春 は 名 の み の (2)




 晴れやかで、厳かで、どこかこそばゆい。
 温かな祝福に包まれたその光景が齎したものを、貴方は―――夏の終わりの空みたいだ、と。まだ春先の空の下で夏の終わりの空みたいな気持ちになったのだ、と。そうやって尚も言葉を探す貴方を見上げ、わたしは貴方のその気持ちの名を考える。

    ねえ、泰明さん。それは、きっと―――…

 若葉みたいなひとは、今初めて気付いた。
 大切な人の背を見送るときに誰もが抱く、その思いに。白いキャンバスに色を落としていくように、貴方が出会った気持ちに名前をつけるのが、わたしの役目。出会った頃から変わらず、わたしが貴方のためにしてあげられること。
 瞬きをしてその名を反芻する貴方に笑い、わたしは、そっと手を握る。
 多分、貴方もそうやって見送られたの。もう二度と会えなくなってしまった、貴方の大切な人に。
 ―――幸せに、と。
 空気のようにゆかしく深い祈り。それは、時を越えて空を渡り、いつも貴方を取り巻いて。貴方が大切な誰かを見送る光景に出会った今、あたかも触媒のように作用して、貴方の心を綺麗な蒼色に染め上げた。

 夏の終わりの空に似た、清々しくて爽やかで、少し寂しい空色に。

◇ ◇

 着慣れない衣装を着せられてどこか居心地悪そうにしていた婿殿の理性がふっ飛んだのは、大方の予想通り、花嫁の顔をおおっているベールが外されたときだった。
 まだ幼くあどけない花嫁は、それはもう可愛くて可愛くて。常日頃から彼女のことを溺愛している婿殿にとっては、秒殺どころか瞬殺されるほど“殺人的な愛くるしさ”だった、、、らしい。
 (そんな惚気とも言い訳ともつかないことを後日聞かされました!)
 ぎこちなくも、厳かに静かに進行していったお式の終盤。信じてもいない異国の神に、婿殿が形式どおり誓いの宣言をし、花嫁に指輪を贈った直後のこと。
 婿殿がそっと花嫁のベールを外すと、小柄な花嫁が、はにかみながらにこにこっと微笑んだ。見上げる瞳は、当然潤んでいたらしく…それまでなんとか恙無くやってきた婿殿を瞬殺。
 本当は、ベールが外された後花嫁が誓いの宣言をするはずだったというのに、そんな暇を与えず、婿殿はその場で花嫁をぎゅっと抱き締めてしまい。次の瞬間には、やはりお式の進行をがっつり無視して

 「「「「…「「 %$@*!!?? 」」…」」」」

 婿殿が花嫁の唇をディープに奪っている、、という展開に。
 「あぁぁあ、、、やっちゃった。あかねちゃん、ちゃんと言って聞かせたの?」
 「そうよ、安倍兄弟の躾けはあかねの仕事でしょ? 躾がなってないわ、“待て”とかちゃんと教えた?」
 「はぁーー!? あんな爺むさくて不埒な子のお母さんになった覚えないし、泰継さんワンコじゃないし!」
 他人事だと思ってる蘭と詩紋くんに適当なこと言われるとか、花嫁の友人達(まだ高校を卒業したばかりの女の子達)が、その熱烈ラブシーンを目の当たりにして固まったとか、意外と常識人である天真君は取り乱して、蘭は嫁にやらん!なんて…よく判らないことを叫んだとか。それまで大人しく床に座っていた柴犬(蝶ネクタイな首輪でおめかしして列席)が、婿殿に牙を剥いて襲い掛かったとか。まあ、なんとなく予想していた範囲でのアクシデントはあったけれど、どうにか一通りのお式は終了し、みんなで教会の外へ。
 淡いピンク色のフラワーシャワーで祝福されながら列席してくれた友人たち一人一人と目を合わせて笑う可愛い花嫁とは対照的に、やはり人が多い場所に慣れない婿殿の足取りはぎこちなく、可愛い花嫁を独り占めできないことが不本意なのか、少々ご機嫌も斜めな様子で。そんなわけで、今にも花嫁を攫ってトンずらしかねない婿殿を、初代のわたしたちだって応龍をよべるかもしれないんだから!と念じつつ、わたしと蘭でギリギリと睨みつけては牽制し、
 ―――やがて、お決まりのブーケトス。
 列席した女の子達が色めき立ち、花嫁のブーケをキャッチすべくよい立ち位置をみんながウロウロと模索している最中、不意に泰明さんがこちらを振り返りぽつりと呟いた。

 「―――あかね、夏の終わりの空だ…」
 「?」
 「夏の終わりの空みたいだ…」

◇ ◇

 「――――…」
 目に映るのは、鈍い銀色。春先独特の曇り空。皆に祝福される二人の向こうに見えるのは、決して夏の終わりの空ではなく。
 「…そうね」
 だけど、判った。自分の胸に手を当てて、尚も言葉を捜している彼の横で、わたしもまた、その“夏の終わりの空”に似た気持ちを捉えていたのだから。
「ねえ、泰明さん。それは、きっと―――…」
 若葉みたいなひとは、今初めて気付いた。大切な人の背を見送るときに誰もが抱く、その思いに。
 「それは、きっと―――…晴々れとした寂しさ、のことじゃないかなぁ…?」
 「…晴々とした……さびしさ」
 瞬きをしてその名を反芻する貴方に笑い、わたしは、そっと手を握る。
 「そう。喜ばしくて嬉しくて、そんな気持ちでいっぱいのはずなのに…いっぱいの気持ちの真中では、ぽっかりと穴があいたようで。よく観ると、そこには寂しさが居座っているの」
 「…そうか……」
 「泰明さんには、泰継さんがとっても大切だってことだよ?」
 ―――幸せに、と。
 それは、ゆかしく深い祈り。
 新しい一歩を踏み出す大切な人の背を見送れば、誰もが晴々とした寂しさに満たされ、それが零れ落ちていくように、祈りに変わる。
 「泰明さんを見送るお師匠さまも、こんな気持ちだったんじゃないかしら」
 「そう…だろうか…」
 「そうよ、絶対そうよ」
 まだ肌寒い春の風。
 銀色の空。
 色とりどりの花のような女の子達。
 その中で一際綺麗な花嫁。
 それらを少し離れたところから眺めながら、しっかり手を繋ぐ。分かち合うのは、“晴々れとした寂しさ”。今ここで大切な人を見送る光景は、もう二度と会えなくなってしまった彼のもう一人の大切な人の視線と交差していくようで。

 「「お師匠(様)に………会いたい(ね)」」

 同時に零れたその呟きに、二人で目を見合わせて笑った。笑いながら、少し泣きそうにもなってきゅっと強く手を握ってきたのは、彼のほう。
 「大丈夫。貴方は、とても愛されていたわ」
 「―――…」
 「すごく念を押されたんだから」
 「?」
 「貴方に、必ず幸せというものを解らせてやってくれ、って。そう何度も何度も」

 ―――それが、貴方を巡る約束。
 貴方を手放す人と、貴方を連れ去っていくわたしとの間の、シンプルでとても重大な たった一つの約束事。



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 親の有難みを知ったときが、オトナになったってことだと思ったりします…。
 今回は、泰継さんがなんかやらかしてましたが、次回こそ、泰明ちゃんがなんかやらかしてくれる…はず…(うごいてくれ、泰明ちゃん!)