共にいろ、今日は帰さぬ」などと囁かれれば、完全に花梨の思考は停止する。 (お祖母ちゃん、ごめんなさい………。それから、天国にいるお父さん、お母さん、 ごめんなさい―――私、ほんとに不良です………) 目の前で繰り広げられた光景にあっけにとられている同級生たちに、花梨はバツが悪そうに手をふった。 「なんか、花梨………」 「攫われた?」 あの青年に抱きかかえられたままこちらに手を振る花梨に、おずおずと、同級生たちも手を振り返す。遠目にも分かるくらい、花梨は顔も耳も真っ赤になっている。 「あの人、本当に花梨しか見えてなかったね」 「………うん」 あんな奇麗な人といったいどこで知り合いになったのかと、修学旅行の間、皆が問い詰めたけれど、花梨は曖昧に笑うだけではっきりしたことは何も言わなかった。 「………アリバイ工作とか、してあげたほうがいい?」 誰かがぽつりと言う。一週間会えなかっただけで、あんなふうに花梨を抱き締めて離そうとしなかったのだから、このまま大人しく連れ去れた花梨がどうなるかなんて、想像に難くない。多分、花梨はもう一晩お泊りになるのだろう。 「///」 「それとも………通報しておく? 女子高生が攫われましたって」 「「………」」 「冗談よ」 「でも………点呼がまだ………」 「そのぐらいは、何とかしてあげようか………」 「そうだね………先生たち遠くにいてよかったね、今の見てないよ………ね?」 「「多分………」」 大人しいけれど、愛嬌も根性もあって可愛い花梨は同性に好かれる。なんだか、とんでもないことになっているけれど、級友たちはついつい彼女を守ってしまうのだ。 当然のことながら、この貸しには高い値がつけられて後日花梨のところに請求がいくのだけれど、泰継に抱えられた花梨は知る由もなく、ただただ久しぶりに会った恋人の横顔を見上げて、酷く血圧を上げるのだった。 ** ** ** 女子校。女子校〜。私、高校は女子校だったんですよ〜。女子校ってほんと色気ないです。みんなサバサバしててかえって男らしい(笑)! だから、ちゃんと女の子らしい雰囲気をつくっている共学の女子が輝いて見えましたよ〜。 |