彼 岸 花 (1)




 その緋色の華は天からの祝福。天が吉兆を報せるために降らせる花弁と同じ色。
 けれど、それは人の纏う「悲しみ」と同じ色でもある。
 地から見上げる天はあまりに遠く、天から見下ろす地の交々(こもごも)は実に些末なもの。それでも、天に向けて地に生きる人々の悲を報せるために。或いは、地に向けて天からの吉兆を報せるために。葉も付けず高々と緋色を空に翳して咲く華は、天にも地にも決して馴染まぬ鮮やかさをもって存在する。

 地にその華を植えるという行為は―――天へ祈ることと似ているのかもしれない。

◇ ◇

 残暑が終わり風が軽くなる。
 秋が進むにつれて湿度は薄れ、陽光は穏やかな色味を帯びる。春の伸び行くような勢いはなく、夏の残像がたゆとう色。帰り道を失った夏の名残。それがゆっくりと拡散し、彼にとってこの地で過ごす2度目の秋は穏やかに静かに深まっていく。
 川沿いの土手には彼岸花、ノゲシ、葛の花、アザミ……。どれも大人っぽい色だと花梨は思う。渋かったり、鮮やかに色っぽかったり。春の可憐な色とは大いに違う秋らしい色の花々。
 花梨が住む町の外れ、隣町との境には川が流れていて、その川に沿って畑が広がっている。川の土手は、幼い頃に祖母の利代と一緒に蓬(よもぎ)やノビルを摘みに来た場所で、今でも季節ごとの野の花が咲く。
 休日、花梨は飼い犬の耕太郎(柴犬)を連れてここまで遠出することがある。以前は歩いて来るのが常だったけれど、耕太郎が老いてからは自転車で来ることが多くなった。大き目の前籠に乗せた耕太郎が後ろ足で仁王立ちして、自転車をこぐ花梨と一緒に風を受けて此処まで来るのだ。巻尾のキリリとした柴犬と女子高生の二人乗り(?)自転車は、川の湿気を運ぶ風を辿りながら街を走る。前籠の中の耕太郎が「無駄に凛々しい」表情をしているのが可笑しくて、路行く人の失笑を買うのもいつものこと。先ほども、親子連れの子供のほうが耕太郎を指差して何か言い、母親があらまぁと口元を押えて笑っていた。
 「その川は、昔、農業用水として人が造った川なんですよ」
 「………そうか」
 「それで、農作物を運んだり田んぼに水を引いたり…そのための川で、川沿いは人の行き来が在って賑わっていたんだそうです。今はもう田んぼは無くて畑にかわっているし、川も船なんてとおっていないけど」
 いつもと違うのは、自転車をこいでいるのが花梨ではなくて、寡黙なひとだということ。花梨は自転車の後ろに乗せてもらい、もっぱら秋の風を楽しんでいる。耕太郎のほうは例によって凛々しい表情で前籠に立ち、風を受けているはずだ。
 男の人にしては華奢に見えるけれどこうしてくっついていると、やっぱりその背中は広くて安心する。
 「泰継さん、疲れない?」
 「問題ない」
 「いつのまに、これ乗れるようになったの?」
 これ、というのはもちろん自転車。
 彼はこの世界の人ではないから、今まで自転車に乗る機会などなかったはず。何しろ一年前に、この地へ降り立ったばかり。今は、彼とこの地で過ごす二度目の秋。
 「これは重心を見定めれば容易に操れる」
 「………」
 「………なんだ、可笑しなことを言ったか?」
 「………いえ」
 いきなり乗った自転車で、三人……いや、『二人と一匹』乗りを難なくクリアしてくれるなんて。この人は、人付き合い以外のことなら大抵は器用にこなしてしまう。
 花梨の家の庭先で、ごそごそと自転車をいじくっていた彼は、たったそれだけでコツを習得してしまったようで、補助輪つきの自転車を卒業するために何度も転んだ頃を思い出し、花梨はちょっと複雑な気分になる。時折信じられないところで躓く不器用さはあるのに、恋人である彼は、中々得意不得意の法則がつかめない未だに謎の多い不思議な人だ。
 「この乗り物はよい」
 そう言った“不思議な人”の背を見上げる。心なしか機嫌がよさそうで、風の中、花梨も心が浮き立つ。
 「自動車や電車よりも、好ましく思う」
 「―――私も。自転車って好きです」
 風が運んでくる草の匂いとお日様の匂い。
 先程すれ違った焼き芋屋さんの匂い。
 大地が近く、また、見上げる秋晴れの空にだって触れそうで。
 「別段、これに乗る必要性はなかったのだが、一度乗ってみたかった」
 「ええ? 泰継さんこれ乗りたかったんですか?」
 「………ああ」
 「そんな、もっと早く言ってくれればよかったのに」
 「だが、これに乗る必然性も理由もなかった」
 「難しいこと言わずに、乗りたければ乗りたいって我儘でもなんでも言ってください」
 相も変わらず、可笑しなところで彼は頑なで不器用で、自らの希望を申し述べることに不慣れで……しかし、ふいに花梨の中に込上げてきたのは可笑しさ。
 (ママチャリと泰継さん………)
 このあり得ない組み合わせ。

 前籠には凛々しい顔で仁王立ちの柴犬がいて、後ろの荷台には子供みたいな自分を乗せて(年の差からいえば曾孫が妥当)。あの異界の地で畏怖の対象とされた陰陽師の彼に、とんでもないことをさせているのが楽しくて、花梨は笑ってしまう。
 「どうした?」
 「ううん。楽しいの。泰継さんなんか今お父さんみたい。私と耕太郎のお父さん!」
 「…………」
 広い背中に頬を寄せて尚も笑い続ける花梨には、彼が複雑そうな表情をしていることはわからない。
 「父親では」
 「?」

 「父親では―――不都合だ」
 「………」
 背中が拗ねている。
 花梨は少し瞬きをして、やはりまた笑ってしまう。
“横座り”しているから自分は辛うじて彼の恋人に見えるのだろうか、とそんな思いも過ぎりながら。
 「泰継さん」
 「ん?」

 「―――…大好きっ!」





** ** **
 自転車の二人乗りは駄目ですよ!よい子は真似しちゃいけません、ですが、どうか継さんに青春のいちぺーじを!!(苦笑)
 この『彼岸花』は『碧に還る』(1)の冒頭の願掛け場面の日まで戻り、『碧に還る』(4)の後日談にもなる話です。わっかりにく〜い(力不足!)