貴 方 が 寝 て る 間 に (2)




 気が付くと、見慣れた天井が目に映った。見慣れた照明…と植物たち。それと………花梨?

 「泰継さん、具合、どうですか?」
 「―――」
 「気持ち悪いとか、頭痛いとか、苦しいとか………何かありますか?」
 「かりん…が…」
 「え?」
 「かりんが…泣いている」
 「もう……」

 枕辺で此方を覗き込んでいる花梨の頬に手を伸べる。いつも花梨は泣きながら笑おうとする。今も、目に涙をいっぱい溜めているのに笑おうとして―――結局、泣いてしまう。

 「もんだい…ないか?」
 「わたしのことは、いいんです。泰継さん、急に倒れちゃって…心配で心配で」
 「そう、か………わるかった」
 「泰明さんとあかねちゃんが来てくれて。泰明さんのおみたてだと疲れから気がどうのこうのって。私、馬鹿だから全部は解からなくって…」
 「わたしが、やまい…を?」
 「はい。風邪みたいなものなんですって。二三日寝ていればよくなるだろうって」
 「………」
 「本当は、朝から具合よくなかったんじゃないですか?」
 「―――わからん。あついような…さむいような…そういうかんかくは、あったのだが」

 身体が重い…とも思えるし、頭がふわふわとする…浮力があるものの中に沈みこんだようにも思えるし。以前眠りの周期が乱されたときの、あの感覚とも違う。思考が纏まり難く、息をするのが少々困難で、花梨の頬がいつもと違って、ひんやりとしている。

 「一緒に居たのに、泰継さんが具合悪いのに気づかなくてごめんね」
 「………」

 今日に限って、花梨の言葉は優しく鈍く反響を繰り返し、拡散していく。捕まえるのが遅れて、その大切な言霊を見失いそうになる。慌てて、そこに追いつこうとするが、いくつかは届かずに見送ることしかできなかった。
 そうして、思い至る。
 彼女の頬に触れたまま。
 ―――ああ、そうか。花梨が泣いているのは、私のせい…か。

 いつもそうだ。
 私は、花梨をこうして悲しませる。

 長い時を過ごしてきて、今更ながらに知ることは多い。大切にしたい、と。そう想うことならば容易く、けれど、大切にするというのは恐ろしく難しいことなのだ。
 想いの丈は、計りづらい。それに見合う言葉も、探し当てるのは難しい。言の葉を操る陰陽師でありながら、自分は、結局のところ必要な言葉を何一つ知らない。
 空疎なる時を過ごしてきた偽りの存在は、そのあるがままに、何一つ実(じつ)のあるものを持たずに生かされてきたのだから。

 「―――かりん」
 「はい」

   こういうとき………決まって、想いの在処が苦しくなる。思考が為されるのと別の場所、何故か、想いは胸に起こり留まる。留まるだけで、それを伝える術を持たないたから、こんなふうに苦しくなるのだろう。

 「どうも………くるしいようだ」
 それを言っても詮無いことだ。それでもこうして言ってしまうのは、きっと病のせいだろう。或いは、病にかこつけて、愚かな自分を惰性で肯定しているせいだろう。不安げに此方を覗き込んでいる花梨を、やはり惰性にまかせて抱き寄せる。

 「え―――泰継さん…?」

 胸を伝って彼女の声が届いた。
 こうして彼女を抱き締めて言の葉を紡げば、伝わるだろうか。苦しさも、また、和らぐものだろうか。
 けれど、抱き寄せた体が、柔らかく温かくて心地よく。再び、自らの思考が拡散していくのをどうすることもできない。

 「―――かりん。このまま、きいてくれるか?」
 「―――?」

 ありきたりで。
 誰もが口にするだろうその言葉を、ただ、一言。

◇ ◇

 「///」

 (……コクられ…た?)

 今更…というか、駄目押しというか………。熱に浮かされた少し掠れた声で。たった一言。
 聞き間違いでなければ

 ―――愛している。

と囁いて、呆然とする私を置き去りにしたまま、泰継さんはまた眠ってしまいました。
 病人の彼に覆いかぶさるように抱き寄せられたまま、私は固まるしかなくて、自分の心臓の音が五月蝿いのをどうすることもできません。

 「やすつぐ…さん…?」

 呼んでも起きる気配は全く無いし、ジタバタしたけれどビクともしない彼の腕に、ぎゅぅっと抱き締められたまま時計の針の音が耳に響いてくるだけ。

 (あ…あいしているって……そんな………)

 秒針の音と。
 心拍数があがったままの自分の鼓動と。
 私のことを抱きしめて眠る人の鼓動が、微妙にずれたリズムを作り出して、余計に頭の中が混乱してしまって………。

 (うごけない……色んな意味で…)

 普段無口な彼は、時折、すごい威力のある言葉を投げかけてきます。
 言い尽くされて使い古された言葉であっても、彼がくれるそのたった一言には、たくさんの想いが載せられているから。だから自分は今、こんなに混乱して、どうしていいのか分からなくなっているんです。
 だって、反芻するだけで息の根が止まるくらい嬉しい言葉だったもの。
 だけど、こんなときに何の脈絡もなく言う言葉でしょうか。
 それに、起きたら覚えてないなんて………そんなことは許さないから。

 (覚えてなかったら、本当に、蹴っ飛ばそう。)

 多分、ぼぼぼぼぼっと赤くなった顔色のまま泰継さんの腕から、そしてさっきの一言の衝撃からどうにか逃れようとバタバタしていたから。

 「花梨ちゃん――――うわっ!!」

 氷枕の替えを持って部屋に入ってきたあかねちゃんが、固まったのも無理はないと思います。

 「///」
 「ねぇ―――訊いてもいい?」
 「な、なに?」
 「寝込みを襲っているの? それとも、襲われているの?」
 「―――どっちかっていうと、襲われている…の…かなぁ」

 ぶっ、と笑われてしまいました。
 笑ったまま、泰継さんの額をちょっと触って、ああまだ熱高いねって溜息を吐いて。結構慣れた手つきで泰継さんの頭の後ろから温くなった氷枕を引っ張り出して、新しいのに取り替えてくれて。

 「じゃぁ、ね」
 (じゃぁ、ね。って。えぇぇ? そんなぁ)
 「あ、あかねちゃん。まって」
 ドアを閉めかけるのを、どうにか呼び止めて。
 「たすけてよ~」
 「たすけないほうが、継さん、治るの早いかもよ」
 「そんな。さっきからずっと、ぎゅってされてて苦しいよぅ」
 そう訴えたら、はいはい、さっきからずっとなのね、とあかねちゃんはまた笑って。

 「泰明さ~ん。貴方のスケベな弟が女子高生を捕獲して離しません。どうにかして下さ~い」

 なかなか酷い言い草で、リビングにいる泰明さんを呼んでくれました。
 (知ってたけど、あかねちゃんヒドイ…)



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5000HITお礼 Jan.30, 2006 鳶丸(@巻耳蜻蛉)より愛を込めて
Jan.30,2005~Nov.18,2006までフリー配布でした。お持ち帰りくださった皆様、有難うございました…!