片袖をずたずたと切り裂き、肩口の傷を露にする。 傷の周りの血と泥を冷水で洗い流すが、出血は止まらない。 同じように衣を裂いて露にした左足の傷のほうは、ぱっくりと割け、人差し指が第ニ間接近くまで埋るくらいの深さ。 そこも冷水でよく洗う。 続いて、口に含んだ酒を傷に勢いよく噴きかけ、痛みで気が遠くなるのを堪えながら、指を入れて丹念に洗う。 肩口には直接酒をかけ、よく視えない水鏡を頼りに傷を洗った。 いずれも、血止めの油を塗り、その上から油紙をあてる。さらにその上からきつくきつくサラシを巻いた。 傷口が熱を持ち、ジンジンと割れるように痛む。 その響くような痛みに意識がもっていかれそうになりながら、堪え、深く深く息を吐く。 まだ、やるべきことが残っている。 (―――…文を) 四条の屋敷に文を出さねば。 このように血で穢れた身で、清らかな神子の御前に出るわけにはいかない。 明朝よりしばらくは身を慎むべきだ。 死の穢れが薄まるまで、いかほどかかるだろうか。 今宵、この手は3人を殺めている。 夜が明ける前に、この武士団からも一人、死者が出るだろう。 この身もこの場所も酷く穢れている。 「――墨の用意をしてくれ」 先ほど酒やサラシを用意してくれた小者に声をかける、が、返事がない。 (―――?) 新入りか。 井戸端で自ら傷を処置する頼忠の前方で小さく控えながら、歯の根も合わぬ様子で震えている。生々しい傷口の様子や、おびただしい出血を目の前にして、怖れを為したに違いない。 冬が近づくと、洛外の農村の男たちの中にはこうして洛中の武士団を始め貴族の邸宅の下働きとして出稼ぎにやってくる者もいる。夜盗が横行する昨今とは言え、修羅場に慣れていない者もあるだろう。 「お前も災難だったな。大事無い、ここではよくあることだ―――水でも飲んで、少し落ち着け」 つるべを上げ井戸水を柄杓で掬ってやると、小者は、震える手でそれを受取り、素直に水を口にした。 「よいか―――墨の用意をしておいてくれ。私の部屋は分かるな?」 もう一度勤めて静かに告げると、小者は、へぃっと畏まり去っていった。 (どうも妙な具合になった―――) 託された文を届け、返事の言葉を受け取るか文を受け取るかすればよかったはずなのだ。 が、返事ではなく、当の「みこ」がついて来た。 女だてらに。 女の夜歩きはそれこそ危ない。 四条の屋敷で年嵩の女房と随分揉めた後、尼そぎよりも短い髪をしたこの異風の「みこ」は、少年の装束を着付けてもらい、夜陰にまぎれてついてくることになった。 術でも遣うのか「かいふくふ」という怪しげな文様が描かれた符を何枚も懐にねじこんでいた。 「それで、頼忠さんは―――」 「旦那ぁ、文を託された後、気を失われました―――なにしろひでぇ深傷でしたから」 事実、そうなのだ。 自室で文を書き終えると、噛んで含めるように「必ず、四条の屋敷にいる「みこ」に届けるように」と告げ、その場で頼忠は昏倒した。 でかい図体に難儀しながらやっとの思いで床(とこ)に据えてやると、きつく巻いたはずのサラシから血が滲み単の肩口が赤く染まっていた。 慌ててそのことを棟梁に伝えてきたが、その後、どうなったか。 随分血を失っているはずだ。 せめて、誰か、サラシをまたきつく巻きなおしてやっていればよいが。 「っ―――急ぎます」 「へぃっ」 また足を速めた「みこ」の傍で、武士団の小者も身を屈めたまま小走りになる。 この「みこ」は、女だてらに健脚だ。 灯を庇いながら、その早い足元を照らしてやるのが難儀だった。 気を失っていたのは僅かな時間だったようだ。 文机の傍に灯した小さな灯りはまだ消えず、時折、ゆらゆらと影を大きく揺らしている。 2箇所の傷口から割れるような痛みが広がり、躰全体が支配されていた。 痛みで骨まで軋むような感覚。 頭は朦朧とする一方でやけに目は冴えている。 激痛で失神することはできても、一旦、意識が戻ってしまえば、眠ることなどできまい。 このまま激痛とともに、じりじりと時が経つのを待つだけだ。 (―――?) 戸の向こうで人の気配。 やがて 「だ、旦那ぁ、、、いきてらっしゃいますか?」 遠慮がちに戸が開けられ、先ほどの小者が臆病そうな目をのぞかせた。 「―――戻ったのか。よい、お前ももう休め」 「それが―――」 「なんだ、四条で何か言伝かってきたのか」 小者のそわそわとした様子を訝しんでいると 「―――頼忠さんっ…!」 「っ!!??」 一瞬のうちに、頭に血がのぼった。 傷の痛みも忘れて、頼忠は跳ね起きる。 淡い水色の水干。 その袷を留める頚下の緋色の紐。 括り袴。 いつもの菜の花色の装束とは違うけれど、それは、確かに―――。 「神子…殿…!?」 今宵この死で穢れた場に、最も近づいてはならない人の姿がそこにあった。 「―――貴様っ。文を届けろといったはずだが」 「へ、へぃ。確かにお届けいたしました…」 「それだけで、どうしてこの方がここにいるっ!」 事を荒立てぬように、互いに声を潜めている。 が、暗がりから人を殺しそうな目で睨まれ(事実、3人殺しているが)、戸口に立ったまま、小者はひぃぃぃっと震え上がった。 「頼忠さん、わたしが我儘言って連れてきてもらったんですから…!」 その小者の後ろに居た花梨が、戸口からさっと身を入れてきた。 草履を脱ぐのももどかしげに上がりこむと、床(とこ)に半身を起こしている頼忠のもとに、身を寄せてくる。 いつもの菜の花色の装束ではなく、貴族に仕える男童によくある装束を身に纏っている―――ということは四条の家の女房の誰かがこの外出を手助けした、ということか。 「―――神子殿、なりません。すぐにお帰り下さい」 「でも、頼忠さんが酷い怪我を」 「いいですか。ここは穢れております。貴女のような清浄な方が近寄っていい場所では――――っ」 くらりと視界が白くなった。 倒れこむ上体を、さっと、小さな体が支えてきた。 頼忠の肩―――単にまで血が滲んだその肩に、小さな手が添えられる。 「っいけません―――御身も、お召し物も汚れてしまいます」 「こんなときに、着物のことなど気にかけるほうが間違っているわ!」 暗がりの中で燭の炎が揺らめいた。 胸元から頼忠を見上げる花梨の目が、きらりと光る―――どこか匕首を突きつけてくるような鋭さで。 (―――っ) こういうところが、神子だ、と思う。 単に清浄な、というだけではない。 日常的に命のやり取りをしているような頼忠も気圧される何か―――どこか神がかり的な凄み―――があり、彼女がここと決めた場面において、それは、絶対的な間合いで発揮される。 難なく頼忠を黙らせた花梨は、次に、戸口に佇む小者のほうを振り返り、柔らかな口調で頭を下げた。 「―――ここまでありがとうございました。もう、大丈夫です」 「へぇ…しかし…」 おどおどと、小者は頼忠のほうを見遣る。 彼にとって雇い主はあくまで武士団であり、この場で主筋といえば、頼忠のほうなのである。 肝が小さいわりに、順を弁えている。 存外賢い男なのかもしれない。 「―――他言無用だ」 「へ?」 「この方が今宵ここに居ることは一切他言無用だ。口外すれば―――ー」 “分かっているな”と目で凄まれ、再び小者は縮み上がる。 「へぃ。あ、あっしは、これで下がらせていただきます…」 そのまま後ずさり、震える手でガタガタと戸を閉めると一目散に去って行った。 *次頁* 神子殿☆襲来。 |