深く果てない夜の底で (1)




 ―――夜の闇に引き込まれる。

 この世界の闇は、深く果てない。
 夜が満ちたときの闇の色は不気味なほど濃く静まり、視覚だけでなく聴覚も奪われてしまったような感覚に陥る。
 深く果てない夜の底。
 夜目が利く彼とは違うから、余計に、この闇の深さは得体が知れなくて恐ろしい。

   ◇ ◇

 声を挙げる暇(いとま)もなかった。
 何も見えない闇の中で抱きすくめられ、息もできないほど深く口吻けられた。

 「っやぁっ……っ!」

 強引に褥に押さえつけられた手首。
 乱暴に広げられた夜着の袷。
 露にされ、冷気に曝された肌。
 首筋から、鎖骨、と。
 下へ降りてゆきながら、露になった肌を甘噛みするように幾度も吸われ

 「い…や……んんっ…も…っんっ」

 柔らかい膨らみの先端は、舌で。
 ざらりとした感触に弄ばれ、そこはすぐに形をもち、執拗に責められるたびに固く敏感になっていく。
 さらに、軽く歯を立てられ

 「ひゃぁっっっ……やっ……」

 押し寄せる感覚から逃れようと身を捩るけれど、彼はそれを許してくれない。
 片手で花梨の両手首を掴み、褥に縫いとめるように押さえつけていて、乱れた裾から差し入れられたもう一方の手は、弱々しく抵抗する膝も容赦なく割り侵入してくる

 「ひゃっ」

 冷たい。
 熱く潤んだ其処に易く触れられて、彼のその指を酷く冷たい、と。
 そう思った瞬間、

 「あぁぁっ……いっ…た…っ…んんっ」

 深くまで犯される感覚に花梨が躰を強張らせたのも構わず、その指は中を蠢いて襞をかき、花梨の乱れた息にやがて甘い吐息が混ざりだすのを認めると

 「―――はっぅっっ」

 今度は、腰が掬われるほどの強さで激しくかき回される。
 花梨の肌は粟立ち、背は弓のようにしなる。
 その刺激から逃れたくとも身体の自由は利かず、大きく開かれた脚は、そのつま先まで強張った。
 身を捩って揺れた胸の先端は、また彼の舌に捉えられて

 「はぅ…んんん…やぁっ……ぁっぁんっ」

 高く甘い啼き声。
 あまりにもはしたない声。
 肌を執拗に貪られる音。
 下肢を割り、躰の中心を指で犯される音。

 深い闇の底で、息を乱し、悶え、はしたない声を挙げるのは花梨ばかり。
 闇の中訪れる嵐のような時間。
 息も出来ないほど濃く深い闇に、全てが侵されていく時間。


◇ ◇

 主従の境界を越えてくるのはいつも突然で、激しく奪いながら、睦言一つくれない人。
 覆いかぶさる躰の重さは、そのまま、得体の知れぬ濃い闇のよう―――そう、この人は、この夜の深い闇に似ている。
 あるいは、“闇そのもの”なのかもしれない。
 底が見えないほど深く、ひたひたと満ちてきて、逃れることなどできない。
 濃く、重く、熱く、一度堕ちれば二度と浮上できないほど、深刻な闇。

 だから、彼に抱かれるのは、この夜の深い闇に抱かれるのに似ている。

 「…よりただ…さ…」

 かき抱かれて縋りついた男の背も、時折耳を掠める荒い息も、ひたと合わされた肌も、全てがじりじりと熱い。
 思考は拡散していくのに躰の感覚は異様に研ぎ澄まされて、夜の冷気に触れても肌はそれに敏感に反応し躰の奥底が疼く。

 「ぁぁっっぅ…んんんっ」
 
 ほんの僅か、肌のどこかが夜の冷気にさらされただけでも、この身を保ち続ける孤独に耐えられずに、この闇のような男に縋って溶けてしまいたくなる。
 熱に浮かされるように、ただ、この人と一つになって常闇に溶け込んでしまいたくなる。

 「やっん……」

 粟立ち昂ぶった肌を彼の舌が音をたてて這い、その背に縋る花梨の指先には、くっと力が篭る。

 「よ…り…ただ…さ………」

 乱れた息。
 相手は、名を呼んでも決して応えてはくれない闇のような人。
 乱れた息のまま、闇そのものを抱くように花梨は必死になって男の背に縋りつく。
 彼の腕の中で、この闇の中で、自分を保ち続けることなど、すぐにできなくなってしまう。

 「もっと…よ…り…ただ…さ………もっと……」

 ひやりとどこか肌の上を通り過ぎた冷気に震え、その冷たさに怯えるように花梨はねだる。
 はしたなく浅ましい言葉に彼が一瞬息を呑んだことなど、気づく余裕もない。

 「ぁっっ」

 躰の中で蠢いていた無骨な指がふっと抜かれたことに小さく落胆の息を漏らす。
 けれど、次の瞬間には細い腰が浮いて、それは、荒々しく男のもとに引き寄せられ―――狭いところを強引に押し入ってくる痛み、圧迫感。

 「っっゃぁぁっっいったっっ…ああぁっ………!」
 「―――…っく」

 先に指で解かされていたとはいえ、まだ、受け入れることに慣れていない場所は狭くきつい。
 それなのにぐいぐいと硬く大きなものに押し広げられ貫かれて、躰は全部―――今度こそ、彼の熱に浸食される。

 「ぅああっ……いっっっ…いやぁっっまっって…」

 すべてを咥え込んだ圧迫感に慣れる間もなく、中を激しく衝き上げられ、花梨は声を抑えることなどできない。
 躰を揺さぶられるたびに悲鳴に近い声を挙げながら、両腕は必死に男の背に縋りついた。
 そうして、縋って力が篭った指先…爪をたてて触れたのは、男の背に残る深い傷痕。
 引き攣れた、古い刀傷。

 (!)

 それは、紛れもなく闇の源。
 ここからこの人の闇が生まれ、彼を覆いつくし―――いままさに花梨をも深く引きずり込もうとしている闇の源。

 ◇ ◇
 

 初めての時も、深い闇の底に転落するような恐ろしさと目まぐるしさだった。

 淡い想いを抱いていた相手の、深い深い疵に触れた日。
 なんとなく予感はしていた。
 この男を好きになるのは、きっと痛みを伴うものなのだろうと。
 それでも想いを告げたとき、彼は戸惑いというよりは苦渋に近い表情をした。
 彼のその表情に花梨のほうが言葉を失い、どうしてよいのか分からずに佇んでいると、不意に抱きすくめられた。

 「―――貴女は今…」
 「?」
 「枷を外してしまわれた…」
 「……!」

 耳元で「今宵…」とだけ告げられ、その身を解放されたとき、花梨はその場でへなへなと座り込んだ。
 恐ろしさが先にたった。
 とんでもない人を好きになってしまったのだと気づいた時には遅く、 「今宵」と告げたとおり彼は奪いにやってきた。

 深い闇の中で、黙したまま睦言一つくれずに花梨を犯し奪った人は、けれど、激しい行為の後、震える手で花梨の身を抱き寄せて

 ―――申し訳…ございませ…ん、と。

 たった一言。
 熱に浮かされたうわ言のように掠れた声で、そう囁いた。

 躰はまだ痛む場所で繋がったままで、疲労で霞んだ思考の中、涙で滲んだ視界の端で彼の耳にある宝玉を捉えたを覚えている。
 映す光などない深い闇の中だったというのに、闇に溶けずに浮き出た青とも紫ともつかない色は綺麗だった。

 その宝玉の色と、酷く苦しそうな彼の声。
 それらと共に、花梨は深い眠りの底に沈められたのだ。



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 2006年12月27日~2007年1月4日付で旧ブログにUPたものを加筆修正して、2008年5月17日付で再掲。