貴 方 が 寝 て る 間 に (1)




 たしかに、朝からちょっと変だなぁと思っていたのです。

 園芸(苔盆栽に限定)なんて渋い趣味を持つ、やっぱり渋い実年齢の彼氏(泰継さん)とのデート………というには地味なお出かけで、とあるホームセンターに行った時のこと。
 ガーデニング用のメルヘンな雰囲気を醸しだすレンガや小人の置物なんかを素通りして、和な一角に差しかかろうかという時。いつもは素通りするある植物の前で泰継さんが立ち止って。
 「………このこけだまは…あまりみないものだな」
 「え? 泰継さん?」
 「なんだ。かりん」
 「あの…………泰継さん、痛くないですか?」
 「?」
 「それ」
 「?」
 「サボテン………素手で掴んでます…よ?」
 「!!」
 いつもの無表情からほんの少し瞳を見開いただけの彼独特の吃驚の表情のまま、ハリハリしたサボテンの鉢植えをサボテンのところでがっしり掴んでいる彼を見て。流石に私だって変だと思いました(それにしゃべり方が…ちょっと変?)。
 雪の中を裸足で歩いちゃうくらい暑さ寒さに鈍感な彼だから、もしかしたら本当に痛くないのかもしれない……とは思ったけれど。いくら丸っこくて緑色だからといって苔玉とサボテンを間違えるなんて………そんなボケを器用にかませる人じゃないもの。
 「………………」
 「怪我、してないですか?」
 「もんだいない」
 彼は緩慢な動作でサボテンを棚に戻しこちらを向くと、いままで見たことも無いくらい全開の笑顔をしてくれて。
 「かりん」
 「は、はい!」
 「―――ぐるぐるする」
 「はい? 泰継さ―――――――――えぇぇぇぇ!?」
 泰継さんは謎の言葉を呟いていきなり抱きついて、いいえ、倒れこんできたんだもの!!
 このとき、私は本当に心臓が止まるかと思いました。

◇ ◇

 同じ出自で、いわゆる双子に近い兄弟のようなもの。
 だから、なのか。
 それとも普通の家族ならば当然に感知することができるものなのか。
 兎角、自分のものではない目眩―――その奇妙な感覚を覚えたのは、 後から思えば泰継が外出先でぶっ倒れたのとほぼ同時刻のこと。
 「――――っ。」
 「あれ? 泰明さんどうしたの?」
 「おかしい」
 「?」
 「掌が痛い」
 (針山…?)
 テレビで見たハリネズミを、両手で掴んだような……。
 いったい、何故?
 両の手を見てもその平には何も存在しない。チクチクと痛みが続き、やがて、目の前が一瞬霞んで視界が暗転する。
 「………………つぐ……か?」
 「泰明さん?」
 「―――あかね。術を使うことを許可しろ。火急の事態だ」
 「は?」
 「お前の許可なくば術は使わぬように決めている。だから、お前の許可が要る」
 「何かあったの?」
 「わからん。それを確かめるために式を飛ばしたい」
 要領を得ない顔のまま、あかねが口を開いたときだった。

 「「!!」」

 緊張感のない携帯の着信音が鳴って、顔を見合わせる。あかねが小さなバッグから携帯を取り出した。
 「花梨ちゃんからだ――――――はい。あかねです。どうしたの?」
 「へ? 落ち着いて―――何、ちょっと。それって………」
 あかねに問う迄もなかった。小さな機械から花梨の涙まじりの声が聞こえて来たのだから。

 『泰継さんが―――泰継さんが、しんじゃうよ~~~!!』

 先ほどの感覚からして、消えるようなことは無かろうと思いながら、 けれど、継の神子が斯様に取り乱しているのも、また尋常ではないと思いながら。
 あかねに目配をせして、急ぎ、斥候(ものみ)の式を一羽飛ばした。

◇ ◇

 お店のひとたちが救急車を呼ぼうとするのを頑なに拒んで(搬送先の病院で、こう見えてもこの人90歳超えてますとは、絶対に言えない)。きっと、心臓が壊れちゃうくらいの恐怖を独りで耐えて。私達が駆けつけるまでの15分間をどれほど長く感じただろう?

 「花梨ちゃん?」
 声をかけた途端、あの大きな瞳から堪えていた涙がぽろぽろ零れた。
 そりゃぁ、怖かっただろうと思う。大好きなひとが、目の前で倒れちゃって。しかも、そのひとは………普通の人じゃないから。
「遅くなってごめんね。」
 やはり言葉にならずに頭を横に振る。
 長椅子に寝かされている彼の手を固く握ったままの小さな手。泣くのを堪えながら、きっと、ずっと握っていたんだと思う。
 その細い指をそっと解いてあげながら。
 「大丈夫。泰明さんの式神さんが車まで背負ってってくれるから。泰明さん、継さんみたいに力持ちじゃないから無理だって…」
 小声で伝えると、黙って頷く。
 「泰明さん、診てくれたでしょ。風邪みたいなものだって。前にね、こっちきてすぐ泰明さんも熱出して寝込んじゃったことあるから。それだよ、きっと」
 また大粒の涙が落ちて、彼女はそれを拭う事も忘れている。心配と心細かったのと安心したので、言葉にならずに、ただ、ぽろぽろと泣いている。
 「私、お店の人にお礼言ってくるね。ここで待っててくれる?」
 「………ありがとう…あかねちゃん」
 「―――」
 漸く声が出た彼女を、ぎゅっと抱き締める。この可愛い子を泣かせている元凶は、長椅子に転がってすっかり眠っていて………なんだか蹴っ飛ばしてやりたくなった(寝顔が暢気すぎるんだもの!)。
 泰明さんにしろ、泰継さんにしろ、人ではない生まれと人ではない育てられ方をしているために、自分が疲れたり具合が悪くなるっていうことに無頓着過ぎる。
 どこかで未だ自分のことをモノだと思っているから、自分のことを大切にしない。
 具合が悪くなっても、あのとおり無表情だし。
 気づいたときには、自分で動けないくらいに弱っていたりするんだもの。傍に居るほうとしては、とても心臓に悪い。
 「花梨ちゃんにこんなに心配かけて………継さん元気になったら二人で蹴っ飛ばしてやろうね」
 「―――うん。あかねちゃんと一緒なら………蹴っ飛ばせそう……だよ」
 私を安心させようとして、この子は泣いているくせにへにゃりと笑ってみせてくれる。こういうところが守ってあげたくなるんだよね、とつくづく思いながら、自分が倒れるなんて考えも及ばず暢気に眠っている奴を尻目に、私はもう一度この子をぎゅぅっと抱き締めた(もう、有り余る愛情を込めて)。

 本当に―――溜息が出る。
 私達は二人とも、いつも、この漠然とした不安を抱えているんだと思う。多分、この子も同じ不安を同じだけ抱えていて、唯一それを理解できる仲間。普通にお医者さんに診せるのが躊躇われるようなひとを―――自分達の生命の終わりを“壊れる”とか“消える”とか表現する―――そんなひとを好きになってしまったのだから。
 こういうとき、彼らの出自を心底呪う。
 大切だからこそ、厭わしく思ってしまう。
 どう足掻いても消すことのできない事実は、彼らが、厳密に言えば―――『人』ではないということ。生まれながらに人である人よりも、自らの存在についてたくさん悩み幸福を希求し、誰よりも優しい心を持っているというのに。理不尽なことに、彼らは厳密に言えば人ではない。
 その事実ごと愛しているからこそ、この事実はとても重く、冷たい。
 彼らの生命が寄る辺無いものだという現実は、時折こうやって私達の胸を締め付ける。
 確かにここに存在しているのに、その終わり方は曖昧で不明瞭な、死、とは言いがたいものだろうと聞かされている。それが本当かどうかは、今はまだ分からない。けれど、少なくとも彼―――泰明さんはそれを信じているし、泰継さんもそうなんじゃないかと思う。
 前に泰明さんが熱を出して寝込んでしまったとき、そんな生命を生きているひとが、泣きそうな顔をして言ったのだ。

 “―――消えたくない。消えるのが恐い”、と。

 高が風邪だとか、高が知恵熱だとか、そんなことはもう遠くへ吹き飛んでとても悲しくなった。本当は、熱出したぐらいでメソメソするな!って言おうと思っていたのに、とてもできなかった。

 “―――消えるなんて、そんなこと、私が許すわけ無いでしょう?”

 そう言って抱き締めたら、彼は少し安心したみたいだった。彼が口にしたシンプルで切実な願いに、こんな言葉しか返してあげられなくて、とても悔しかった。
 多分、あのとき私が抱いた苛立ちや不安や悔しさを、この子も感じているのだと思う。大袈裟だけれど、正直言えばいつだって不安だもの。
 ―――彼が目を開けなかったら、彼が突然消えてしまったら、と。

 本当に、溜息が出る。
 私も、この可愛い子も、好きになったのは、とても面倒なひとなのだから。そして、この漠然とした不安を抱えたままの日常に慣れてしまって、けれど、この不安を克服する術はなくて。頑丈にできているはずの彼がこうやって不意に倒れたり傷ついたりすると、真っ黒なコールタールの海にずぶずぶと沈みこんでいくような、浮上しがたい不安に押しつぶされそうになる。
 「―――」
 溜息をそっと仕舞い込んで、私は、彼女のために笑ってみせる。はい元気出して、と。可愛いほっぺたをぷにっとひっぱって。
 「まっててね、すぐ戻るから」
 ひらひらと手を振って。

 涙目の彼女を置いて、私は迷惑な客に大いに困惑したであろうお店の方々に頭を下げに行く。


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 5000HITお礼 Jan.30, 2006 鳶丸(@巻耳蜻蛉)より愛を込めて。
Jan.30,2005~Nov.18,2006までフリー配布でした。 お持ち帰りくださった皆様、有難うございました…!