か ら く れ な ゐ (3)




 小さな体に支えられたまま、深く溜息を吐く。

 「―――ここまでよくご無事で」
 「若狭さんに泣いて止められたんですけど……」
 「当然です。もう、このような無茶はなさらないでください」

 正直、堪らない、と思った。
 自分が剣になり盾になれないところで、この少女が危険にさらされることが。
 それから、今のこの状況も。
 夜、この狭い場所で2人きりでいて、あまつさえ、その小さな体を寄せられていることが。

 「先ほど申しましたように早々にお戻り頂きます。お屋敷までは私が。すぐに支度いたしますので―――…」

 静かにそう告げると、花梨は、泣きそうに表情をゆがませた。
 拒絶されたことに傷ついたのか、怒ったのか。

 「頼忠さんに迷惑をかけるために来たんじゃありません。符を使います。流れてしまった血は戻らないけれど、傷をふさぐくらいの役にはたてるはずです」
 「いけません。それは今使うべきではありません。もっと相応しいときにお使い下さい。この怪我は神子殿をお助けしてのものではありません。武士団に所属するものとしてその任務のうちに負ったものです」
 「負傷の理由なんて関係ありません…!」

 小さな声、少し震えた声音。
 けれど、確かな抗議。
 手にした数枚の符をぎゅっと握りこんでいる。
 ああ、どうか泣かないでくれ、と思う。
 しかし願いも虚しく、次の瞬間にはその大きな瞳からぼろっと涙がこぼれた。

 「頼忠さんは―――…わたしの八葉になって、死に場所をやっと見つけたって……いつも…いつも」
 「―――…」
 「そんなことを言うなら、わたしの知らないところで、わたしの知らない理由で死ぬようなことしないでっ……!」
 「!」

 眩暈がした。
 傷の痛みのせいでも、出血のせいでもなく。

 ―――どうしてこのひとは、こんなふうに真直ぐに自分などを想ってくれるのだろう。

 不用心にも程がある。
 尊い斎姫の身で、夜更けにこのようなところまで来て。
 まっさらなその好意を、むき出しのままつきつけてくるのだから。

 その時、燭台の火がジリと音を立てて大きく揺れふつっと消えたのは、偶然だったのか必然だったのか。

 「よっ……っんん―――!」

 一瞬のうちに闇になった其処で頼忠は、消えた炎の残像に目がくらんだように花梨の細い首の後ろに手を回し、激しく口吻けていた。

◇ ◇
 
 人をたて続けに斬った血の昂ぶりが、まだ治まっていなかった。
 極度の緊張の下、一瞬のうちに遣り取りされる命。
 肉を断ち切るときに太刀の柄から伝わる感触。
 動脈を切り裂さけば、重くどろりとした血が流れ出て刀身を伝い、茎(なかご)まで染み込んでゆく。
 静脈を切り裂けば、夜目にも鮮やかな色の血飛沫が挙がることを知っている。

 ―――そうやって3人を殺めたのは、ほんの先刻のことなのだ。

 殺めたことに対する感慨はない。
 それは日常、よくあることで、これが自分の仕事なのだから。
 けれど、人の命を絶ったことで沸き起こるこの血の昂ぶりは、どうしようもなかった。
 人を斬ったことがあるものなら誰でも知っていることだろう。
 そうやって猛った血を、昂ぶった気を、静める方法など、そういくつもあるわけではない。

 「っ…ぅん…」

 少女の口元から苦しげな吐息が漏れる。
 それでも頼忠は、唇を重ねたまま、放してやる気にはならない。
 もう、逃がしてなどやるものか。
 肩の傷のため思うように動かない左腕まで無理に動かし、細い腰を強く抱き寄せる。
 逃れようともがく身を片腕で抱きすくめると、きつく巻いたはずのサラシの下で、血がまた吹き出るのが自分でも判った。

 やがて、逃れられないと悟ったのか、彼女が口吻を受け入れて力が抜けた。
 小さな手に握りこんでいた符がはらはらと床に落ちる。
 闇の中その落ちてゆく残像を視界の端に入れながら、頼忠は歯列を割り舌を差し込んで内側をかきまわした。
 苦しそうに身を捩りながらも、たどたどしく応えてくる舌に己が舌を絡め、吸い、甘やかな口内を貪った。
 いやらしい水音だと思う。
 耳から入ってくるその音も、絡めた舌から、口蓋から直接脳へ伝わるその音も。
 まるで、躰を繋ぐ行為そのものの音のようで、ひどくいやらしい。

 ―――自分はこのまま、このひとを犯してしまうのだろう。

 躯全体を傷の激しい痛みに支配されながら、頼忠は、ただ、腕の中にある柔らかな肌を想った。
 その肌の下に流れる温かな血とその鼓動を想った。
 人の身の分際で、龍神の情婦(おんな)を寝盗(ねと)るのだ。
 神と交歓する清らな魂を持つこのひとを、ただの女にしてしまうのだ。
 貪っていた唇を解放し、その耳元で低く呟く。

 「貴女も解っておいでだったでしょう―――」

 こうなることが。
 今自分は、どんな目をしているだろうか。
 闇の中、これから起こることの恐怖に濡れ見開かれた瞳を覗き込み、酷く嗜虐的なことを思った。
 手負いの獣のもとにひとり飛び込んできた貴女が悪い、と。
 一途な好意を隠すこともせずに、貴女は身ひとつでここに来たのだ、と。

 「―――わたくしは、貴女をずっとお慕いしておりました。それも、ひどく浅ましい想いで」

 欲に掠れた声でそう囁いて、刹那、女の頸下にある緋の紐を口で引く。
 はらりと落ちる水干の前。
 その下の着物の袷目を、引きちぎるような強引さで開くと、白い肌が露になり乳房が零れた。
 それは、闇の中でも浮き立つほどに白い。
 匂い発つ女の肌に酔い、頼忠はそこに顔を埋め、口吻けた。

 「…っぁんっ」

 艶を含んだ甘い声。
 意図せずそんな声を挙げてしまったことを恥じたのか、花梨が自分の腕で口元を押さえ、顔を背けた。
 早まってゆく鼓動。
 首筋の柔らかなところ、頚動脈のあたりに唇を寄せれば、しっとりと汗ばんだ肌の下で熱い血が確かに流れている。

 ―――ああ、そうか。

 よく似ているのだ、と思った。
 人を斬り殺めることも。
 女を犯(ころ)すことも。

 ―――どちらも、血の匂いがする。

 血の昂ぶりを起こしたのが血ならば、また鎮めるのも、やはり血なのだ。
 そんなことをぼんやりと思いながら、粟立つ肌に唇を寄せたまま其処に押し倒した。
 か弱く柔らかな躰を力尽くで押さえ込むと、手は細い腰に伸び、そこにある括り袴の結び目を素早く解きはじめた。


*次頁*

 花梨嬢は、お貴族様の牛車のそばににいる男童なんかが着ているような格好です。短い丈の水干に括り袴、それに草履履きといういでたちでやってきました(どうでもいい脳内設定)。淡い水色の水干は、頸下あたりにある赤い色の紐できゅっと結んである感じ?
 その紐を、狂犬頼忠が、口に咥えて引き、結び目を解いてはらりと脱がせましたよ(ホントにそれが出来るかどうかは別にして…←ちゃんと調べろよ!)。そういうの頼忠は似合うと思う。

 狂犬による強権発動。